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thanatos #6

第2楽章 カミの統合そして見惑

羽ばたけ
大空に
駆け抜けたまえ
明日の日に向かって
さすれば見出せるであろう
カオス(混沌)の下にある
コスモス(秩序)の種
大海に漂う自由は
そしてなぎさに流れ着くのだ

本間中将の愛読書「なぎさにかえる」より



   13.

 北緯37度15分、東経131度52分の日本海に竹島という島がある。1952年、当時の大韓民国大統領李承晩が自国の支配下にあると宣言し、現在も韓国側が武力による占有をしているため、日本との間で領土問題が起きていた。
 その竹島沖数十キロに第二艦隊が駐留していた。垂花、連闘を従えた双龍が大海原の中、寂しそうに碇を下ろしている。
 現在韓国は中立の立場を貫いており第2艦隊は韓国政府との交渉の結果、島の周囲10キロ以内を侵入とみなすことを明示した上で艦隊の駐留を黙認した。

 瞼の向こう側が眩しい。
 真っ白のようで真っ暗だ。
 僅かな隙間からの光を瞳が射す。
 「・・・ちょう・・・隊長っ・・・」
 覗きこんだ黒い影が徐々に色身を帯びていく。下平の心配そうな顔が浮かんできた。
 「良かった、隊長」
 由玖斗は包帯の巻かれた額に手を当て、体をゆっくりと起こそうとした。すかさず下平がそれを手助けする。
 「下平・・・赤城はどうした?」
 下平は答える代わりに反対側のベッドを示した。
 ベッドに横になった赤城の口には人工呼吸器が取り付けられている。もちろん眠ったままだ。
 「命に別状はないそうですが、重体です・・・」
 「そうか・・・」
 由玖斗は再び視線を布団の上へ戻す。純白が冷たい光を反射する。目の奥が痛い。
 「・・・ここは?」
 「双龍の医務室です」
 「双龍・・・?第2艦隊の?」
 「はい。彼らが我々を助けてくれたようです」
 「どういうことだ?艦長が俺たちを匿ってくれているのか?」
 「というより・・・隊長を引き入れたいようです」
 由玖斗は下平の曖昧な返答に顔をしかめた。
 「引き入れる?」
 「えぇ。現在第2艦隊は政府から離反しているそうです」
 「何だって?一体何故だ?」
 「それは・・・」
 下平の顔が急に陰りを見せる。唇をかみ締めながらゆっくりと傍らの椅子へ腰掛けた。青白い顔が一層青ざめていくようだった。
 「どうした?」
 由玖斗が問い詰める。下平は静かに息を吐いて口を開いた。
 「嘉手納基地から脱出したあの後、自分は和泰さんに引き止められました」
 「和泰が・・・?何を話した?」
 「極秘計画です」
 由玖斗は眉根をひそめて下平の言葉を待った。
 下平は宙に視線を向けて語り始めた。
 「現段階になってやっと日本の勢力は大きく二つに分けられるようになりました。一つは我々政府軍。もう一つは人革連。平安団は人革連に付随しているので数えませんが、あとの少数の軍事勢力を除けば、将来日本を統一することになるのはこの二勢力のどちらかのみです」
 「・・・それで?」
 「はい。しかし、もはや本島における政府軍の勢力も九州を残すところとし、この先の情勢は我々に酷なものと想像されます。そこで政府は・・・最終手段に頼らざるを得ないと判断したわけです」
 「最終手段・・・それは何だ?」
 下平が視線を由玖斗へ向ける。
 「首都核攻撃です」
 あまりに唐突なことに由玖斗は思わず言葉を失った。
 「人革連本部のある東京を丸ごと破壊するつもりです」
 「そんな馬鹿なっ、東京にいるのは人革連ばかりじゃないんだぞ!」
 「その通りです。1200万あまりの人民の命も失われます」
 「そんなことをして何の意味があるんだ・・・!日本の中枢機関を一気に失えば、諸外国の格好の標的になってしまう!」
 「上層部は・・・もはや人革連を倒すことしか頭に無いようです」
 下平は悲しそうに目を伏した。
 「・・・それを、和泰が教えたのか?」
 「はい・・・。基地をうまく脱出できれば、隊長に知らせるよう言われました」
 ということは・・・
和泰は政府側にいる・・・?
首都を破壊するつもりでいるのか?
「第2艦隊隊長である本間中将はこの計画に反対し、しばらく前に南政府軍から離れたそうです」
説明し終えた下平はうなだれるようにして顔を手の中へ沈めた。
「東京にはっ・・・自分の家族がいます。このままでは・・・」
下平の荒い息遣いが聞こえてくる。顔を覆った手が震えていた。
赤城のマスクから漏れる呼吸音が嫌に大きく聞こえた。

――二週間後、空母双龍内――

 コッコッコッコッ――
 通路に響く足音はやや急いている、と共に何かを踏みしめるような重さを感じられる。
 真新しい黒の軍服を着た由玖斗は足早にパイプのような通路を歩いていた。

 瞼の裏に下平の小さな背中が焼きついている。
 父と母と弟が残っています、下平の言葉が木霊する。
 父はこの戦乱で職を失い、家族を支えられるのは自分だけでした。
 まさか政府の手によって・・・。
 自分はいったいどうしたら良いんでしょうか、隊長・・・。

 艦長室のドアに手をかけた時、中から大きな音と激しい怒号が漏れてきた。由玖斗は厳しい顔をしてドアをノックした。
 「入りたまえ」
 しわがれた声が木の板を通って答える。
 「失礼します」
 由玖斗は部屋に入ると敬礼をした。奥にいた白い髭を蓄えた初老の男が優しそうな目で頷く。彼こそが第2艦隊司令官にして双龍の艦長、本間権三中将であった。真っ白な軍服の胸元には幾つもの勲章が重たそうにぶら下がっていた。
 本間中将の前には、まだ体中に包帯を巻いたままの赤城がいきり立ってテーブルに手を突いていた。赤城がぎろりと鋭い視線を由玖斗へ向けた。
 「赤城、いい加減にしろ」
 由玖斗も鋭い瞳で赤城を見据えた。
 「誰に向かって口を利いてると思っている。歩をわきまえろ」
 「お前のような繰上げ隊長に従うつもりはない」
 赤城が鋭い形相で由玖斗に詰め寄る。
 「赤城、少しは落ち着け」
 「またそれか!」
 赤城はうんざりしたような顔で声を荒げた。
 「お前はいつもそれだ!東京が吹き飛ばされようとしている時に、どうして落ち着いていられるんだ!」
 「焦っても何も変わらない!」
 思わず由玖斗も声が上がる。
 「行動せずに何が変わる!」
 赤城は本間中将を一瞥して続ける。
 「情報を掴んでおりながら既に何日が経った?ただ手をこまねき、首都の人間が焼き殺されるのを黙って見ているのか!俺たちは何のために国を守っている!」
 いつの間にか赤城は肩で息をしていた。歯を食いしばって由玖斗を睨み付ける。
 由玖斗は赤城の真っ直ぐで単純な意見に反論することが出来なかった。軽く息を吐き出して本間中将の下へ歩み寄る。
 「艦長、自分もこのまま何もしないでいるのはどうかと思います。赤城の言うとおり、刻一刻と首都の破壊は近づいています」
 それまで口を閉ざしたまま二人の会話を眺めていた本間中将がゆっくりと口を開く。
 「この戦力で挑んだとしても、沖縄へたどり着くことは不可能だぞ?」
 「承知しております。しかし、政府を陥落させることは出来なくても首都を核から守る方法はないのでしょうか?」
 本間中将は溜息のように長い息を吐き出し、黒い椅子から重そうに腰を上げた。中将は全てを悟っているかのような落ち着いた笑顔で二人の若者を見やった。
 「こんな仕事を長くやっているとね、どうでもいい勘と言うものが就いてしまうのだよ」
 本間中将は窓の外へと視線を移す。立ち込めるどんよりとした冬の厚い雲のせいで、水平線から闇のグラデーションが迫っている。共に外へ目を向けていた由玖斗は、その光景に思わず身震いした。
 「ここぞと言う瞬間、と言うのかね。私にはどうも、それがまだのような気がするのだよ」
 本間中将はそう言って困ったような顔で二人へ目を戻す。赤城は唇の端をかみ締めた。
 「くっ・・・、失礼します!」
 乱暴に挨拶して赤城は部屋を後にした。粗雑な足音は次第に小さくなっていった。
 「申し訳ありませんでした」
 由玖斗は静かになった艦長室で頭を深く下げた。
 「どうか寛大な処置を」
 「私がいつ彼を処罰するといったかね?」
 本間中将は優しく由玖斗へ微笑みかけた。
 「一人でも兵が欲しいこの状況で誰かを罰するほど私も愚かではないさ」
 「有難う御座います」
 再び由玖斗は頭を下げた。それを本間中将は困ったような顔で見やる。
 「どうも君は肩に力が入りすぎているようだね」
 「はっ・・・?」
 由玖斗は驚いたような顔で中将を見上げた。
 「軍規に忠実なのは感心だが、それに固執しすぎるのはどうだろうね。幾ら機械的な規律を敷こうと、結局は人間相手の仕事だ。人間的に動いてこそ然りだと私は思うのだがね」
 「・・・それは、赤城のことでしょうか?」
 由貴との問いかけに本間中将はニコリと笑った。そしてのんびりとした口調でこう返す。
 「もう年が開けるねえ・・・。今年もまた、艦の上で雑煮を食うことになりそうだ」 

