幸運な病のレシピ 2021年2月1日(2255)〜2021年2月10日(2563)
僕が父を殺したのだ。どうしても9ヶ月間自分で認めれなかった。
僕は父の死を看取った。その一ヶ月前の日曜に父は倒れていた。病院に行ったら背中が痛いのは腎盂炎の可能性があると言われ月曜にもう一回来いという。言ったら腎盂炎は大丈夫と言われ、背骨が圧迫骨折で潰れて動けなかったのだ。ギブスを作るのがマニュアルだと言うので寸法を測った。数日後に行ってギブスをもたった。今度は一週間後に経緯を見たいからまた来いという。そしてまた行って行くたびに父は衰弱していった。
病院など行っても衰弱するだけなのだから、行かなければよかったのだ。
夜中に立ち上がろうとしてひっくり返った。これを2回した。僕が横で寝ていればよかったのに、そうしなかった。そして病院に行ってまた動けなくなった。
最後には何も食べれなくなって、フレッシュジュースも飲めなくなって、息は荒く、足のスネには500円玉くらいの潰瘍が出来ていた。あれはエソなのだと思い、父の死が近いことが分かった。
僕は、自分の糖尿病では医者などに行っても治らないなどと言いながら、行きたくないという父を何度も病院へ連れて行った。そして苦しめた。隣に寝ることもしないで、夜中に、父が自分で立とうとした時に助けられなかった。
何度もおしめを替えたし、尿瓶をいつも変えた。病院に行っても背骨の圧迫骨折は治療の手立てがないのだ。入院もできなかったし、ギブスは嫌だと言うのにつけるようにさせた。
2020年3月8日、父ががなくなってから、酒が止まらなかった。頭では父は寿命だったと思うようにしながらも、僕が悪かったのだ。ポータブルトイレを買えばよかった。隣で寝ればよかった。なくなる日の午前、足が壊死を始めているのを見つけた時のことは忘れられない。皆僕が悪い。きっともっといい道があった。
ベッドから、一緒に庭を見て、あなたの好きだった「笹川三作さんが作ってくれた庭だよ」といったら嬉しそうに笑った。呼吸は荒く、もう言葉も出せなかった。涙が止まらなかった。その夜20時くらいが死亡時刻と検死された。その日付を超えた0時30分に実家に行ったら音もなく、父が亡くなったということが分かった。十分泣き終わっていた。
母のようにピンピンコロリと死なせると約束しながら一ヶ月も苦しめた。
皆僕が悪い。
この記事の終わりに続きます。ーー>
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2月10日 101.0g #めざし #ベビホタテ味噌汁 #パスタ #アンチョビ #冷凍フライ #かき揚げ #鶏団子汁 #餃子
夜中夜食食べた。
餃子はしばらく前に作って冷凍したもの。揚げ物は冷凍が主体で、ここしばらく味見のつもりで買ったものだ。冷凍メーカーにとって違う。まあ、それぞれである。価格的には安いが、素材から作った方が好きである。
舞茸のかき揚げを作った。野菜のかき揚げは難しい。時間が経つとジトッとするのでかき揚げは難しい。
闇雲に温度を上げるとバリバリすぎる。粉が多くてもいけない。
ずいぶん長いことかかったが、時折成功するようになった。
マニュアルでは記述できない。そこが恐ろしい。
そして年取っていくと忘れてしまうのだろうなあ。
そのときには、づうでも良くなっているのだろうか。
母を思い出す。もう忘れてもいいかと思うことも有るのだが、明け方に悪夢を見ることも有る。
数日前の安売りのパックのバジルをどうするか考えていたのだがやはりパスタであろう。
アンチョビがあったので、玉ねぎを炒めて、トマトソースで味をつけた。
ガーリックオイルはたくさん作っておいてなにかにと使う。
まあ、お店に行ってパスタ食べるより時間がかからない上に美味しい。
