- 運営しているクリエイター
記事一覧
「死にたい」も「結婚したい」も「5000兆円ほしい」も同じ気持ちで言っている私の話
◼︎私は、「死にたくないけど死にたいと言うし別にふざけているわけでもなく本気で言っている、ただし基本的にはほんとに死にたくはない」人間だ。
そしてそれとは別に、「希死念慮」というものに襲われることがある。
◼︎私は、「死にたい」を「結婚したい」や「5000兆円ほしい」と同じ気持ちで言っている。
死にたいわけではない。
結婚したいわけでもない。
でも、「死にたい」「結婚したい」と思う。
500
「自分の感受性くらい」とはいうけれど。
Twitterやnoteにさらさらと文章を書けるようになりたくて、「書けるひとになる!魂の文章術」という本をKindleで購入した。
文章を書く練習として、感じたことをすべて書き出してみようとあり、なるほど、と思い、「何でも書くノート」を作った(TOEICの勉強をしようと思ったらしく、表紙に「TOEIC」と書かれているが中身はまっさらなままのノートを見つけたので再利用した。何年前のものだろう)。
自分を理解されたいけどその辺の軽薄なヤツらとつるむなんてごめんだって思ってたあの頃の私の話
オタク以外の人と普通に会話することができなかった頃、クラスの明るくて爽やかな女子の話すタイミングや声のトーンをひたすら観察していた。
話しかけてくれた時にも、相手が笑顔なら同じように笑顔で返したり。
爽やかかどうかはわからないけど、それなりに明るく話せるようにはなった。
「あの子たちを見習おう」と思えるようになるまでは、「あいつらは軽薄で中身がない。私は深い繋がりを求めている」とか思っていた。
君は「驚異の伸張法」をおぼえているか
「驚異の伸張法」。
それを初めて知ったのは、ジャンプだったかガンガンだったか。
あの頃、少年誌も少女誌も、巻末にはうさんくさい小物の通販や情報商材の宣伝が載っていた。
最近は読んでいないのでまだその広告があるのかわからないけれど、「サン宝石」は数年前に店舗ができていたので、きっとまだ掲載されているのだろう。
あのうさんくさいページには、夢があった。
鞄やベルトループにつけてアクセサリーにも。
ストップ!巻き込み自虐
自虐ネタで笑いを取ろうと思ったら、その場がシーンと静まり返ったことはありませんか?
Twitterに投稿した渾身の自虐ネタが、思ったようにバズらず、むしろ完全にスルーされたことは?
その自虐、巻き込み自虐になっていませんか?
みたいなことをふと思いついたので、ちょっと整理してみました。
◼︎なんのために自虐をするのか
・「こんな私がダメなのはわかっているんです」という先制防御
・自分を表現す
自分の問題だか他人の問題だか、ごっちゃになってしまったときは。
他人の想いや行いがどんどん目に入ってくるいま、私たちは、何もしない居心地の悪さに慣れる必要があるのではないか。
ネットでもそうだし、ネットを多くの人が使うようになるよりもっと以前から、道行く他人や家族や友人から、会社の上司から、「それは私の問題であって、あなたに口を出されることではない」と思うような口出しをされることはあっただろう。
反対に、自分が余計な口出しをしたり、口を出さないまでも、気
薬になることは、誰かの毒になるということ
「毒にも薬にもならない」という言葉がある。
それって、実はものすごいことなんじゃないか。
大学生の頃、教養科目で「毒と薬」という授業が大好きだった。
あらゆるものごとには、「しきい値」というものがある。それを下回れば効果はでない。上回ると効果が現れる。そこで現れる効果が望ましければ薬、望ましくなければ毒と呼ばれる。
規定の量を飲むと病気が治るなら薬、死んでしまうなら毒。
同じ効果でも、ある程
観どき、読みどき、食しどき
「この本/映画/料理は自分が絶対好きなやつだな」と思っても、「でも、いまほしくないな」というときに無理に摂取すると、「読まなきゃ/観なきゃ/食べなきゃよかったな」とげんなりしたりする。
でも、限定物だったり、舞台や映画なら劇場で観られる期間が限られていたり、「いま手に入れなきゃ」という気にさせられる。
旬であるときに、それを一番おいしく味わえるコンディションでいられるって、なかなかない。
筑前煮フォビア~おとなりの夕飯の香りを添えて~
私は筑前煮というものを妙に嫌悪している。
嫌いになるほど食べた覚えはないし筑前煮がどんなものかをはっきりとも思い浮かべられないのだが、「筑前煮」という料理名を聞くと嫌な顔をしてしまう。
私がこんなにも筑前煮を嫌う元となったのは、漫画「あたしンち」のとあるエピソードである。
中学生のユズヒコは、給食まであと少しという4時間目をじれったく過ごしていた。
席の近い友人らと「いま何が食べたいか
人形にブチ切れられた話
小学生の頃、友人が人形を買ってもらったから乙女ちゃんも何か持ってきて一緒に遊ぼうと言われた。
お気に入りの猫のぬいぐるみを持って行ったが、「人形じゃないと遊びにならないじゃん!」と言われ、渋々抱き人形を持って行った。
友人の人形は有名玩具メーカーから当時発売されたばかりの、横にすると目を閉じるお世話人形だった。
私の人形は私が小さい頃におばだか祖母だかが百貨店で買ってきてくれたフランス人形風のもの
行ってらっしゃい、未来のタカラジェンヌ
ある演目のチケットがどうしても取れず、当日券を狙って、朝早いうちから東京宝塚劇場の前に並んだ。
朝早くとは言っても、自宅から劇場までは1時間半ほどかかるうえ、始バスは午前6時台だ。
到着した頃には既に8時を回っており、かなりの人数が列をなしていた。
最後尾を確認して並ぶと、しばらくして、係員の男性がカチカチと計数器を鳴らしながらやってきた。
「いま何人くらい並んでいますか?」
「120人くらい