 由玖斗はブリッジから出て右の飛行甲板へ出た。暗緑がかった黄昏の中に飛行機は一機も見当たらない。
 政府は本間中将を引き入れようとした際、彼の離反を恐れて予め双龍から全ての戦闘機を陸へ上げてしまっていたのだ。本間中将と彼に従う部下たちは、それを承知で強行手段に出たのだった。巨大な空の母艦は今、一切の飛行機を積んでいないのである。
 飛行甲板の端には闇の中に身を投じた赤城が静かに波の音を立てる海を眺めていた。懐から煙草を一本、ライターと一緒に取り出す。風があって中々ライターに火が着かない。親指の辺りを細かな煌めきがチラチラと踊る。
 「煙草は止めておけと言っただろう」
 由玖斗の声を聞いて、赤城はゆっくりと息を吐いて煙草とライターをしまった。
 「お前は学校の先生か」
 視線を遠くへ向けたまま赤城は由玖斗に応えた。由玖斗は赤城の隣で小さく笑った。
 「そうだな。将来は教師になってみたかった」
 「将来、か・・・。俺たちには程遠い響きだな」
 「そんなことはないさ。未来はいつでもやってくる。俺たちが生きてさえいれば」
 「今のこの国では、それが一番難しいことだ」
 「確かに・・・」
 冷たい風が二人の頬を打つ。赤城が小さく鼻をすすった。
 「下平は?」
 由玖斗は思い出したかのように尋ねる。
 「さぁな。また何処かでべそかいてるんだろう」
 赤城はうんざりする様な顔で応える。
 「東京には下平の家族がいるそうだ。俺たちよりもよっぽど深刻なはずだ」
 「・・・そうか」
 赤城は目をしばらく閉じた。皮膚の重なり合った瞼の先が少し温かい。
 「赤城は?家族はどうしてる?」
 「実家は福井にある。もうだいぶ前に人革連に占領されたらしいがな。俺は次男坊だから、自ら軍に入ったんだ」
 赤城は少し目を伏せる。
 「出征の折に母から言われた。俺のことはこの日から死んだものとする、と・・・。だから俺には待っている人間もいない。もしかしたら、俺の方が下平よりも随分ましなのかもな・・・」
 「そんなことない」
 由玖斗の角のある声に赤城は少し驚いて彼に顔を向けた。しかし意に反して由玖斗は微笑みかけていた。
 「そんなことないさ。今だって赤城のお母さんはお前の無事を願ってるはずだ」
 赤城はしばらく呆然とするように由玖斗を見返していた。互いの表情は既に暗がりで分からない。赤城は唇の端を噛んで顔を背ける。
 「お前の親は?どうしてる?」
 「父親は俺が五歳の時に死んだよ。母親も・・・この夏に病死した」
 赤城はすぐに言葉を返さなかった。
 「そうか・・・」
 「でも妹がいる。幼馴染の所で世話になってる。俺の生き甲斐だ」
 「そうか・・・」
 短く返す赤城の語尾が微かに震えた。長く沈黙を吹き飛ばすようにして肺の空気を全部吐き出した。
 「・・・俺は・・・おごっていたのか・・・?」
 赤城は自問した。
 「今まで俺は両親のことを憎んでいた。心のどこかでそれは自分の身勝手だと分かっていたのに・・・。でも本当はそれ自体が、贅沢で――」
 「人の悩みに大きいも小さいも無い」
 由玖斗は空回りする赤城の言葉を遮って言った。
 「ただ、俺は運が悪かった。下平も運が悪かった。お前だって運が悪かった。それでいいだろう?」
 赤城はまた硬く目を閉じた。今度は目頭全体が熱かった。
 「さっきは悪かったな」
 赤城が素直な言葉を吐露する。
 「いいさ。むしろ艦長はお前のことを褒めているようだった」
 「艦長が?あの人も可笑しな人だ」
 「そうだな。並みの人間じゃないのは確かだよ」
 赤城がくすりと笑う。
 由玖斗がくすりと笑う。
 足元の小さなライトが二人の姿をおぼろげに浮かび上がらせていた。

 突然誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。由玖斗と赤城は揃って音の方へ振り返る。ブリッジの窓には出来る限りの光の漏れを防いでいるので、真っ黒で巨大な陰が二人の前に立っているようだ。その手前にもう一つ小さな人陰がこちらに向かっている。
 人陰が二人の前で膝に手をついて息を整える。
 「どうした、下平?そんなに急いで」
 由玖斗が尋ねる。
 「っ・・・今、連絡があって・・・」
 「誰からだ?」
 赤城も訝しげに訊き返す。
 「・・・井澤大尉から・・・」
 由玖斗と赤城は目を見開く。
 「本当か!」
 「生きていたのか!」
 二人が同時に声を上げた。
 「・・・はい。山口沖の韓国との領海付近にある、黒離島という無人島からだそうです」
 由玖斗と赤城はその言葉を最後まで聞かずにブリッジへと駆け出していた。
 「あっ、ちょっと、二人とも!待ってくださいよ!」
 駆ける三人の足元を、分厚い雲から様子を窺う月が白く照らした。
その時、確かに彼らは翔けていた。
銀色に映える海面は永遠のような沈黙を守ったまま。



   14.

――沖縄、南政府軍本拠地、嘉手納基地――

 そこは小さな宴会でも開けそうなほど広い部屋だった。部屋の上座には豪勢な黒革の椅子が据えられている。そこには目の細い初老の男がどかりと座っていた。彼こそが日本国内閣総理大臣であり、南政府軍司令部総長、を兼ねている大村一輝(いっき)陸軍大将であった。事実上、旧政府軍のトップに立つ男である。
 「第2艦隊の居場所を突き止めた」
 大村大将はにやりとして言った。
 「はっ」
 応えたのは・・・和泰であった。きっちりとした軍服に身を包み、厳しい目付きで大村大将を見返していた。
 「竹島付近の近海に駐留していたらしい。あそこは韓国が領有しているからな。滅多なことでは我々も近づけなかったが・・・。まったく、小ざかしい真似をする」
 和泰は大将との会話では必要以上のことは何も答えないようにしていた。それでも大村大将は上機嫌で続ける。
 「永見・・・由玖斗、だったか、少年撃墜王というのは。君と同郷だったらしいな?」
 「はっ。同じ学校で学んだ友でした」
 「そうか・・・。それは悪いことをしたな」
 全く白々しい口先だけの言葉を大村大将は吐いた。その証拠に口元は緩み、目はそれまで葬ってきた敵の残像を眺めてあざ笑っている。
 大村大将は低く笑い声を漏らしながら椅子から立ち上がり、窓へゆっくりと歩み寄る。
 「あと少しだ・・・。あと少しで人革連の連中を排除することが出来る」
 大村大将の意地汚い笑みを見て、和泰は目を細めた。
 「私はそうとは思えません」
 大将は怪訝そうに眉を顰めて和泰へちらりと視線を向ける。
 「・・・何故だね?」
 言葉は選んでいるようだが声が冷静さを失っている。
 だからこの人は駄目なんだ。
 「永見由玖斗は私の知る限り、あのようなことで死ぬ人間ではありません。この目で死体を目にするまで安心することは出来ません」
 「君は友人の屍を持って来いと言うのかね?」
 「公私混同を避けているまでのことです。この国のため我々の邪魔になるようなことならば、それがたとえ友人であろうと殺すべきだと」
 ふんっ、と大村大将は鼻で笑って窓の外へ目を戻す。
 「それと――」
 和泰は厳しい目のまま大村大将に一歩詰め寄る。
 「――302飛行中隊所属の井澤大尉」
 大村大将はぎくりとして同様の眼差しを一瞬和泰へ向ける。
 「取り逃がしたのですね?」
 大村大将はしばらく水平線へ視線を固めたまま黙っていた。
 「奴一人で何が出来る」
 「共に収容していた反抗勢力にも逃げられたそうですね。何故今まで隠していたのです?」
 大将は苦々しげな顔で尚も曇り空へ目を向けている。
 「いえ、お答えにならずとも既に大将殿はお分かりのはず。彼の及ぼす力は脅威となると。大尉は飛行訓練教官としても勤め抜かれた方。多くの飛行兵にも慕われております」
 和泰は深いため息を大将の背に吹きかけるように吐いた。
 「お考えになりませんか?もし大尉らと第2艦隊が結託するような事態になれば、我々にとって最も脅威となるのは彼らになると」
 「何、心配はいらん。第2艦隊の居場所を突き止めた以上、すぐにでも奴らを討伐する。結託する余地など持たせんよ」
 大村大将は必死で余裕の笑みを浮かべる。和泰はそんな大将の横顔を無機質な表情で静かに眺めていた。