もちろん片付けの手間はいるが、リラックスして好きな量を食べることができる。やっぱ、お家が一番である。
時折お店に行くと嬉しいが、それはそれである。多分年取ったのだろうなあ。
先日買った目指しを焼いた。目玉焼きと味噌汁は妻が作ったもので、残りは昨日までに作ったものである。
残り物という時声は悪いが、食べ切るように作ることおんほうが難しい。
商品化された食事は、喰い切りだから足りなかったり、過剰だったりする。
残すのはもったいないから食いすぎるのだ。
ベビーホタテの殻付きが売っているのだが、味噌汁にすると最高だ。加熱するまで生きている。
食材が新鮮な状態から調理開始までの時間が短いほど美味しい。
最近の魚焼き器には「お任せモード」があるのだということを知った。
以前、試しに使ってみたら、最悪である。魚の状態を何も考えないで、一定時間加熱するだけのようだ。
魚は生き物である。それぞれに状態が違い、マニュアルな手順は通用しない。僕は5分から3分おきに見ては返して、火力を調整する。
日本の魚焼き器は、七輪の文化だと思う。長時間一定温度を維持するオーブンとは違う。
2月9日 ----g 一日どこかでダブってしまった。
2月8日 ----g #オデン #細うどん #鳥てりやき #炙り肩ロース #鳥の悪魔風
夜は一人であった。娘と妻が遅くに帰るので汁と鳥の悪魔風を作った。
鳥の悪魔風はレシピ本で読んだのだが、この10年来の高評価レシピだ。庭のローズマリーとニンニク、塩で漬け込んで厚いフライパンでジックリと焼く。重しをするのが美味しく焼くコツだ。マユと二人でそそくさと料理を作り片付けるのは、デズニーランドより楽しい。
動画は準備中
鳥を半分照り焼きにすることにした。寂しいので豚の肩ロースを炙ることにした。汁は朝のオデンが有るので、時間が余った(笑)。
男爵いもと玉ねぎがあったので、肉じゃがを作ることにした。
大体1時間でお釣りが来るくらいが調理時間だ。
煮付けとか炙りとかの手が空く料理を上手く組み合わせて行くと様々が作れて嬉しい。
鶏肉は大きめのぶつ切りで蒸した。生のまま煮ると生臭くなるとは言え、下茹ですると、味が飛んでちょっと気に入らない。
里芋は蒸してあるものを皮を向いた。じっくり煮るとスープに旨味が出る。
大根と人参に薄揚である。揚系でなくともおいしい。脂質が程よく嬉しい。セロリの葉がひねりになって美味しい。ひじきと舞茸をくわえた。
1時間ぐらい弱火で煮ると美味しく煮える。大事な事は沸騰させないことだ。
鳥の味が出てきて美味い。時間のかかる料理である。
出しはオデンのダシと関西のうどんだしの混合。一番美味しい(笑)。
細うどんを入れて食べたらはずみで納豆卵うどんも食べた。はずみは恐ろしい。朝にこれを作ると一日食べていられる。残っていればであるが。
市販の食事との一番の違いは汁であろう。
兎に角たっぷりとお肉が入るので、満腹になる。うどんは嗜好品なので最後に程々に食べる。
2月7日 ----g #野菜いため #残り物 #棒ラーメン #半額おかず #舞茸と牛肉のスープ
夜は舞茸と牛肉の汁を作った。400円でかなの量の舞茸だ。
里芋は蒸しておいたものを剥いて使った。
少しオイスターソースを垂らして甘みを出した。買い物に出かけた妻と娘の帰宅を待っていた。
スーパーで半額になるおかずを買ってきたので美味しく頂いた。
ほとんど何もしない一日も良いものである。
お正月みたい。
陶芸家の友人に箸置きを頂いた。
なんとも素晴らしい。よくぞまあ、土からこんなに細かいものが作れるものだ。箸置き大好き、器(うつわ)大好き、食事が楽しくなる。
今や「拒食・過食・依存」の時代である
摂食障害って、家族との食事のときに説教されるから起こる。僕はいつも食事のたびに、妻にもう食べるな飲むなと言われていた。酒飲むのには理由があるのだ。
