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先週のある日、いきなり雷に打たれたような体調の崩し方をした。 具合は悪いくせに、すこぶる食欲はあった。 それも、お粥やおうどんみたいに優しいものじゃなくて、炭でジュージュー焼いた骨つき肉みたいなものが欲しいという。 ハハそんなアホなと思いつつ、そうだ、こういうときは欲しいものをガツガツ食べるに限る!と確信したのにはミーハーな理由がありました。 話がそれるようでつながっているんですが、好きな映画のワンシーンに、ルパン三世のカリオストロの城があります。ルパンがボロボロになっ
今日はオムレツではなく、たまごやきにケチャップ。 「子どもの頃よく朝ごはんに食べたなぁ」と思い出したら、無性に食べたくなったのだ。 思い出の味とかってよく聞きますけど、味って、なにを持ってして思い出されるんでしょう? (脳みそが働いてそうなるのよ、なんて言われちゃったらそれまでなんですけどね) この、たまごやきとケチャップの場合は、どういう類のものであれ、オムレツではなくたまごやきの端っこの方に、こうたらたら〜っとケチャップが添えてあれば、だいたいわたしの思い出の味にな
今日は隣町のスーパーまで買い物に出かけたのだけど、それは近所のスーパーにお気に入りの生クリームが売っていないためである。 国道の雪はほとんどとけていて、路面が見えていた。 北海道って2月が一番寒いイメージだったんだけどなぁ。 髪の毛が一本一本凍って、それが白髪みたいで、あと鼻がくっついて、家は羽毛布団の中みたいにほかほかあったかくて。 東京生活の方が長い私がついに北海道の「THE・冬」を経験を元に語れるようになってきたなぁと思っていた矢先、不意に春のつま先を拝んでしまっ
オヤノジコマンで、息子のお昼ごはんはパンケーキでした。 ちぎってはポイ、拾ってはポイ、を繰り返しながらもムシャムシャ食べてくれました。 離乳食ではもうないけれど、「こんなのどうかな」と新しいことをしてみた時ほど無反応だったり嫌がったりして、てきとうにこさえた納豆ご飯の方をおいしそうに食べたりする。 「とほほ……」と肩を落とす自分と、わたしのやったことに対して“反応すること”を求めちゃってた自分がいる。 わかりやすい反応を求めているのは大人、保護者、親の方である。 人は
冷蔵庫にひき肉が残っていて、キャベツをひと玉買ってあった。コトコト煮込むのは薪ストーブにおまかせ。ごはんは日本風の、醤油をかけるバターライスにした。 息子が夕方5時に寝て、夫は出張でお泊り。久しぶりに一人の夜。 「どうしよう……何しよう!?」 と、突然与えられた夜の時間に半狂乱しつつも、お腹いっぱい食べ終わったら、あっという間にまぶたが重くなってきたのでした。
さらりと行けて激しい感動はなかったのだが、息子とふたりで初喫茶店へ。 ご主人が「あえて“とって付き”にしました」と言って出してくれたココア。この店はいわゆるカフェオレボウルでココアを出してくれるのだが、息子と一緒ならとってが付いていたほうが良いだろうという配慮である(たぶん)。 こういうことをさらりとできるご主人に脱帽した。ごく当たり前のようにお客さん一人一人に適切な気配りをしているご主人の身のこなしを見て、「これは接客の骨頂だな」と思った。ご主人にとっては仕事なんだけど
小川糸さんの本を読み終えたので、よし図書館に行こうと思った。 その日はお散歩がてら夫と息子と一緒に行くつもりでいた。さぁ出かけようかという時、夫の胸の中でとろけたチーズのように息子が眠ってしまった。 「行ってきたら?」と夫に促され、一人図書館へ行くことにした。 初めて自分のために買った革靴があって、今日は絶対にこれを履いて散歩に行こうと決めていた。一人で出かけることになったので歩く必要も車を運転する必要もなくなった。久しぶりに自転車だな、と夫のファットバイクをいそいそと車