 コッコッコッ。和泰の部屋にノックする音が響く。
 「入れ」
 一人の男がすぐにドアを開けて部屋の中へ入ってきた。きびきびとした動作で和泰の前で敬礼するのは小川であった。和泰と共に沖縄へ派遣されていた小川は、和泰の階級特進と同時に彼自身もまた中尉の位を貰っていた。
 「堅苦しいのはそこまでにしろ」
 和泰がにっと笑って言うと、小川はすぐに敬礼の手を下ろして近くのソファへどかりと腰を下ろした。
 「最近は肩の凝る事ばかりだ。遠慮なくそうさせてもらう」
 小川はそう応えて首を鳴らす。そんな彼の様子に和泰は満足そうな笑みを浮かべた。そして小川の向かいの椅子へ座る。
 「明日、行くのか?」
 しばらくして和泰が呟くように尋ねた。
 「あぁ」
 小川が短く応える。
 「そうか・・・。本当は俺も一緒に行きたいんだが――」
 すると小川が仰け反っていた頭を戻して和泰に目を向けた。
 「おいおい、軍神さまはそう簡単に上げられるほど軽いケツじゃないんだぞ?」
 にやりとして小川がそう言った。
 「そういうのは止めてくれ。本当の俺なんて何の力も無いんだ」
 和泰はうなだれるようにして視線を足元へ落とす。小川はそんな和泰を見て微かに笑った。
 「いつか言っただろう。お前は部隊の要だと。でも今では全軍の要だ。お前のために兵士たちは死ねる。殆どの奴が自分の死ぬ理由なんて分かっちゃいないんだ。それがあるだけで、俺たちは少しは幸せにいける」
 和泰は不安そうな顔を持ち上げた。
 「そんな顔するな。大丈夫。俺はまだまだ死にはしない。お前が成すべきことを徹するまで、俺がお前を守ってやるよ」
 和泰はしばらく無言で小川の顔を見つめた。そして瞼に指を押し当てて笑った。笑っているはずなのに口元が震えた。喉の奥から絞り出される笑い声は湿っていた。
 「おい、縁起でもないぞ」
 にやりとして小川は言った。
 「まったく、お前って奴は・・・」

 明朝五時。天願桟橋(てんがんさんばし)を第4、5艦隊合わせて七隻の艦に第13旅団第8普通科大隊、第13戦車隊を乗せた「おおすみ」型輸送艦二隻が港を離れた。第5艦隊の空母「雷鋼」と「雪栄」には総数140機を超える航空機が積まれている。
同時刻、嘉手納基地では大型輸送機に乗った第1空挺師団第3普通科大隊が出立した。第3普通科大隊360の空挺兵が8機の輸送機C―1に乗せられて寒空の中を飛び立った。
 その輸送機の一機の中で、小川は固く目を瞑って冷えた機関銃を握り締めていた。心はなぜか穏やかだった。死を納得した人間とはそういうものなのだろう、と小川は一人心中で呟いた。

 それと同じ頃、和也は自室で静かに目を瞑り、彼らが飛び去っていく音を聞いていた。



   15.

 三ヶ月ほど前、井澤大尉は山口沖の洋上で南政府軍のヘリによって救出されていた。しかし彼が連れて行かれたのは知夫里基地ではなく、長崎県の佐世保基地であった。そこで彼は数週間に渡って軟禁状態に置かれた。そして嘉手納基地から派遣された准将によって首都核攻撃の件を打ち明けられたのだった。
 井澤大尉は断固として反対の姿勢を崩さなかった。それ故に大尉はそのまま牢獄へ詰め込まれることとなった。
 そこには井澤大尉と同様、攻撃に反対し危険因子とみなされた西部方面普通科連隊の兵たちが拘留されていた。大尉は持ち前のカリスマ性ですぐに彼らの心を掴み、連隊長の梶取毅(かんどりつよし)中佐と共に一ヶ月ほどで基地からの脱出を果たした。その後彼らは本土から密かに離れ、韓国の領海に程近い無人島黒離島へと身を潜めたのだった。
 そして第2艦隊の存在を知った井澤大尉らは期を見計らって彼らに連絡を取ったのだった。大尉からの情報ではすぐにでも南政府軍が第2艦隊討伐のために兵を送ってくるという事だった。それに対抗すべく井澤大尉は、しばらく前に拿捕した三菱UC系の輸送船団の兵器を用いて戦力の充実を図ろうと提案してきた。
 本間中将は彼の言葉を聞いて、待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。中将は戦闘機などの確保のため、すぐに艦隊を黒離島へと向かわせた。恐らく黒離島を本拠地として陸海空全てを戦場とした大戦闘が繰り広げられることになるだろう。第2艦隊の兵士たちも久々の出陣に勢いづく。それが彼らなりの士気の上げ方なのだろうか、と由玖斗はふと思った。