今全く飲んでいない。もう一ヶ月だ。ポッチ飯って、楽しく有るべき食事が苦痛の場になるからだと思う。イジメに合わないためには一人になるほかない。そう言えば、高校の頃は、いつも早弁していたなあ。あれって、休み時間一人でいてもおかしくないし、昼休みも港一緒に過ごさなくて済むから一石二鳥。孤独な子供だったんだなあ。昼はマルタイの棒ラーメン好きだなあ〜トッピングを多くして、味を楽しむ。2人分を3人で食べた。
煮卵は市販品。
朝は野菜炒めを作った。ひき肉とキノコはフライパンで炒めて味を入れる。チリチリに炒めてジックリ脂を出して、醤油を焦がした。
最後に酒で旨味を鍋底から浮かび上がらせる。
キャベツとピーマンと玉ねぎを刻んどいて、思い切り厚くした中華鍋で回す。多めの油に放り込んで一回転させて野菜を油の膜で覆う。
塩を少し入れて浸透wつを使い水をおびき出す。
光熱で短時間で野菜の外壁だけを破壊して水分はできるだけ組織の中に残っているのが好ましい。
香りが出てきたら、ひき肉の鍋の方をくわえて回す。
野菜の組織の間に肉の旨味が入っていく。
少しカタクリを降っておびき出した水分が池にならないように回す。もやしがあるともっといい。かぼちゃとさつまいもは蒸した。
最後に合わせればよかった。次回はそうしよう。何度やっても改善は見つかる。それが人生である。(笑)
2月6日 ----g #牛丼 #ポテトグラタン #すき焼き仕立直し
昼のポテトグラタンと数日前のすき焼きの仕立直し、酢豚を食べた。
すき焼きは冷蔵庫に入れておいたので良いのだが、残念なことに手羽先は悪くなっていた。
お焼きを買ってあったので焼いて食べた。一つでは多いので半分は残したのである。今日は妻が遅いので、帰ってきたら食べれるようになにか用意することにした。多分水餃子とシュウマイを蒸してポン酢が良いかと思う。
満腹こそが重要である。できるだけ生命を多く食事で取ることである。炭水化物は嗜好品だから程々に、楽しむことである。そして心が満腹を知る。
動画は準備中
妻がパートなので何を作ろうかと悩んだが、グラタンになった。
マカロニを茹でて、先に炒めておいた鳥とにんにくオイルで炒めた。
玉ねぎ、人参、蒸したじゃがいも、大量の舞茸をくわえた。
美味しく出来た。すき焼き鍋がちょうど入るオーブンなのでいつもこれを使う。缶詰のグラタンソースは美味しいものであった。
夜は何を作ろうかねえ。
朝は娘が牛丼を買ってきてくれた。僕の20代の東京時代は、身体の1/3が牛丼で出来ていた。後の半分はカレーとで残りは蕎麦であった。
隙間にはライムサワーが満ちていた。
1980年代の頃に大きく牛丼業界は変わった。最初に東京に行った頃(1978年)は、大きな鍋がカウンターの奥にあってクツクツとにていた。
玉ねぎと肉は時折補充されて、店によって全く味が違った。
店員は高度な技術を持ち多くの牛丼屋さんがあった。
豆腐と糸コンの入ったお店や、でかい平皿に目一杯持ってあったお店があったり楽しかった。やがて、店から鍋が消えて遠いセンターで作られた冷凍のパックをチンして出すようになる。素材からの距離が離れていくのだ。
そして店員にはスキルが必要なくなり、定額の時給で働かせられる、経営者は時給を絞り、自分の取り分を上げる。株主は大儲けする。
格差が固定される時代の始まりである。健康の問題とも大きく重なってくる。1997年に生活習慣病という検査値の異常を病気とみなす法律ができる。
時給で働く私達は、ますます貧困となり、健康を失い、金持ちはますます金持ちになっていくのだ。
医者は当然格差の上の側にいる。しかし、自分たちも同じ道をたどるのだ。
2月5日 ----g #酢豚 #ベーコンキャベツ #冷凍焼き鳥
腹減って夜食食っちまった。
