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🗾2人は私にとって『信長と光秀』
🗺️2人の目指すべきモデルはあの偉人の2人!
🔹光明池は大事な参謀役!明智光秀のキャラを目指す!
光明池の『光明』は光秀の『光る黄金の頭脳(キンカン頭)』と
意味を掛けている。
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光の演出はこの数日で、飛躍的に得意技になりました。
↓ 詳しくはこの記事をどうぞ。↓
明智光秀は、主君である織田信長から「キンカン頭」とあだ名をつけられていました。これは「ハゲ頭」を意味します。実際、彼は髪が薄かったそうです。しかし、私は信長がこのあだ名に別の意味を込めたとも考えています。それは「黄金に光る頭脳」という意味です。
「お前のその知恵と策略に期待しているぞ。これからも励んで働くんだぞ」という激励の言葉だったのではないでしょうか。私は、明智光秀の忠誠心や多才な能力、戦略的な思考に深く敬意を抱いています。だからこそ、彼の「禿げている」という特徴を、むしろかっこよく表現したいのです!
🔹信長と光秀の関係性!
登場する堺と光明池の二人は、私にとっての織田信長と明智光秀のような存在です。歴史では、信長がパワハラ上司、光秀が真面目な部下として描かれ、最後には光秀が謀反を起こし、本能寺の変で信長を討ったと習います。しかし、実はそんな単純な話ではないのです。
光秀の母の問題や室町将軍との関係、さらには長宗我部の事情や領地の没収といった背景がありました。また、信長だけでなく長男の信忠を討つチャンスもあったという点や、地方軍の制度など、あの本能寺の変には様々な要因が絡み合っていたのです。
実は、光秀と信長は非常に仲が良かったのです。たとえば、延暦寺の焼き討ちも、実は戦略的に光秀が立案したとする証拠があります。光秀は信長に忠誠を尽くしていたのです。それにもかかわらず、歴史では「裏切り者」というレッテルを貼られています。なんて不憫なことでしょうか。
🔹私は堺と光明池をこう描きたい!
信長は「こういう世の中(未来)にしたい」と理想を掲げ、それを実現するために、光秀が「黄金の頭脳」でサポートする。
パワハラ上司と被害者の部下という関係ではなく、お互いに助け合い、時には口論もしながら共に進んでいく、そんな人間関係が理想です。
ちなみに、信長が上洛後、最初に直轄した大阪の地は堺だったと思います。
キャラクターを作り上げていくのは本当に有意義です。
これからも頑張ります!
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