 黒離島は北西、南東の距離が約2.7キロ、幅は1キロある。北側は砂岩を主として海岸砂丘が発達し、それ以外は急な崖となっている。南端部分に当たる所とでは100メートル以上もの落差がある。
 そんな黒離島へ第2艦隊が到着したのはその日、12月31日の正午になった頃であった。兵たちは急いで準備に取り掛かる。地上兵器は既に設置などを完了していたが、まだ戦闘機が空母に届けられていない。滑走路のない黒離島からでは発進できないので、百あまりの飛行機を空母へ移送しなければならなかった。
 しばらくして井澤大尉が双龍にいる本間中将の艦長室へやってきた。そこには中将の計らいで由玖斗、赤城、下平の三人も同席していた。
 「遅くなって申し訳ありませんでした、中将殿」
 艦長室に入って井澤大尉は三人に目もくれず、本間中将へ敬礼する。
 「いや、君のおかげで何とか威勢のいい若人たちの機嫌も良くなるだろう」
 本間中将は井澤大尉に手を差し出して握手する。
 「噂は聞いてるよ。井澤大尉」
 「自分も、仏の本間という中将殿のお噂は予てより」
 井澤大尉はそこまで言ってにっとする。由玖斗が気を揉む中、相反して本間中将は怒る気配もなく満足そうに微笑んだ。
 「君とはなかなか気が合いそうだね」
 「光栄であります、中将殿」
 「さて、そろそろ部下との久しぶりの再会を喜んでやったらどうかね?」
 井澤大尉は微笑んで軽く頭を下げ、三人に顔を向けた。大尉はそれぞれの顔を順番に眺めていく。
 「生き残ったのはお前たちだけか」
 「はっ」
 由玖斗が真っ先に答える。
 「そうか・・・」
 井澤大尉は短くそう返しただけで、それ以上踏み込むことはなかった。
 「お前らよく生き残ったな。よくやった」
 井澤大尉はゆっくりと下平の前へ歩み出る。
 「下平、お前は東京の出だったな」
 「は、はいっ」
 「お前の家族、守ってやろう。俺たちが守るんだ。な?」
 井澤大尉はそう言って下平の肩へ手を乗せる。思わず下平の表情が歪んでしまう。
 「大尉・・・」
 下平は歯を食いしばって俯いたきりだった。
 大尉は続いて赤城の前へ移動する。
 「赤城、どうせお前のことだろ。威勢のいい若人ってやつは」
 明るく笑い声を響かす大尉に赤城は顔を赤くする。
 「だが、だいぶ顔が引き締まった。この数ヶ月で学ぶものは学んだらしいな」
 最後に大尉は由玖斗に目をやる。ゆっくりとした足取りで前へ出る。
 「よう、永見」
 「ご無事で何よりです、大尉」
 「ふんっ、いっちょまえに隊長やってるらしいじゃねえか」
 「はい。大尉のおかげで」
 「言うようになったじゃねえか、こいつ」
 井澤大尉は微笑んだ顔を引き締め、敬礼する。
 「ご苦労だった」
 「はっ」
 由玖斗が敬礼を返すと、赤城と下平も同時に大尉へ敬礼する。
 丁度その時、艦長室の扉からまたノックする音が響いてきた。
 「西部方面普通科連隊連隊長、梶取毅であります!」
 威勢の良い声が扉の向こうから届いてきた。
 「入りたまえ」
 本間中将が応えると、一人の少し肥えた中年男性が部屋に入って敬礼した。
 「失礼します!」
 「やぁ、梶取中佐。久方ぶりだねえ」
 本間中将がにこりと微笑みかけると、梶取中佐も嬉しそうに笑い返した。
 「お久しぶりでございます、中将殿。また中将殿の下、作戦に参加できることを大いに嬉しく思います」
 梶取中佐の声は普段から人より大きいらしく、そこまで近くはないのに由玖斗の鼓膜を直に振るわせた。
 「まったく、君といい永見空士長といい、何度言ったら私の性分を分かってくれるものかねえ」
 そう言って本間中将は困ったように顔で中佐に笑いかけた。すると梶取中佐は目の色を変えて由玖斗の方へ顔を向ける。
 「永見!貴様が永見由玖斗か!」
 梶取中佐はそう叫びながら由玖斗の肩を両手で掴む。その迫力に由玖斗は一瞬、殴りつけられるのかと思って身を退いた。しかし由玖斗の予想に反して彼の体は次の瞬間、梶取中佐のごつい腕の中に引き込まれていた。
 「そうか!貴様があの少年撃墜王か!」
 「な、永見空士長であります」
 「そうかそうか!貴様が空におれば、兵たちも安心して地上で戦えるというものだ」
 梶取中佐は豪快に笑いながらやっと由玖斗の体を離してくれた。

 「さて・・・実際のところ、どう思うかね。今度の戦は」
 由玖斗たち若者連中を帰した後、席に着いた本間中将が井澤大尉と梶取中佐に尋ねた。
 「報告では、敵の戦力は我々をはるかに超えております。難しい戦いとなるでしょうなあ」
 顎を擦り難しい顔をして中佐が答える。
 「君たちの率直な意見が聞きたい。勝てるか、勝てないか」
 本間中将の視線は机の上に注がれている。
 「勝てません」
 井澤大尉が至極当然のように答えたので、梶取中将はいささか怪訝そうな顔で彼を横目で見やる。
 「地の利は我らにあります。その為、今出撃している敵は何とか退けられるやもしれません。しかし、敵には増援を送ることが出来ます。我々は、我々のみです」
 「確かに・・・」
 厳しい顔のまま梶取中佐も唸るようにして答える。
 「大村大将殿は変わってしまわれた。どんな犠牲を払おうと、我らを徹底的に潰そうとお考えになるはず」
 「そうか・・・」
 本間中将は深い溜息をついて机に肘を突いて、組んだ手に額を当てた。
 「しかし、我々の目的は生存ではないはず」
 井澤大尉は表情を変えずに続ける。
 「我々の目的は、彼らに核を発射させないことです。首都にいる人間を守ることです」
 梶取中佐はそれを聞いてゆっくりと何度も頷いた。井澤大尉は一歩踏み出して本間中将に近寄る。
 「この勝負、永見らを沖縄へ飛ばせられれば我々の勝ちであります」
 「私もそうは考えた。しかし、ここでの戦闘を切り抜けた後に沖縄で再び戦えるほどの余力が、彼らに残っているのだろうか・・・?」
 うな垂れる本間中将を尻目に、井澤大尉と梶取中佐は顔を見合わせて軽く微笑む。
 「実は本間中将殿、我々の他に首都攻撃に疑問を持っている人物がおります」
 梶取中佐は嬉しそうに切り出した。本間中将はあっけに取られて中佐へ目をやる。
 「特戦の小倉大佐殿であります」
 「特戦・・・空挺部隊を持つ特殊作戦群か?」
 「しばらく前に私が大佐殿にご意向を伺ったところ、不服の意を唱えておいででした。部下のことを考えて反乱を渋っておられましたが、今は福岡駐屯地にいらっしゃいます。護衛機として我々の航空部隊が彼らを護ると言ったところ、あるいは兵を出すやもしれぬとのことです」
 それでも本間中将は眉間に皺を寄せたまま低く唸る。
 「罠の可能性は?」
 「私は小倉大佐殿とは同期でした。大佐は人を裏切るようなことなどできぬお方であります。今回も全ては部下のことを思ってのことです」
 本間中将はしばらく黙ったままだった。大尉と中佐は身じろぎ一つせずに本間中将の言葉を待つ。
 「分かった。ありがとう。梶取中佐、井澤大尉」
 本間中将はいつもの笑顔を取り戻して礼を言った。



   16.

――12月31日、16時30分――

 味方の哨戒機から敵部隊発見の報告が伝わった。由玖斗たち航空部隊の飛行兵たちは双龍の格納庫へ急いだ。既に多くのパイロットらが集まっており、次々と戦闘機がエレベータで飛行甲板へ上げられていく。
 由玖斗たちは知夫里基地に置いてきた愛機の代わりに、井澤大尉らが拿捕した輸送船の戦闘機を割り当てられていた。配備された機体は三菱重工製の最新型戦闘機、M―21「準瀬(はやせ)」だった。準瀬はCCV(運動能力向上機)、つまり設計段階から運動性能を優先して造られた機体であり、主翼面積を拡大することで搭載機器の重量増加による翼面荷重の増加を抑え旋回性能の向上が図られている。機体上面と側面には青の濃淡の迷彩を施され、機体下面には空と交じり合う明るい青一色という配色を施す洋上迷彩がなされていた。
由玖斗たちはそんな最新鋭機に密かな思いを忍ばせつつ、無理やり引き締めた面持ちで格納庫にやって来た。
 由玖斗に気付いた兵士たちは尊敬と希望の入り混じった眼差しで彼を見送る。
 「永見さん、あなたと共に飛べるなんて感激です」
 「永見空士長がいれば、百人力だ!」
 「あっあの、俺、永見さんみたくなりたいってずっと思ってました!」
 由玖斗は彼を取り囲む群集に丁寧に答えながらのろのろと進んでいく。
 「おう!お前ら」
 戦闘服に着替えた井澤大尉の一声で一同が彼の方へ顔を向ける。
 「後が詰まっちまっていけねえ。続きは帰ってきてからだ」
 群集は彼の言に従い、自分の機の下へ素直に帰っていく。
 「助かりました、大尉」
由玖斗が礼を言うと井澤大尉は笑って彼の肩を叩いた。
 「おう。お前の隊長っぷりを存分に見物させてもらうぞ」
 「えっ、あの、大尉が隊を率いるのでは?」
 「今更隊長だなんてまっぴらごめんだ」
 そう言って大尉は彼の愛機の下へ向かっていった。
 「俺は自由に飛ばさせてもらう。じゃ、頑張れよ」
 井澤大尉は振り向きもせず、ヘルメットを持った腕とは逆の腕を軽く上げて去っていった。
 大尉を見送ってから由玖斗は赤城と下平に向き直る。二人も彼が振り返ると視線を返した。
 「大尉の計らいでまた隊長になってしまった。数ヶ月間だったが、俺みたいな人間に着いて来てくれて本当に感謝してる」
 由玖斗は二人に軽く頭を下げる。
 「馬鹿、何言ってる。こんな時に」
 不愉快そうに赤城が応える。
 「そうですよ、隊長。僕たち、隊長だからこそ、ここまでやって来れたんです」
 由玖斗はそう言う下平へ視線を上げる。
 「そしてこれからも、皆隊長と一緒です」
 「下平・・・」
 急に視線を外したい衝動に駆られた。
 「一度でも俺の上に立ったんだ。任務を全うしろ」
 赤城がそっぽを向いたままぼそりと言った。
 「も~、素直にこれからも頼みますって言えばいいじゃないですか」
 下平に指摘されて赤城は面白くなさそうに鼻をふんっと鳴らす。
 由玖斗はゆっくりと瞬きをした。そして二人にもう一度、今度は決意の眼差しを向ける。
 「さて・・・そろそろ行こうか」
 由玖斗の真剣な雰囲気に赤城と下平の二人も自然と表情が引き締まる。
 「一つ、隊長として命令する」
 じっくりと二人の目を見つめる。
 「絶対に死ぬな。何としても生き抜くんだ。自分の命を死守してみせろ」
 すると下平と赤城の二人がちらりと互いを見やる。そして口元に笑みを浮かべた。
 「やっぱり、予想通りでしたね」
 下平が笑顔で応える。
 「簡単なことだ。墜とされる前に墜としてやればいい」
 赤城が目を細めて応える。
 「そうだ。人間的に生きればいい。それだけで俺たちは生き残れる」
 由玖斗が言う。
 赤城が頷く。
 下平が頷く。