油通しは面倒だ。何よりもあとかたが大変だ。けど、独特の味がある。酢豚は野菜と根菜をガツンと処理して味を入れる。玉ねぎがオソロシク巧くできる。無論豚バラブロックが美味しいのだが、玉ねぎとピーマンは欠かせない。伝統的な料理法は素晴らしい。
お店に行って頼んで出てくるの待って、食べて買えると思えば家で料理するのは良いことなのだ。マルタイ棒ラーメンは美味しい。僕は大好き。妻と半分に分けて食べた。キャベツとベーコンのスープはスブ後は合わなかった。あっさりしたスープが良かった。まあ、明日食べようっと。
梅干しを出したので、玄米を久しぶりに炊いた。丸干しは美味しい。丸ごとハラワタまで食べれるのが素晴らしい。
カスベの煮付けが「こごり」になっていた。冬の味だ。これは作らないと食べることが出来ない。
マダラの子は昨日で終わった。冬は魚が美味しい季節だ。
手羽先と厚揚げの煮付けの骨はマユにあげた。
松前漬けをやっとたべ終わった。正月が終わった(笑)
2月4日 ----g #マユ飯 #パスタ #
昼にパスタを食べたら美味しかったので夕食はバラ肉のブロックの脂を吸わせることにした。
これが美味い。バラブロックのリヨー風マカロニである。
ジックリとかたまり肉の脂を出してニンニクと合わせて、マカロニにトマトソースをくわえて赤ワインで煮る。
炭水化物は美味しいものである。いろいろな素材をまとめてくれる。美味しさの接着剤だ。僕は毒だとは思っていない、
美味しすぎるから、それだけで満足するから、食卓から生命を押し出してしまうのだ。炭水化物テストというのを僕はいつも行う。その食卓から炭水化物を抜いて満腹になるかというテストである。
炭水化物は血糖値をあげる、しかし、血糖値と合併症の因果関係は見つかっていない。
相関関係はあるが、いくら血糖値を下げてもますます合併症は多くなっている。医師や栄養士こそこの事実を真面目に捉えるべきだ。僕はピンピンコロリの人生の終わりを迎えたいから食事を作る。
何種類もの薬を飲ませられ、検査値を下げても、合併症(致命的な組織や臓器の劣化)はあなたのもとに来る。
同じような手術を繰り返して、「経管栄養・胃瘻・輸液」でミイラのようになって施設で孤独に死ぬ。
年金ATMとなり、医療費を支払うことになる。医者はよく頑張りましたと褒めてくれるが、僕はまっぴらだ。褒められなくともいいから、自分の人生を頑張りたい。
手羽先と厚揚げを煮付けた。ドライトマトが新しい(笑)
パスタはマユネーズと卵とじ、チーズかけ、ストロングスタイルである。
昨日の青い葉に乗せるときれいだ。マユのご飯も豪華である。卵に肉の塊、俺でも食いたい。
マユのご飯を僕は作る。2019年9月25日以来毎日一日も欠かしていない。今では自分の飯より大事に作る。
以前はいくら呼んでも来てくれなかったのに、今は一目散に僕の布団に来る。犬には媚びを売るとか、そういう意識はない(と思う)。ただ自分の気持のいいところに行くのだ。同じものを食べるということは体内の代謝系がにたものとなる。当然、体内の海も皮膚も似たような代謝物に満ちるだろう。滑落する皮膚も、粘膜が腸腸に堆積してオナラとなり、身体はオーラに包まれるように「自分代謝物」に包まれる。それは他のコロニーに影響を与える。「自分と同じ匂いがする」のだ。「親の血を引く兄弟よりいも~」と時折歌いたくなる。
2月3日 ----g #肩ブロック炙り #余り物
肩ブロックの炙り焼きは、30分炙ってスライスしてフライパンで火を通して醤油と赤ワインで合わせる。
葉物のサラダにストロングスタイル(マユネーズで会わせるだけ)のマカロニ。鶏皮は弱火で照りをいれる。
汁は豆苗が強調。モツ煮を小鉢にした。スズキの白子はこれで終わり。
少し炭水化物が入ってくると満足が上がる。
おやきも1/4食べた。満腹は脂質と体内で脂質と体内で代謝された炭水化物が与えてくれると言うふうに僕は考えている。代謝の話は今度noteに書こうと思うのだが、あまりに長くなりすぎて検証すべきことも多くて困る。とは言っても大事なことである。自分の生き方につながるのだ。
