「敵ながら天晴れ」と言えるか
最近、複数の記事に強い刺激を受けましたので、言いたい放題します。
複数の記事に共通すると、私が勝手に思うのは、「敵ながら天晴れ」と言えるかどうか、です。
複数の記事のうち、今回はこれとこれです。
以下、記事1、記事2と呼びます。
「敵ながら天晴れ」の敵とは何か1
「敵ながら天晴れ」の敵とは何か。
記事1の敵とは、古い慣習です。
伝統、行事、祭り、法事、儀式など。
現代人の時間を奪うという意味で、敵です。
しかしながら、著者の岡田憲治さんからすれば、敵視すべきなのか、再考に値しました。
単純接触効果により共同体の強化が図れるから、否定できない。
また、共同体の強化が図れるなら、否定してまで全廃すべきでない。
そして、伝統や慣習に基づくものであるために、パブリックの概念に合わない。
氏子制度や寺請制度の名残りを否定出来ないし、名残りを排除してしまうと形骸化する。
バッファ(緩衝材)としての中間団体の効果や効能を説いておきながら、全廃すべきなのか。
うろ覚えですが、概ね、このような趣旨であったと思います。
岡田憲治さんは「敵ながら天晴れ」として認め、善悪二元論を捨てよう、と述べられていたことを覚えています。
(※覚えていますが、別の書籍かもしれません。)
義父母(祖父母)に予定を合わせてまでするべきか、というのは、手間ではありながら手間ではない、意義のあることだ、で良いと思います。
意義なんて「ある」ものでは無いですから。
意義は「見い出す」ものです。
無駄な伝統、敵ながら天晴れ。
時代遅れの伝統、敵ながら天晴れ。
意義を見い出せるなら、天晴れです。
「敵ながら天晴れ」の敵とは何か2
記事2の敵とは、弱者をカモにする組織です。
カモにする、というより、鴨葱にする。
そういう組織です。
記事1と違い、純粋に敵であり、悪です。
記事2では、「悪のワンストップサービス」だと、述べられています。
縦割らない悪。便利な悪。デジタルな悪。
総合性、利便性、即時性で、既存の公的支援より格段に優れてしまっているのです。
強調しますが、優れて「しまっている」のです。
弱者を末端の実行犯にする組織。
弱者を末端の資金源にする組織。
いずれも、現代的、かつ、令和的な組織です。
勿論、「残念ながら」です。
行政は今まで何をしてきたか。
屋上屋の会議の招集です。
プラットフォームとして会議をやっているんだ、何もしていないわけではないんだ、です。
既存団体の連携だ。相互作用だ。相乗効果だ。
「多様な主体が相互に連携することで」における「多様な主体」とは、既存団体のことです。
天下り団体の「元なんたら長」を含みます。
昭和的善は、現代的悪に勝つ気があるのか。
現代的悪は、「敵ながら天晴れ」と言いたくない組織ですが、「敵ながら見事だ」と強い危機感を持つべき対象であろうと思います。
「敵ながら天晴れ」で改善1
「敵ながら天晴れ」と受け止めると、改善出来ることは多いのです。
時代遅れの無駄な伝統では、単純接触効果が増加すること、中間団体のお試し利用になること、といったところです。
私はそこに、「アウトリーチの上手さ」もあると思っています。
過疎地は未だに長男が喪主です。
都市部は女性が喪主になることが増えましたが、妻がすることが増えたに過ぎません。
喪主なんてものは、「無理強い」です。
喪主になりたい人間なんて、いないのですから。
伝統的に「長男がやることになっているから」で無理強いさせてきたのです。
伝統的なアウトリーチの上手さだと思います。
「なっている」なら仕方ない、で諦めるから。
「なんで俺だけが」を挟む余地が無いからです。
「敵ながら天晴れ」で改善2
現代的悪の場合もそうです。
総合性、利便性、即時性が、現代的に更新されているところもそうですが、「敵ながら見事だ」で改善出来るところが、極めて多いです。
その中でも最たるものが、アウトリーチです。
現代的悪は、アウトリーチが極めて上手です。
公的な側がどれだけ「アウトリーチだ」と言おうと、「プッシュ型支援だ」と言おうと、です。
公的な側は、昭和的善で、下手なままです。
現代的悪は元々が上手いし、さらに上手になる。
勿論、残念ながら、です。
「敵ながら見事だ」で最も改善するべきなのは、弱者支援の屋上屋づくりではありません。
弱者支援のデジタル化やDXでさえありません。
敵ながら見事なアウトリーチなんです。
敵ながら見事なプッシュ型支援なんです。
公的な側は「保護者等の多様な主体等を通じて」でアウトリーチしようとして、下手なままです。
勝つ気は本当にあるのか。
下手なままの公的な側、昭和的善が、もし仮に、元々上手い、さらに上手くなる現代的悪に対し、勝った場合、それは「まぐれ勝ち」です。
まぐれ勝ちが続くことなんてありません。
「敵ながら見事だ」で改善しないといけません。
「等」について
「等」についてはこちら。
1から9まで、連続で述べています。