 黒離島には島中央部より少し西側の丘に、背後の山を削っただけの連隊本部が築かれていた。その本部を囲むようにして、北の山岳地に一つ、砂丘地帯と森林部の境界に一つ、そして東と南にそれぞれ二つずつ簡素な砦が建っている。
 本部の薄暗い光の中で梶取中佐は煙草をふかしていた。周りの緊張したノイズなど彼の耳には届いていない。ただ目の前に広げた島の地図を睨んだまま、静かにその時を待っていた。

 真っ暗な世界に光が差し込む。赤い光だ。西の空の夕日がキャノピーに紆余曲折し、コックピット内部を照らしていく。エレベーターが止まって軽い振動が心を揺さぶる。
 機首の前にいた誘導員がパドルを持った腕を下げて急いで脇へ退く。その向こうには中途半端に途切れた道が伸びていた。そしてその真っ赤な空には数十の機影が浮かんでいた。
 ゆっくりと操縦桿へ手を伸ばし、それを掴む。
 手袋越しだというのにその冷たさが伝わってきた。

 「アキュート、発進します」

 カタパルトが機体を押す。途端に体がシートに押し付けられ、由玖斗は軽く唸る。急激に世界が後退していった。飛行甲板が途切れると、体が一瞬沈んで浮遊する。目一杯に引いた操縦桿の通り、機体はすぐに首を上げた。その優れた上昇能力に由玖斗は驚いた。
 「アキュート、高度制限を解除する。存分に」
 「・・・共に、存分に」
 ちらりと横を見ると、既に左右には同種の赤城機、下平機が付いていた。それが何よりも由玖斗に安心を与えてくれるのだ。
再び操縦桿を握り締め、由玖斗は水平線を睨みつけた。



   17.

 ――12月31日、17時、黒離島沖70キロ――

 洋上の残り火に闇が迫ろうとしている。
東の空はもう青黒い。
その下にはまるで意思を持ったように蠢く海がある。
この水の下に死んでいった魂がそれを動かしているのだろう。
穏やかな海だった。
沈黙と言ってもいいぐらい。
それが嵐の前の静けさなのだ、と海鳥が答えてくれた。


ぽつり

 東の空に一点の光が灯る。一番星かと思われたその光を支点に左右数百メートルに渡って次々に現れる明かりの帯が引かれる。反乱軍(第2艦隊及び西部方面普通科連隊)の戦闘機部隊120機がそれぞれの編隊で空を覆った。
 だが反対側の空には、それを上回る無数の政府軍航空機部隊が迫っていた。その光の量に由玖斗のみならず、全てのパイロットたちが息を呑んだ。一人は呆然とその光景を凝視し、一人は腕の震えを必死になって抑えようとした。
 「おらおら、お前ら!」
 親しみのある声が無線から響いてきた。
 「今更になってビビッてるんじゃねえぞ。お前たちがここにいる理由は何だ?」
 井澤大尉は少しの間を取って各々に自らへ答える時間を与える。
 「分からねえ奴は俺の言葉を信用しろ。お前たちはお前たちの意思でここにいるはずだ。そうだろう?」
 由玖斗は静かに頷く。
 「何故そう思った?何のためだ?」
 また一呼吸開けられる。空っぽのパイロットたちは心を焦らす。
 「守りたいからだろう。この際、誰をだなんて考えるんじゃねえ。誰かを守りたいという思考に意味なんてありゃしないんだ。そう思ったなら行動するまでだ。そしてお前たちは行動した。それは決して簡単なことじゃなかったはずだ。だからお前ら・・・自分を誇りに思え」
 西を向く全員のパイロットが彼の声を耳にしていた。そして全員が自らを誇りに思った。
 「飛び続けろ・・・。頼むから・・・」
 一瞬語尾が震えたような気がした。
 「・・・以上だ」
 それを最後に井澤大尉の声はぷつりと途切れた。
 正面には依然として200余りの敵機がこちらを向いている。
 いや、さっきよりよほど大きく見えた。
 それなのに由玖斗の心は水面(みなも)の鏡のように穏やかだった。
 おそらくそれは他のパイロットたちも同じなのだろう。

 更に強く操縦桿を握り締める。既にそれは彼の暖かさを吸収していた。

 「ルイス隊、交戦!」
 「コイル隊、交戦!」
 「ブルーバード隊、交戦」
 次々に敵機が射程に入ったことを一番手前の隊から順に知らせてくる。
 由玖斗の機にも前方の一機が射程に入った。
 「スカイウォーリア隊、交戦」

 「始まった・・・か」
 双龍の司令塔から西の空を眺めながら本間中将が呟く。彼の周りには複雑な電子機器に繋がれた管制員たちが口々に情報の交換を始めている。
 「艦長」
 隣に控えていた副艦長の白石大佐が本間中将を促す。
 「はたして、幾ら帰ってこられるだろうか・・・」
 「は?」
 「・・・いや、何でもないよ」
 本間中将は笑顔で応えて中央へ足を向けた。

 右へ軽くバンク!
 旋回が早い。
 頭上を敵機が掠めた。
 あちこちで銃撃音や爆発音が聞こえる。
 まるで蚊柱のような数の機体が飛び回っている。
 前方の一機を捕捉した。
 気付かれた、高度を上げていく。
 操縦桿を前へ倒す。
 機体が大きく前のめりになる。
 後ろを振り向く。
 かかった。
 機首を下げている。
 瞬時にエレベータを上げ、やや左へバンク。
 真横を通過していった敵機の後ろへ捻り込む。
 間髪いれずに銃弾の雨を浴びせる、離脱。
 腹の下で爆発の衝撃を感じた。
 無線にノイズが入る。
 「こちら双龍、空戦域より南東600メートルにC―1を捕捉――」
 由玖斗はすぐにレーダー範囲を広げる。無線通りの地点を八つの赤い機影が移動している。その周りを数機が囲んでいた。
 「――C―1は敵空挺部隊を輸送しているとみられる。島に着く前に撃墜せよ」
 後ろに気付いて左へバンク!
 バレルロールで銃弾をかわす。
 上昇しながら後ろを振り返った瞬間、追尾していた敵機が破裂した。
 「こちらカルム、ここは任せろ」
 赤城機が由玖斗より低空を通り過ぎるのが見えた。
 「アキュート、了解」
 南東へ機首を向けて速度を上げる。

 てきとうに追尾する敵機をあしらいながらしばらく飛行すると、胴回りの太い機体が八つ、護衛機を20機ほど従えて現れた。
 由玖斗はレーダーで自分の後方を確認する。10機ほど味方機が続いていた。
 敵の護衛機のうち半数ほどがこちらへ向かってくる。
 左へヨー。
 若干進行路を敵から外す。
 ロックオンされた、ミサイルも発射される。
 目一杯にエレベータを上げ、軽くバンク。
 機体後方をミサイル3基が通過していった。
 そのすぐ後に敵機も通り抜けていく。
 機体を傾けて急旋回。
 相手もこちらを向いている。
 速いっ。
 お互いに首をすくめるようにして機体同士が掠める。
 今度は旋回せずに垂直降下。
 当然後を追ってきた。
 撃ってくる。
 機体を振りながら銃弾をかわす。
 依然として敵は着いてくる。
 そろそろ機首を上げないといけない。
 よし。
 来るなら来い。
 黒光りする海面が迫る。
 後方から銃弾が通り抜けていく。
 ピピピピピッ――
 警告音が響く。喚くな。
 さぁ、どうする。
 後ろの敵機に躊躇が感じられる。
 それでも着いてくるか。
 白波の泡が目に映る。
 減速し、フルフラップ。
 操縦桿を思いっきり引っ張る!
 体にそうとうな重力がかかる。
 機体が仰け反るように持ち上がった。
 腹を海面が掠める。
 後ろを振り返る。
 豪快な水しぶきを海面に上げて敵機は消えた。
 速度を上げて再び上昇する。
 機体の性能差だ。悪く思うな。
 輸送機へ向かいながら由玖斗は心の中で呟いた。