彼にはルールがない。 だから日曜日の朝ごはんを窓辺で食べようが、温めたおじやに手を突っ込もうが、床に落ちた米粒をぬちゃぬちゃしようが、まったくもって自由なのである。 ものごとのルールって、「これ管理したいな」と思った人が管理しやすくするために作り出すものなのかもね。うまくつきあわないとね。 と思った週末でした。
「あんた、そういう包み方になったんだ」と母に言われ、ドキッとした。 わたしの母は中華料理屋の娘で、幼い頃から店を手伝っていたらしい。母は酔っ払った客は面倒でいやだなぁとか、ラーメンと一緒にライス食べるなんてありえないわとか、子どもなりに世間の深いところや端っこの方をラードの香りと一緒に吸い込んできたのだと思う。様々な人の織りなす点と点が店の中で交わり、経歴も背景もごちゃ混ぜになって、そういうところで青春期を送ってきた人だからこそ滲み出てくる、万人に対する愛情のようなもの。そ
絵や工作が好きで「ダンボール屋さんになろう」と思っていたことがある。 とにかくダンボールで遊ぶのが好きで、ダンボールの可能性に宇宙を感じていた。薬局の裏口やマンションの資源置き場にこっそり通って手に入れた色々な種類のダンボールを、切ったり貼ったり描いたりしていよいよ粉微塵になって「いいかげんに片付けなさい」と母に怒られるまで遊び倒した。そんな風にダンボールと戯れている最中はたいてい誰にも茶茶を入れられずに一人の世界に浸れ、そういう「静」の中で黙々と「動」するという時間に居心
「きみのキッシュはもはや親子丼と同じカテゴリーだ」 と、夫に褒められたのは昨晩の夕ごはんでのことだ。「褒めてるんだよ?」と付け足すあたりが夫らしいが、そう言われなくともア、わたし今褒められたんだわと思った。親子丼はその見た目、香り、食後の満足感、などどこをとっても隙がなく完成されているなぁと尊敬すらしているが、食べ終わる頃にはおなかもこころもすっかり羽衣で包まれるような気持ちになれるのが何よりの効能だと思う。 昨晩つくったのは、摘果メロンのキッシュだ。 ネギ1本分ときの
夫が熱を出したのでポカリスエットを買いに行った。 はじめは手作りしたイオン飲料を飲んでもらい、口に合わなかったらポカリ買いに行くよと断りを入れたがこれは飲めると言うので、1.5リットルのペットボトル1本分つくって枕元に置いておいた。残りが1/4ほどになった頃、やっぱりポカリ飲んでみようかなと小さく言うので、はいやっぱりそうよね。と頷きながら夫のファットバイクをかっ飛ばしてドラッグストアへ向かった。どんなに素晴らしい自然療法だろうと、長年身体に染みついた食べ物と飲み物の記憶と
室蘭に住んでいる人生の先輩から、殻つきのホヤをいただいた。 「お祭りで金魚をとってきたからおすそ分けするね」というような見た目の透明なビニール袋たっぷりに、海水に浸かっている大きなホヤが一つ入っていた。 キッチンばさみだけで捌けるという動画を見つけ、一連の流れを見たら、「ああ、これならわたしにもできそうだわ」と思った。3%の塩水を用意して、いざ、ビニール袋に右手を入れ、ホヤを取り出した。 ホヤは、ぬんめりと重たかった。つい昨日まで生きていたという事実をまざまざと感じ、わた
朝、目を覚ました息子がこの辺りを見てケラケラ笑っていた。 「何が見えているんだろう……」 もうわたしには見えない世界があって、彼にはそれが見えている。きっと、そういう世界に彼は守られているんだろう。 かあちゃんはすっかり見える世界に慣れちゃったから、こんな風に想像することしかできないぜ。 目に見えない世界や、知らない世界がある。自分だけのものの見方があって、それは家族でさえ共有することは難しい。そういう世界の存在を知れば、もっと、お腹の底から、