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『「原っぱ」という社会がほしい』を読む

本日は、橋本治『「原っぱ」という社会がほしい』(河出新書2021)の読書感想文です。

ほんわかした頭のいいオジさん、と慕っていた人

私は、本書を購入するまで橋本治氏(1948/3/25-2019/1/29)が亡くなっていたことを知りませんでした。誠に失礼ながら、小説家・評論家・随筆家として活躍された橋本氏を、私は「ほんわかした頭のいいオジさん」と勝手に想像して、慕っていました。橋本氏の文体や対象を扱う視点や議論の切り取り方が好きでした。享年70歳。早過ぎる死だと思います。

名著『上司は思いつきでものを言う』

橋本氏の著作を熱心に読み漁った、熱心な読者という程ではありません。私が橋本氏に寄せている思慕の情は、『上司は思いつきでものを言う』(集英社新書2004)を読んだ時の印象からはじまっています。

2005年に米国駐在から帰国して配属された職場は問題山積で、毎日朝から夜まで猛烈に働く環境がやってきました。不慣れな仕事に立ち向かう中での数々の理不尽と組織的非効率に悶々としていた時に出会ったのが、この本でした。埴輪を売る会社で事業企画を担当する若手社員と、会社幹部とが繰り広げる架空の物語が最高に面白かったのでした。

状況設定(埴輪を売る会社)こそ極端で奇抜なものの、そこで交わされるやり取りや展開が、日常のサラリーマン生活の"あるある"過ぎて、随所に爆笑しながら、すっかり納得していました。

タイトルである『上司は思いつきでものを言う』の事例としては最高で、組織の中でそのような理不尽が起こってしまうメカニズムの説明が、論理的で説得力があって素晴らしく、すっかりファンになりました。部署の後輩たちにも推薦し、一緒に溜め息をついたこともありました。

「原っぱ」という絶妙の比喩

本書の序文は、内田樹氏(1950/9/30-)が書いています。内田氏もまた私の好きな言論人なので、橋本氏と内田氏が懇意だったことを知って、嬉しく感じました。

本書の第三章「原っぱの論理」は、橋本氏が1987年に行った講演の内容をベースに1992年に河出文庫から刊行された『ぼくたちの近代史』に収められていたものの再録です。内田氏は、この「原っぱの論理」こそが、橋本氏の真骨頂であり、活動の根底にあったものだ、という見立てを書いています。

とりあえず僕は「ものを書くというのは原っぱで遊ぶことと一緒だよ」ということを橋本さんから教わったように思います。(P5)
橋本さんがその生涯をかけてしてきたのは、「誰のものでもない土地で空いているだけ」の場所を、そこから無尽蔵の喜びを引き出すことのできる「草の海」に見立てることだったと思います。(P4)

実際、「原っぱの論理」に書かれている内容は素晴らしく、本書がこの世に出た価値そのものと言えそうです。内田氏は、この序文で橋本氏との思い出を回想して色々と書かれています。私の「ほんわかした頭のいいオジさん」という印象はそう外れていなかったなあ……、と思いました。

現在と過去を視る着眼点 ~ベスト盤を味わう

第一章の”「近未来」としての平成…”は、2019年4月末で平成が終わることを受けて執筆中だった未完の遺稿、第二章の”「昭和」が向こうへ飛んでいく…”は、1989年1月に昭和天皇が逝去したことを受けて昭和を総括したものになっています。

第四章は、本書と同じく逝去後に刊行された「思いつきで世界は進む」(ちくま新書2019)に未収録分ということです。

時代を切り取り、潜んでいる論点を独自の切り口で炙り出す仕事を続けてきた橋本氏の『ベスト盤』のような趣の一冊でした。

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