スープカレーは数日前のもの、イワシの丸干は昨日の余り、鮭も昨日の朝焼いたもの鳥とウインナーは昨日の昼飯の残小鉢は先日のスズキの白子の余り、リーフサラダは昨日のもの。体軽く、満腹である。ほぼ調理はしていない。ミルクパンに余った汁などは入れておいて、後で食べると良い。ご飯は食べていない。何と酒飲んでいない。もうすぐ一ヶ月である。背中のアトピーが軽くなったようだ。
酒が悪いことは知っている。しかし止められないのは人生が辛からだ。
依存症は抜け出すのに覚悟がいる。
父の命日に死のうと思っているので酒飲まなくても良くなったのだ。
車を運転していて、唐突に泣き出したりするのはどう考えても統合失調症だろうなあ。妻や家族に怒鳴らなくなったのは寛解したのだろうか。今日も、父の命日のあと、どうするか思案中だ。おそろしく宗教的である。年金も足らないし、コロナで売り上げもないし、大金持ちに天罰が降る様子もないし。憂鬱である。
2月2日 ----g #ハンバーグ #サンドイッチ #汁 #丸干し
夜は汁を作った。
妻の弁当を作るのにいつも揚げ物だと面白くないのでハンバーグを作った。
小ぶりに作って焼き色を付けて、蒸し焼きにしてそのままおいておいた。
上手く焼けた。肉は基本的に弱火でジックリが美味しい。
ソースはケチャップに醤油を赤ワインで煮詰めるのが好評だ。
サンドイッチはポテサラを作るつもりで作り忘れたので鳥を蒸して挟んた。
いつもと違うので美味しい物である。
今日の晩御飯は何にしようか、妻も子供も遅い、マユくんとなにか食べよう。
2月1日 99.4g #揖保乃糸 #汁 #刺し身 #すきやき
揖保乃糸と言う素麺がある。僕は大好き。他社の追随を許さないコシの強い麺なのだ。時折無性に食べたくなるので、そういう時は食べる。
50gを茹でて、今日はポーチドエッグを作り焼き魚と先日のスズキの刺し身のフライを乗せた。あんまりうまくてもう50g茹でた。
スティマである。誰か金くれ。無論冗談である。後半は本気である。満腹になたら眠くなった。仕事しようと思ったのに。もちろん、揖保乃糸には罪はない。
牡蠣鍋を作った。ホタルイカとか牡蠣は沸騰したお湯に入れて、再沸騰後5分で鍋に汁を戻し煮えたところで牡蠣を乗せて出来上がり。揚げ物は酢とケチャップで甘酢にして食べる。刺し身が余っていたので被災ぶりに白米を食べることにした。マユのご飯を作ってあげた。マユと僕は同じ釜の飯を食べている。身体の内側の代謝系は同様であろうし、外部に滑落する皮膚や多くの代謝物は同じ。以前に比べてマユが僕の布団に入ってくるのはそのせいかと思う。妻も同じもの食べているがそういうことがない。
これh不思議である(笑)。食事が「群れ」にとってどのような意味があるのか考えているのだが、面白い。
ぬか漬けを出した。少し香りが強い。昨日までの残り物を食べた。
恵方巻きが半額だったので昨晩買って来たので食べた。
揚げ物は土曜日のもので、そろそろ食べるのが辛い。スズキの刺し身カツは夜には卵で閉じよう。鮭は朝妻が焼いたものである。結構な量である。心地よい満腹になるのが嬉しい。まもなく、酒を飲んでいない状態で一ヶ月になる。99.4kgになった。
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僕は、2021b年1月5日(母の6年目の命日)から酒が飲めなくなった。あれほど酒が止められなかったのにピッタリとやんだ。妻が「偉い偉い」と行ったので怒鳴った。僕は「自分が父を殺したという事」を認めあれなかったから酒が止められなかったのだ。認めることがやっと出来たのだ。痩せようと思って酒をやめたわけではない。
