masaki_tani
アートに関わる記事
この小説は僕が16歳だった頃に、凡そ1年ほどかけて書いたものです。当時流行っていた映画やアニメ、ライトノベルなど様々なものに影響を受けつつ、所々オマージュしながら書き進めていました。 きっかけは2006年の北朝鮮によるミサイル発射実験だったと記憶しています。世界とは、戦争とは、社会とは、他者とは、自分とは、一体なんなのだろうと、とても切迫感のある中で問い始めました。そして現実の日常とは別に自分の想像を小説で描くことを通して、混沌とした感情や理想とする妄想などエゴイズムに満ちた世界と、大人の社会や不条理など突入すべき未来の世界とを掛け合わせることで、大人になっていくことへの実感を捉えようとしていたのかもしれません。 そうした青い高校生が書いた文章ですので、どうぞ大らかな心でお読み頂ければ幸いです。
この3か月ほどで爆発的に関西での活動が広がりました。 きっかけは去年10月に開催されたArt live Kobeというホテルワンフロアを貸し切ったアートフェアのコンペに入選し、展示販売を行ったことです。 webサイト上で360度ギャラリーが見られるので是非ご覧ください↓ 他にも様々なコンペや展示に参加することが急に増えたのですが、個々についてはまた詳細を書ければと思っています。 今回はこのArt live Kobeにおける僕の試行錯誤について振り返りつつ、実施してみた
こんにちは。美術作家の谷正輝です。 前回の記事よりかなり日が空いてしまったので、現状報告から致します。 去年の5月に地元の兵庫県神戸市にて個展を開催して以降、様々な所で発表させて頂く機会に恵まれました。 去年10月に出展したパリでの展示をきっかけに現地のギャラリーにお声がけ頂き、今年は海外での展示が複数入っているため、またそこで得た知識や情報なども今後まとめられればと思っています。 さて今年はそういった活動に際しても重要となるコンセプトの見直しとして、かねてより構築して
去年の10月になりますが静岡県で開催された、かけがわ茶エンナーレという芸術祭に出展させて頂きました。 その際に発表したのが《syncasync RMCVI 16102021》という作品で、遠隔型(リモート)マルチチャンネル・ヴィデオ・インスタレーション(以下RMCVI)と形式を銘打って行いました。 マルチチャンネル・ヴィデオ・インスタレーションとは、複数の映像ディスプレイを配置したインスタレーション作品のことです。 まず僕が現地で制作したインスタレーション作品と共に、パ
25. 三月中旬。終に人革連は全ての軍事勢力を平定し、日本を再び一つにまとめ上げた。しかしここ数年の内乱により各地方では独自の自治体制が残っており、それを中央集権体制にするにはまだまだ時間が掛かりそうだった。そこで人革連は新たな日本を「大日本国連邦」の名の下に新政府を樹立し、それを世界へ正式に発表した。 日本が再び一つになれば諸外国がまた攻め寄せてくるのは目に見えていた。瑞貴はそれを見越して国際宣言より前に、三菱UCと結託し武器補給を十分に整え、国家総動員法を発令
18. ――21時15分、沖縄、嘉手納基地―― 本部棟の通信室には黒離島攻撃部隊の情報が随時伝達されていた。そしてその情報は和泰によって自室にいる大村大将へ報告される。 「大村大将、我が軍の航空機戦力はほぼ壊滅状態です。やはり永見由玖斗と思しき機体を目撃したとの情報が多数寄せられています」 大村大将は和泰に背を向けたまま窓の外へ目を向けていた。遠くに見える滑走路を真っ白な冷えた光が照らし出している。真っ暗な部屋に入ってくるのはその窓からの光だけで、大将のシルエ
第2楽章 カミの統合そして見惑羽ばたけ 大空に 駆け抜けたまえ 明日の日に向かって さすれば見出せるであろう カオス(混沌)の下にある コスモス(秩序)の種 大海に漂う自由は そしてなぎさに流れ着くのだ 本間中将の愛読書「なぎさにかえる」より 13. 北緯37度15分、東経131度52分の日本海に竹島という島がある。1952年、当時の大韓民国大統領李承晩が自国の支配下にあると宣言し、現在も韓国側が武力による占有をしているため、日本との間で領土問題が起きていた。
10. 西日が窓から赤い光を射る頃、由玖斗は食堂に置かれたテレビを食い入るように見ていた。一ヶ月ほど前の11月12日青森県砂戸羽市に起こった事件を「大崎暴動」「桂木町事件」と題して報道していた。人革連政府の非人道的な対処に、報道側は強くこれを批判した。 由玖斗は箸を放り投げて食堂を飛び出していった。 「おいっ、どうした?」 不思議そうな顔で久保が尋ねたがそれは由玖斗には届かなかった。ニュースのアナウンスがBGMのように流れ続ける。 次のニュースです 東北
