系列崩壊時代に日本企業はどう動くべきか
近畿工作機は生き残りを賭け、系列会社の切り捨てに手を付けた。
これまでのように無条件に系列会社に発注することはなくなり、系列外の装置メーカーや海外メーカーにまでRFPを出し、提案を求めるようになった。小野寺工業が近畿工作機の案件をはじめて失注した時、社内に衝撃が走った。受注したのは英国のメーカーだった。
小野寺工業は業績が悪化し始めてやっと、自分たちの置かれた状況に気付いた。
近畿工作機だけを頼みにしていたのでは、近い将来、事業は成り立たなくなる。実際、この年の事業運営は赤字転落の危機を迎えていた。かろうじて黒字を維持できていたのは、その他の2つの事業があったからだった。
1つは、とあるきっかけで小規模に始めた、海外汎用工作機メーカーに加工制御ソフトウェアを提供する事業。もう1つは、海外の大型工作機メーカーからたまに引き合いが舞い込むだけの装置構成機器事業。
機器とは、加工制御装置の一部である。これらが、それなりの規模に成長していたからだった。そうは言っても、従来からの加工制御装置の事業とこれらの事業の間には、売上規模で10倍以上の開きがあった。
小野寺工業の経営陣は焦った。
小野寺工業は、2年前まで加工制御装置の制御ソフトウェア事業を事業部長として率いていた笠間徹をリーダーに、変革チーム「OBF(Our bright future)」を立ち上げた。 OBFは社長の肝入りで発足したが、その実態は、笠原の下に元部長で出向先から戻ってきたばかりの村山と、案件の狭間で時間を持て余していた現場のメンバー中本を加えた3名体制であり、社長からは「事業安定に向けて不退転で改革に取り組むように」との指示を受けただけのものだった。
笠間は、小野寺工業社員の事業に対する価値観やモチベーションに問題があると考えた。
小野寺工業はこれまで営業努力をすることなく、近畿工作機からの発注だけで事業を継続してきた。状況が悪化した今でも「いざとなったら近畿工作機が助けてくれるだろう」「ほかのお客との取引は、近畿工作機の心象を悪化させるだけだ」と公然と主張する役員が多かった。
笠間は思った。
「そうは簡単にほかのお客を取れるわけがない」
「しかも新しい顧客となれば、それは海外顧客のはず、生半可なことではない」
小野寺工業の海外事業経験はゼロではなかったが、それは細々と続いているだけの機器販売の経験でしかなかった。
OBFは海外顧客にターゲットを絞ると発表したが、ある人物はそれに不安を募らせていた。執行役員の大島だった。彼はもともと、加工制御ソフトウェアの分野で第一線として近畿工作機とやりあってきた、優秀なソフトウェアエンジニアだった。彼はかねてから「近畿工作機だけに頼るのは危険だ」と主張していたが、当時は誰も聞く耳を持たなかった。
大島は自ら行動し、海外汎用工作機メーカーに加工制御ソフトウェアを提供する目的で汎用ソフトウェア事業部を立ち上げ、その責任者となった。小規模ではあったものの安定した事業となり、今に続いている。この功績が認められて執行役員となり、今では加工制御ソフトウェアの開発を担うソフトウェア開発本部の本部長の座についている。
笠間たちは、海外事業の立ち上げを甘く考えていた。
先ずは自分たちが先駆けとなり、国内事業しかやってこなかった各事業部から海外専任メンバーを選抜し、事業部内に海外専任チームとして組織化することを考えていた。組織体制が整い、基本的なビジネスプロセスや規定ができれば、あとは事業部が国内での経験を活かしてうまくやってくれるだろうとの読みであった。
大島は笠間との立ち話で、大島の考えの甘さを感じ取っていた。大島は「海外事業の立ち上げは、顧客開拓から始めなければならないし、近畿工作機依存でやってきた国内での経験なんて何の役にも立たないにちがいない」と考えていた。
彼は早速、懇意にしているコンサルタントにメールをした。このコンサルタントとは、汎用ソフトウェア事業を立ち上げる際にいっしょに汗を流した間柄だった。
コンサルタントの浦田慎二は数度に渡って大島と議論した後に、笠間たちOBFのもとを訪ねた。
浦田は海外でどうやって顧客を獲得する気なのかを尋ねたが、笠間たちは明確な答えを持っていなかった。笠間が「自分たちは仕組みを作るだけで、実際に案件をやるのは事業部です」と答えただけだった。
浦田は、そんなやり方では事業の立ち上げにはならないと力説した。
「かたちだけ作っても、事業が立ち上がるはずがない」
「少なくとも戦略やターゲットセグメントを決め、段階的な立ち上げステップを決めなければ、おそらく誰も動かない」
浦田は話の中で、小野寺工業には自律型ビジネスの経験がないことを知った。
近畿工作機の言いなりに製品を開発してきただけの小野寺工業には商品企画の経験はなかった。海外事業の顧客が、近畿工作機のように手取り足取りやってくれるとは考えられない。しかも、笠間たちはそのことに全く気付いていない様子だった。「これは大変なことになってきたぞ」と浦田は低く唸るような声で言った。
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[場当たり的な後藤部長の思考]
系列崩壊と騒ぐ人もいるが、築き上げてきた信頼関係は並大抵のことでは崩れない。事実、私が会っている近畿工作機の人たちは、私たちを頼りにしている。気の迷いくらいはあっても、近畿工作機が私たちを切り捨てるなんてありえない。今は軽率な行動をとることなく、小野寺工業にくっついているのが一番だ。
たとえ系列から切り捨てられるようなことがあったとしても、私たちには系列で磨き上げてきた技術力がある。もし自由な身になったとしたら、国内外の工作機メーカーが放っておくわけがない。よほどの不運が重ならない限り、食うに困ることなどありえないよ。
[本質に向き合う吉田部長の思考]
10年前ならまだしも、系列が絶対的なものであるはずがない。系列は事業運営の手段のひとつでしかない。今の近畿工作機は、系列外企業への開放に踏み切ったほうが得られるベネフィットは大きい。これは十分にあり得るシナリオで、動き出したら歯止めは利かない。
そうなった場合、私たちはオープンな競争市場で生き残れるだろうか。生き残るためには、社内に存在していない顧客開拓能力や案件発掘能力、商品企画能力が少なくとも必要になる。単に技術力があるだけでは歯が立たないし、その技術力だって、顧客の要求や期待に合致したものでなければ意味がない。
つまり、今のままでは生き残れないということだ。行動を起こすには今しかない。
[ポイント]
競争市場で生き抜くためには、それに必要な機能を洗い出し、現状とのギャップを明らかにしなければならない。小野寺工業のように系列の中にいたがゆえに営業努力が必要なかった企業には案件獲得のための機能は欠損しているだろうし、指示されたものを提供してきただけの企業には商品企画機能は欠損しているだろう。
ギャップが明らかになったら、次は分析である。分析に向けてはギャップの大きさや対象領域の違い、解決の可能性や解決に向けた方針などを構造化して整理する。
整理できたら、それを眺めながら、さまざまな観点から思いを巡らすことになる。どのギャップを優先的に解決すべきか。どのような解決手段があるのか。解決の難易度はどの程度か。
この先にはターゲットセグメントの選定作業が待っているが、ここでは、いい面だけでなく悪い面にも目を向けなければならない。先ほど洗い出したギャップが案件攻略にどんな悪影響を及ぼすかは重要だ。解決の目途が立ったギャップならまだいいが、先行きが見えないときはターゲットの見直しも視野に入れる必要がある。
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