自分の問題だか他人の問題だか、ごっちゃになってしまったときは。
他人の想いや行いがどんどん目に入ってくるいま、私たちは、何もしない居心地の悪さに慣れる必要があるのではないか。
ネットでもそうだし、ネットを多くの人が使うようになるよりもっと以前から、道行く他人や家族や友人から、会社の上司から、「それは私の問題であって、あなたに口を出されることではない」と思うような口出しをされることはあっただろう。
反対に、自分が余計な口出しをしたり、口を出さないまでも、気になってしかたのないことが。
何もしない居心地の悪さの原因はいくつかあると思う。
他人がやっているパズルゲーム(テトリスやぷよぷよでもツムツム、パズドラでも)をはたで見ている時の、「ああそこじゃないのに、こうすれば良かったのに、ああ何してるのじれったいな」という、思い通りにいかないもどかしさ。
本棚に巻数通りに並んでいない本、流しっぱなしの水道など、何かしたら正しい状態になると思えるもの。
泣いている子どもがあやされないでいること、「体調が悪い」「お金がない」、「仕事したくない」、「結婚したい」などのつらさや願望を口に出している人がいるなど、誰かが満たされない状態でいること。
そういう居心地の悪さって、本当にすぐ正さなきゃいけないんだろうか。
そのままにしておいても、いいんじゃないだろうか。
ものごとは自分の思い通りにいかない。「自分がやれば正しい状態にできるのに、他の人はなぜしないのか」と思っても、それは「正しい」が自分の思う「正しい」だからで、他の人はそうしたいと思っていないからそうしないだけなのかもしれない。
他の人にとっては既に「正しい」状態になっているのかもしれない。
「正しい」状態がどういうものかはわかっていても、そうするのがとても難しいのかもしれない。
私は人がしていることが気になってしまう方だ。
Twitterなど見ていても、話題のニュースや賛否を呼ぶツイートが目に入ると気になってしまう。
でも全部自分がどうにかできるわけではない。
そもそも自分の人生の方をもう少し思い通りにすることに、時間や労力を割いていきたい。
だから、「どうにかしたい」と思うことに手を出すかどうか、基準をいくつか考えてみた。
他人事でも自分ごとでも、これをもとに取捨選択したら、もっと成し遂げられることが増えるな、と思えるように。
1. 自分が求められているか
自分自身の問題、友人からの相談、「手伝って欲しい」と頼まれたなど、直接的に自分が対応する理由がある。
「人手が足りない」と呼びかけているなど、自分宛に明確に発せられていないものはこれには当てはまらない。
2. それをどうにかしないと自分に不都合があるか
何もしなくても不都合のない、遠くの出来事ではないか。
3. 自分が役立てるかどうか
他人のことで、求められていなくて、自分に不都合もないが、その問題の当事者の求める通りにすることに自分が役立てるかどうか。
まず上記の三つのどれかに当てはまるものに対応する。
それ以外のものは、どうしても気になって他のことが手につかない!というのでない限り、スルーする。
どうしても気になるので手を出す場合は、以下を守って手を出す。
4. 「これは自分が片付けないと落ち着かないから、手を出したいからしていること」と心得て、その問題の当事者の邪魔にならないこと。