 上下左右に傾く輸送機の中で、かき回されるように揺さぶられる兵士たちには不安と恐怖が絶えなかった。しかし鍛え抜かれた彼らは決してそれを口に出したりはしない。機体にひたすらしがみ付き、上陸後のシミュレーションを静かに頭の中で繰り返す。
 小川は中隊長から指示を受け自分の小隊へ向き合った。
 「そろそろ降下ポイントだ。俺たち第4小隊は第3小隊の後に飛ぶ。いいな」
 石像のように兵士たちは動かずに小川を見つめる。
 「お前たちは・・・何のために戦う?」
 普段はあまり隊員とも口を利かない小川が珍しく多弁なので、皆素直に彼の言葉へ耳を傾ける。
 「徴兵されたからとか、そんなことは聞いていない。お前たちが戦う根拠は何だ?」
 突然の問いかけに兵たちは困惑した顔を見合わせる。
 「日本のためです!」
 一人が叫ぶ。
 「そうか。お前は?」
 「・・・故郷の兄弟のためです」
 「お前は?」
 「両親のためであります」
 「お前は?」
 「・・・分かりません」
 最後に答えた幼い顔の兵士はそう言って、小川が叱咤するのを待つように俯いた。しかし彼にはそんな気は全くなかったのだ。ただ知りたかった。それだけだった。
 「そうか・・・」
 少し悲しそうな表情で小川は彼にそう返しただけだった。再び30名の顔へ目をやる。
 「大森大尉は俺の友人だった。同じ分隊だった頃、奴に同じことを尋ねたことがある」
 兵士たちは答えが知りたくて純粋な目を彼へ釘付けにした。後ろにいた第3小隊の者たちまでもが彼の話に耳を傾けている。
 「和泰は答えた。ある親友との誓いのためだとな。それがどんなものだったのかは俺も分からない。だが奴は、その誓いのためだけに戦っている。それがどれだけ孤独なことか・・・俺はそう思った」
 小川は俯き加減だった顔を起こし、睨むように全員を見渡す。
 「その時同時に思った。俺はこいつのために戦おうと。こいつがその誓いとやらを成すまで、俺がこいつを守ろうと。たとえこの命に代えても」
 兵たちの顔は依然として動かない。しかしその奥に心の揺さ振りが感じられる。ある者は唇をかみ締め、ある者は自分でも気付かぬうちに涙を流した。
 これまでになく第4小隊がそれぞれの心を重ねた瞬間だったのだろうか。

 C―1を捕捉した赤城は護衛機をあしらいながら徐々に近づく。
 最後尾の一機をロックする。
 背後から銃弾が飛来した。
 ちっ。
 右へバンクしながら高度を落とす。
 めちゃくちゃに操縦桿をきって追尾する敵機を振り払う。
 エレベータ、再び機首を上げる。
 ラダーで微調整。
 ロックオン!


 一瞬だった。
 親指が固まった。
 思考が嵐を生む。
 あの輸送機には一体何人が乗っているのだろう?
 あれを墜とせば全員脱出できるのだろうか?


 発射!
 対空ミサイルが尾を引いて真っ直ぐ飛んでいく。
 着弾する。
 5・・・
 4・・・
 いや、この冬の海で果たして生きていられるか?
 3・・・
 2・・・
 1・・・

 煙を吐いた敵機がふらふらと飛来する。

 閃光!


 しまった。
 敵機の破片が目の前に拡大される。
 衝撃!
 コックピットが破壊される。
 体が揺さ振られた。
 凍った空気が体を撃つ。
 「ああぁぁぁ!」
 思わず悲鳴を上げた。
 頭が破裂したように痛い。
 目の前が真っ赤だ。
 血塗られた手で目を覆っていたからだ。
 右目が見えない。
 血液が凝固する。
 脱出・・・
 脱出しなくては・・・
 レバーが分からない。
 あった。

 ・・・動くはずないか。


 赤城は全ての力を抜いて座席に体を預ける。
 すでに痛みも感じなくなった。
 冷たさも。
 目が乾くので瞼は閉じた。
 ばかやろう・・・
 ばかやろう・・・
 ばかやろう・・・
 お前のせいだ。
 お前みたいな奴がいるから。
 お前みたいな奴がいたから。
 お前みたいに、情って奴がついちまった。
 お前さえ優しくしてくれなかったら。
 お前さえいなかったら・・・。


 ――俺はもっと前に死んでたんだろうな・・・。


 ピピピピピッ――
 ゆっくりと瞼を開ける。
 片方の世界は闇でしかなかった。
 潮の香りがする。
 「・・・かぁ、さ・・・」


 輸送機の扉が開け放たれる。途端に冷たい風が機内を駆け抜けていった。扉の向こうに沈みゆく太陽が見えた。煌く光の筋は小川をめがけて一直線に伸びている。
 第3小隊が飛び出していく。一人、また一人と次々に真っ赤な世界へ飛び降りていく。そして皆行ってしまった。
 「よし!第7分隊、行け!」
 各々が各々の表情で飛び立つ。恐怖が去ったわけではない。むしろ増している。不安が去ったわけではない。むしろ更に湧いてくる。しかし迷いは無かった。
 全ての兵が飛んでいった。
何の躊躇もなく小川は空へ踏み切った。
 降下していく。
腹のそこがむず痒い。
耳元で風が金切り声を上げている。
パラシュートを開く、途端に息が詰まる。
浮遊。
銃声が鳴り始めた。
既に第3小隊の一部は島へ着地していた。しかしまだ多くのパラシュートが彼の眼下に浮いている。
 一つ、また一つと着地ポイントへ兵たちが降り立つ。そこは島の南端部にあたる狭い岸壁だった。その向こうには森林が広がっている。幾つかが風にあおられて森の中へパラシュートを引っかけた。
 だいぶ近づいた。
 銃弾が飛来する。
 足元で短く悲鳴が上がった。
 見下ろすと操縦されなくなったパラシュートが何処かへふらふらと流されていく。
 小川はすぐに前を向く。
 地面が迫る。
 ブレーキをかけて足を硬い地上に降ろす。
 すぐにパラシュートを切り離した。
 89式5・56ミリ小銃を小脇に抱えて走り出す。
 仲間の潜む茂みへ駆け込んだ。
 ダダダダダッ――
 バリバリバリッ――
 様々な方向から様々な銃撃音が轟きあう。
 「着剣(ちゃっけ)ぇん!」
 小川が叫ぶと第3小隊は銃剣を取り出して小銃の先端に素早く取り付ける。
 「撃てぇ!」
 ダダダダダッ――
 ダダダダダッ――
 バリバリバリッ――
 ダダダダダッ――
 バリバリバリッ――
 ・・・。

 「敵艦隊、捕捉!」
 双龍の管制塔が一瞬震撼する。
 「垂下、連闘は編隊を組んで進行。本艦はこのまま留まる」
 唱えるように本間中将が指示する。双龍は艦載機の燃料補給や武装補給のため撃沈されるわけにはいかないのだ。
 「了解!」
 両脇の艦が発進するのが窓から見えた。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
「できるだけ時間を稼げ。一隻たりとも島へ近づけさせるな」
軍帽のつば下から覗く中将の目は、いつもとは相反して鋭利なものだった。