もう生きていなくていいと思ったから止められたのだ。
車の運転をしていると突然、泣き出すのも、そのせいだったのだ。妻は売り上げがないから、会社潰してコンビニで働けという。昨年の5月だ。まだ半年も経っていないのに介護しなくて良いのだから一日働けという。その時に大声で怒鳴り散らしたのも、父の命日に死ぬと怒鳴ったのも、自分が父を殺したことを認められなかったからだ。
妻が会社を潰せというのも当たり前だ、妻はパートに出ていながら、僕の方は国体が消えて売り上げが200万円減った。父の年金もなくなった。蓄えも少ない、アタリマエのことを言われたのだが、僕は死ぬつもりだった。
経営者保険に入っていたので2000万円はいってくるのだ。それで我慢しろと言うと足りないという。また怒鳴り散らした。
理解できない他人の行動を「病気だ」というのは簡単だ。しかし、それはその人に見えている世界に対しての当たり前の反応なのだ。
そしてnoteを始めた。
このnoteは遺言なのだ。なかなか書き終わらない。
その後、国からの補助金が出て、生活については一段落だ。けどこれからどうなるかわからない。父も母もいない。生きていても仕方がない。
統合失調症と診断されてよく効く薬をもらえただろうが頭の一部が麻痺するだけだ。
僕は心の病だろうか?
心の病と言われる病は、関係性の病なのだ。
僕は、医者には、いつも自分のこととして患者に向きあってもらいたい。
自分自身も研究者として、患者に向き合い、人として接したもらいたい、マニュアルから逸脱したら問題となるかもしれない。しかし、何かの道を探そうとする努力は続けてほしい。
ちょうど酒を飲まなくなって1ヶ月だ。
あと一ヶ月で一周忌だ。仏壇の前で一杯やる酒は買ってある。
なぜ、医師や研究者は自分が間違えていないと思うのだろうか?これだけ多くの人が「病因」がなく「症状だけの病」に苦しんでいるというのに、「生活習慣病」という患者の自己責任に押し付けている。やっぱ、役人である。上の言うことにはハイハイと言っていれば良いのである。治療メソッドすらもマニュアル通りにする他はない。それはそうだが、そのマニュアルが人々を苦しめているならば変えようと努力するべきではないか?官僚制度の長い階段の内でそんな事をしたら上に上る道は閉ざされる。そりゃ仕方ないだろうさ。けどね、あんたらも70過ぎて多くの臓器や組織は壊れだす。その時に今アンタ方がやっているように自分が苦しめられるのだ。
病院は病気を治さない場所なのだ。
そもそも腎臓結石があるなどと診断した救急搬送の担当医が悪い。老人が動けなくなるのは圧迫骨折が多いのだ。
背骨の圧迫骨折は直せないから安静死にていて下さい。立とうとするからそばに付いていて下さいと言ってくれればよかったのだ。苦しがるからギブスはやめてもいいです。気休めですから。とにかく体力を温存、本人が来たがらなかったら来なくてもいいです。ポータブルトイレを置きなさい。治りかけが一番経ちたがるので気をつけて。
先生に聞いたら、毎日一人は来るという。良い人物だったことは間違いはない。けど、「医者」でしかなかった。
マニュアル通りにしかアドバイスをできない医者は僕らを殺す。
色々と調べたが、背骨をセメントで固める治療だとか、若い人向けには治療法もあるが、基本的にどうにも手が出せないもののようだ。もし僕がそのくらいまで生きて、そうなったらここに書かれていることを思い出したほしい。ちなみに母も立てなくなって1ヶ月這ってトイレに行っていた。父の居室からトイレまで這っていけるようにすればよかったかも知れない。その時は父が毛布を廊下いっぱいに敷いていた。ベッドも使わなかった。あれもいい手だったかもしれない。考えると辛いが、頭に浮かぶ。
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