6. ――新潟県 佐渡島南部 佐渡島基地―― まだ残暑の残る9月であった。日本人とイタリア人のハーフであるナターシャ・トルスカヤは、戦場ジャーナリストとして母親の母国日本へと足を踏み入れた。 そこは佐渡沖対馬海流が流れている影響から暖流と寒流の接点にあるため、植生が極め豊富であり、島内で北海道と沖縄の両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい植生地域であった。ナターシャはこの佐渡島基地にユニークな大尉がいるとの話を聞いてやってきた。少年飛行隊の中でもナンバーワン
3. 葛西瑞貴(かさいみずき)は数奇な運命を背負っていた。 彼は、足の不自由な娘一人をもった未亡人と偶然一夜を共にしてしまった男との間に出来た子であった。母は男の元を離れ三人での生活を始めた。しかし長続きはせず、ある日彼と娘の瑳夕(さゆ)を親戚の下に預けたまま二度と帰ってこなかった。その後親戚中をたらい回しにされた挙句、叔父叔母夫婦の下に引き取られることになった。戦前の物価高騰の中、要らぬ食いぶちとなった瑞貴と瑳夕に叔母は激しく当たるようになっていった。中学を出る
第一楽章 「紺碧の手垢=ストイケイア」 「青い春かぁ。昔の人も詩人だね」 「果たして春が青いのか、それとも春だから青いのか」 「どういう事だい、ユナ?」 「うん。例えば花弁にデルフィニジンを蓄積させられれば、伝説の青い薔薇が生まれるんだ。もちろん春を憂えた人間の手によってね」 「それがユナにとっての青春?」 「そう。サイにとっての青春は?」 「・・・空腹感、かなぁ」 1. ――命篤15年―― 開戦より三年。同盟三国に対し、イギリス・アメリカの物資援助など後方支援
この小説は僕が16歳だった頃に、凡そ1年ほどかけて書いたものです。当時流行っていた映画やアニメ、ライトノベルなど様々なものに影響を受けつつ、所々オマージュしながら書き進めていました。 きっかけは2006年の北朝鮮によるミサイル発射実験だったと記憶しています。世界とは、戦争とは、社会とは、他者とは、自分とは、一体なんなのだろうと、とても切迫感のある中で問い始めました。そして現実の日常とは別に自分の想像を小説で描くことを通して、混沌とした感情や理想とする妄想などエゴイズムに満
(この文章は過去に書いたブログの移植です。今後最新のものを投稿できればと思います) 2021/2/6 私が制作の理論としているのが支持体論というものです。これは「すべての存在は、より高次元から見ると何か別のものを形作るための支持体(材料)としても存在する」という言葉でこれまで説明してきました。この考えは、知覚も認識もできないような事柄を中心主題にしようと感じたからです。今回は、なぜそのような荒唐無稽で夢想的なことを考え、制作していくことが重要なのかについて語ろうと思いま
(この文章は過去に書いたブログの移植です。今後最新のものを投稿できればと思います) 2020/10/23 コロナが続いていくなかで、内省的に自身の作品を眺める作家は少なくないと思います。 私はコロナだからというわけではありませんでしたが、この1年半ほどはそのように省みながら、いくつもの実験や小さな作品の制作を行ってきて全く展示をしませんでした。 その理由は単純に、新しい職場でしっかりと動けるようになることを優先した生活を送ってきたからですが、今後の生活がWithコロナ
(この文章は過去に書いたブログの移植です。今後最新のものを投稿できればと思います) 2020/6/9 なんと3年ぶりの投稿となります。 その間で起こったことを挙げながら、再スタートのあいさつと致します。 (1)静岡から京都、そして神戸へと拠点の変遷がありました。 (2)会社を休眠し、彫刻家・名和晃平さんのアシスタントを1年ほど担い、現在は放課後等デイサービスの運営を行っています。 20代から30代に入り、公私共に様々な挑戦も挫折も経験しました。 得るものばかりで
(この文章は過去に書いたブログの移植です。今後最新のものを投稿できればと思います) 2017/5/12 2017年4月の美術批評誌『REAR(リア)』の特集は「アーカイヴは可能か?」でした。 掲載稿の中でも太下義之(三菱UFJリサーチ&コンサルティング、芸術・文化政策センター主席研究員/センター長)による「文化政策としてのアーカイヴ -周回遅れからの逆転のために-」の前半は、2001年11月成立の「文化芸術振興基本法」のアーカイヴに関する記述の紹介と考察で構成されいてい
(この文章は過去に書いたブログの移植です。今後最新のものを投稿できればと思います) 2017/4/19 まず私事から入りますが、2017年3月をもちまして無事大学院を修了し、今更ながら社会人1年目となりました。 同時に5月より、これまでの個人事業を法人化して「合同会社 Bambrook」として新たな歩みを踏み出すことになりました。 今後の成長も温かく見守って頂きつつ、いや、見守るだけでは…!という方がいらっしゃいましたら、是非お声がけ頂ければ幸いです。 2017年5月号