――18時33分――

 真っ黒な遠洋から姿を現した鋼鉄の山。そして光。それは徐々に数を増し、第2艦隊へ迫っていった。二つの間の上空では、まだ猛烈な死闘が繰り広げられている。偶に火だるまになった戦闘機が水を求めて墜落する。
 戦艦「天昇(てんしょう)」、巡洋艦「昴(すばる)」、イージス艦「烏克(うこく)」、ミサイル巡洋艦「楠海(なんかい)」を擁する第4艦隊が先行していた。その後方には二隻の空母とミサイル巡洋艦「むらさめ」が随行する。そしてその隣に、第13旅団第8普通科連隊と第13戦車隊を載せた「おおすみ型輸送艦」二隻が並んで航行している。
 反乱軍の攻撃機3機が巡洋艦めがけて突っ込んでいく。
昴の対空機銃砲が炸裂する。
銃弾の嵐を掻い潜って攻撃機の編隊は対艦ミサイルを発射した。
昴の隣のミサイル巡洋艦から対空ミサイルが連続発射される。
艦隊から500メートルほどの距離で互いがぶつかり合い爆発した。
その黒煙の中を突っ切って残りの対空ミサイルが攻撃機を追尾する。
離脱途中だった一機の腹にミサイルが食い込む。
閃光、破裂。

 その向かい側で双龍の前方を行く戦艦「垂花」の主砲が稼動する。
 静寂・・・
 ドウンンンンン!
 腹の奥から体を震わせる轟音と共に、垂花の砲口が火を噴いた。
 光の弾が夜空を駆け抜ける。
 烏克と楠海が大きく左右に舵を切った。
 その瞬間、二隻の間を数百メートルもの水柱が上がった。
 垂花のブリッジで艦長が唇を噛む。

 無線からノイズ。
 「こちらブラスト、カルム機の姿が見えません!」
 由玖斗の機を護衛していた下平からだ。
 「こちらからも無線が通じない。被弾したのかもしれない」
 「そんなっ・・・」
 明らかに動揺した声が届く。
 「赤城さんが・・・」
 「ブラスト、聞け」
 応答は無い。
 「下平っ。今は目の前の敵にだけ集中しろ」
 「・・・は、はい」
 「しっかりしろっ。心配するな。あいつがそう簡単に死ぬわけない」
 「えぇ・・・そうですね。そうですよね」
 そこへ二機の上空すれすれを戦闘機が掠めて飛んできた。
 「おらおら、お喋りは後だ!海を見てみろ!」
 どうやら井澤大尉のようだった。二人は周りへの警戒心を留めながら、さっと海上へ目をやる。第5艦隊の明るい光の群れから二つの明かりが離れて黒離島を目指している。
 「輸送艦だ。一隻でもやれれば相手にとって大きな痛手となる。だが気を付けろ。上空を何機かが護衛してるぞ」
 「了解。輸送艦へ向かいます」
 「ブラスト、了解!」
 操縦桿をきって機首を大きな輸送艦へと向ける。
 しばらくして近づくと大尉の言ったとおり、5機の護衛機がこちらへ向かってきた。
 こちらはまだ3機。
 しかし負ける自信はなかった。
 銃弾が掠めた。
 バレルロール。
 相手も合わせてくる。
 ガッガッ
 当たったか!
 緊迫の中、頭上を敵機が掠め抜く。
 赤・・・真っ赤な砕豹(さいほう)・・・
 由玖斗は無線を開いた。
 「1411飛行隊か」
 敵機は旋回してしばらく水平飛行する。
 ノイズ。
 「まさか・・・貴様らか」
 いささか驚いたような声が答えた。
 「やはり死んではいなかったか」
 「いや、一人殺されたさ。お前たちにな」
 無線の向こうで軽く笑い声が聞こえる。
 「弔い合戦でもしようと?」
 「今はあいつのためだけじゃない。首都にいる数百万のためにもお前には墜ちてもらう」
 「おもしろい。決着を着けるとしよう」
 互いの戦闘機が再び迫りあう。
 由玖斗は計器類に目をやる。
 油圧、機体ダメージ、共に問題はない。
 先ほどのは掠っただけだったようだ。
 しかし燃料がやや少ない。
 早めに終わらせなければ・・・。

 ダダダダダッ――
 ダダダダダッ――
 赤い光の銃弾が森の中を縦横無尽に飛び交っている。
 時たま手榴弾の閃光と爆発音が轟く。
 その度に幾つかの悲鳴が上がる。
 誰のものかは分からない。
 暗視ゴーグルの緑の世界を小川は窺っていた。
 意を決して飛び出し引き金を引く、すぐに隠れる。
 銃弾が散り散りに飛んでくる。
 一人殺った。
 ふと、頭上に足が見えた。
 それはパラシュートを木に引っかけてしまった隊員のものだった。
 既に絶命している。
 狙い撃ちされたのか体のいたる所から出血していた。
 ちっ。
 その瞬間、大きな爆撃音と共に彼らが相手にしていた敵から悲鳴が上がった。
 味方の84ミリ無反動砲が直撃したのだ。
 「突撃(とつげ)ぇき!」
 喚声を上げて第3小隊が立ち上がる。
 焼けた大地を蹴って駆け出した。
 動くものに向けて引き金を引く。
 走る。
 繰り返した。
 米神に激痛が走った!
 思わず足がふらつく。
 どこかに潜んでいたらしい敵が迫る。
 「おおおぉぉ!」
 銃床で相手の銃身を弾き飛ばす。
 切り替えして銃剣で首筋を薙いだ。
 掠れた悲鳴に追従して液体が噴出す。
 射撃しながら味方が近寄った。
 「大丈夫ですか、小隊長!」
 「・・・心配ない!」
 小川は彼の腕を振りほどいて再び銃を構える。
 踏ん張れ。
 戦え。
 一人でも多く殺すんだ。

 護衛に精鋭部隊を付けたおおすみ型輸送艦は何とか被弾することなく、黒離島を北から迂回し北東の海上へ辿り着いた。船尾の口が島の浜辺へ向けられ大きく開く。そこから上陸用舟艇LCACが二隻ずつ飛び出した。その間も対艦ミサイルが彼らを襲ったが、輸送艦の艦載近距離防空システム、ファランクスCIWSの弾幕によってことごとく撃ち落されるのだった。
 山岳部に築かれた第一防衛地点と砂岩部の第二防衛地点からは、上陸用舟艇のランプが四つに分かれてそれぞれ散るのを見守った。
 そして彼らが射程に入ったのと同時に、高機動車に載せられた96式多目的誘導弾が発射された。ミサイルは急上昇して上陸用舟艇の上空へ向かっていく。ミサイル先端部の赤外線シーカが捜索探知した目標の画像信号を送る。車内ではそれを受け取って地上誘導装置で追尾の指示を行なう。ミサイルは舟艇の上空部で機動を変え、鋭角に目標へ進入していった。
 しかし舟艇LCACからも対空ミサイルによる迎撃が加えられ、上空で爆破される。高機動車では装填機がコンテナごと再装填する。そしてまたミサイルを発射する。その繰り返しで空には不思議な軌道を描く打ち上げ花火のような光景が続くのだった。
 そして20時を過ぎた頃、ようやくLCACが黒離島沿岸へ上陸した。一つは最北端部へ、一つは岬、一つはその下にある砂丘に、そしてもう一つは更に下の岸壁との境目に上陸するはずだったが、辿り着く前に被弾し180名余りが海面へ投げ出された。
 舟艇から続々と機関銃を抱えた第8普通科連隊の兵士たちが飛び出していく。数に圧倒されている反乱軍は山の高地から迫撃砲や無反動砲で、海岸を埋めていく政府軍兵士に攻撃を加え始める。
 着弾と同時に巻き上げる爆風によって政府軍兵士は吹き飛ばされる。まるで地雷原のような海岸線は、しかし数に勝る政府軍によって徐々に圧倒されていった。
 上陸後80分、LCACが90式戦車を一両ずつ島へ輸送し始めた。重たい鉄の塊は砂岩を打ち崩しながら進行する。砲身が回転し反乱軍の潜む山岳地を指差す。咆哮。衝撃。破壊。その都度空から星が消える。第13戦車隊は揚陸前に上陸用舟艇二隻も伴って二両を失ったが、それでも戦力に不足が生じるわけでもなかった。
 第一防衛、第二防衛地点には既に政府軍連隊が押し迫っていた。反乱軍側は彼らを三個ずつの小銃小隊と迫撃砲小隊とでどうにか防いでいる。政府軍の戦車部隊に対しては一個しか持たない対戦車小隊で対処した。
 しかし反乱軍側の劣勢は明らかだった。北からは一個連隊と戦車部隊に攻められ、南からは空挺部隊が北上する。反乱軍は徐々に島中心部へと追いやられていった。


――20時、黒離島中部、西部方面普通科連隊本部――

 比較的近辺で爆発音が断続的に轟いている。その度に微かに地面が体を揺さ振るのを感じた。確実に一人の命を奪いながら。
 「第3中隊っ、応答せよ!第3中隊!」
 「第2中隊、戦力の60パーセントを損失――」
 通信部からは急いた声がしきりに叫ばれる。本部では通信機器を前に兵士が情報の交換を行い、随時連隊長の梶取中佐の下へ伝えられる。
 「中佐っ、第3防衛壊滅!」
 必死の形相で通信兵が梶取中佐に報告する。中佐は眉間にしわを寄せたまま動かない。しばらくして思い立ったように腰を上げ、双龍と通信を繋ぐ。
 「こちら黒離島防衛本部、梶取であります」
 落ち着き払った声を中佐がマイクへかける。
 「・・・こち・・・龍」
 ノイズの酷い雑音がスピーカーから漏れる。声の主は本間中将であった。
 「中将殿・・・もう宜しいかと」
 双龍の無線前で本間中将は苦いものを口に含んだような顔をする。しかし徐々に硬い筋肉は弛緩されていく。
 「・・・もう、良いのかね?」
 双龍側のスピーカーからも酷いノイズに混じって、中佐の含み笑いが伝わった。
 「えぇ・・・」
 「そうか・・・」
 マイクの前で本間中将は軽く息を漏らした。
 「では、これよりコードBを発令する」
 黒離島の梶取中佐はにやりとする。
 「了解!コードB発令!」

 エレベータ、右へバンク。
 操縦桿を引いて急旋回!
 常に警告音が鳴り響いている。
 後ろにはピッタリと赤い機体が張り付いていた。
 銃撃!
 自然に頭を屈めながら左のエルロンを上げる。
 背面から操縦桿を引いて急降下。
 ふわりと体が宙を舞う。
 操縦桿はそのまま。
 減速。
 フルフラップ。
 上がれ!
 一瞬を境に機体が急激に持ち上がる。
 機首が水平になったと同時にハイスピード。
 後ろを振り向く。
 敵機はまだ上昇の途中だ。
 減速して素早く旋回。
 目の前に敵機。
 捕らえた!
 トリガーを引く。
 お互いバンクして腹を掠めながら擦れ違う。
 また後ろを振り返る。
 敵機は何事もなかったように直進している。
 旋回しようともしない。
 おそらくその機のコックピット内は血の海と化しているだろう。
 由玖斗は暗闇へ消えていく赤い機体の光を、亡霊でも眺めるかのように見つめた。

 ノイズ。無線が開く。
 「こちら双龍。空戦域における敵航空戦力の80パーセント排除を確認。各小隊ずつ帰艦し補給を行なえ」
 プツリと無線は切れた。
 由玖斗は胸の空気を一気に吐き出し、座席へ深く体を預ける。計器へ目をやる。異常なし。数発分機銃の被弾はあったものの、戦闘に関して大きな障害にはなっていなかった。ちらりとキャノピーから外の様子を窺う。辺りではまだ味方機が敵機を追い回している光景が見られたが大半が敵艦隊、もしくは黒離島からの爆撃要請の為に低空を飛行していた。
 「こちらアキュート。ブラスト、応答せよ」
 しばらくして無線が開く。
 「こちらブラスト。無事でしたか」
 「あぁ。そっちはどうだ?」
 「多少エンジントラブルですが、何とか」
 「そうか。良かった。カルム機から応答は?」
 「いえ・・・。自分の機には」
 「・・・ん、分かった」
 二機は合流した後、東へ機首を向けた。途中、数キロはなれた海上で垂花と連闘が戦闘している明かりが見えた。時折、砲撃の轟音が空気を静かに振動させる。
 双龍が見えてくると由玖斗は機体の高度を下げていった。双龍周辺の海域では比較的穏やかな波間を保っている。
 機体を飛行甲板の直線状に持ってくると減速し、着艦誘導装置の光に従って更に高度を下げていく。軽く機首を上げながら着艦する。機体後部のフックにアレスティング・ワイヤーが引っかかり、体に急激なブレーキがかかった。素早く機体は停止した。そして誘導員によって移動し、補給を始める。
 「永見空士長、聞こえるかね?」
 突然、無線から本間中将の声が流れ出し由玖斗は驚いて緊張する。
 「は、はっ。如何されましたか」
視界の隅で隣の飛行甲板に下平機が無事に着艦するのが見えた。
 「実はね、空士長。君に福岡駐屯地へ飛んでもらいたいのだよ」
 「えっ、何故ですか?まだ戦闘は――」
 「ここは我々に任せてもらいたい」
 由玖斗の言葉を中将が遮った。
 「君は残った航空機部隊を率いて、駐屯地にいる特殊作戦群の輸送機を護衛してくれ」
 「特戦の・・・でありますか?」
 「あぁ。彼らは沖縄へ飛ぶ。そして嘉手納基地を攻撃する」
 由玖斗は胸の心臓が高鳴るのを感じた。
 「ほ、本当でありますか?」
 「本当だとも。予てより特戦を率いる小倉大佐とはコンタクトを取っていたのだがね、先ほど彼から連絡があったのだよ。我々と共に意思を固める、とね」
 「・・・しかし、それでは島での戦闘が大変不利になると思われますが。艦隊も倍以上の戦力差があります」
 「今は一刻も早く南政府を叩くことを考えなければならない」
 スピーカーから届いた中将の声はいささか厳しさを含んでいた。
 「我々の目的は南政府の首都核攻撃を阻止することだったはずだ。それを忘れてはいけないよ」
 本間中将が笑顔を湛えているのが見える。
 「・・・本間中将殿。死ぬ気でおられるのですか」
 微かに笑った空気が擦れるような音で伝わった。
 「我々はこの世界に足を踏み入れた瞬間から死という呪縛からは逃れられない。人はそれを忌み嫌い、死後の世界を恐れる。しかし、それは自らの人生に満足してはいないからなのだよ。私はもう、私の人生に満足している。我々はもう、自分の死に納得しているのだよ」
 「中将殿は死が怖くないのですか・・・?」
 「・・・怖いよ。今までそう思ってきた。そう思えるからこそ部下を大事に扱い、争いを拒み、組みした敵には敬意を払った。幾ら左遷されようと私はその信念を貫いてきた」
 本間中将はマイクの前で幾らか息を漏らした。ちらりと視線を周りへ配った。中将を取り巻く全兵士たちが彼の方へ目を向け、その顔には穏やかな笑みを浮かべていた。
 「しかし、この恐怖をとうとう克服しなければならない時が来たようだ・・・。全ては新たな世界のために。後の希望を人々に与えるために」
 由玖斗は歯を食いしばって強く胸を打ち返す鼓動を押さえようとした。
 「すまないね、永見空士長。悪戯に君へ重荷を載せるようなことになってしまって。しかしね、君にしか成しえぬことだと私は思っているよ。君の腕なら無事に特殊作戦群の兵士たちを送り届けてくれるだろう」
 中将の声が頭の中で反響する。反響は反響を呼び、更なる反響を生む。
 由玖斗はそれまで固く閉じていた瞼を、意を決したかのように素早く開いた。
 「任務の内容は、福岡駐屯地へ移動し特殊作戦群の輸送機隊を沖縄本島へ護衛。その後、嘉手納基地攻撃の支援。それでよろしいですか」
 「うむ。頼んだよ、空士長」
 「はっ・・・。中将殿」
 「うん?」
 「あなたは偉大な軍人です。と同時に・・・やはりいささか常人離れした方です」
 マイクの前で本間中将は含み笑いをした。それは徐々に増していき、人に見せた事のないほど中将は高らかに、楽しそうに笑い声を上げた。
 「やっと君と打ち解けられたような気がするよ、永見君」
 「自分はただ、人間的に生きようと思ったまでであります」
 「そうかね・・・。それは嬉しいね・・・」
 「・・・では、行ってまいります」
 「羽ばたけ。大空に。駆け抜けたまえ。明日の日に向かって」
 「・・・了解」
 プツリと無線は切れた。全ての念を断ち切るように。
 エンジンをかけて発艦ポイントまで移動する。
誘導員がまた脇へ消えていった。
操縦桿を握りなおす。
また体温を奪われていった。
暗闇の世界を睨みつける。
戦闘の明かりでうねる雨雲が微かに見えた。
「アキュート、発進します」


空で、由玖斗は双龍を見やり静かに敬礼した。


つづく

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