「なんの変哲もない」という癒し
「きみのキッシュはもはや親子丼と同じカテゴリーだ」
と、夫に褒められたのは昨晩の夕ごはんでのことだ。「褒めてるんだよ?」と付け足すあたりが夫らしいが、そう言われなくともア、わたし今褒められたんだわと思った。親子丼はその見た目、香り、食後の満足感、などどこをとっても隙がなく完成されているなぁと尊敬すらしているが、食べ終わる頃にはおなかもこころもすっかり羽衣で包まれるような気持ちになれるのが何よりの効能だと思う。
昨晩つくったのは、摘果メロンのキッシュだ。
ネギ1本分ときのこ類を多めのオリーブオイルでしっかり炒めて、塩こしょうなどでちょっと濃いめに下味をつけておく。おすそわけの摘果メロンがあったので、皮をむきタネをスプーンでくり抜いて薄くスライスする。小麦粉とふすまを適当に合わせて冷蔵庫に寝かせておいた生地を耐熱皿に敷き、炒めたネギときのことスライスした摘果メロンを交互に重ね、溶いた卵2個分に豆乳を混ぜた液を流し込む。最後にチーズをちりちり散らして、オーブンで40分くらいこんがり焼く。
これは本当においしかった。
濃いめに味を付けたネギときのこの旨味が淡白な摘果メロンに移り、カットした際に野菜のスープがあふれた。つゆだくのキッシュなんてナシだろうか。昨晩のごはんは玄米だったが、それにもよく合った。
キッシュもそれ自体で完成されている食物だと思っていて、旬の野菜や冷蔵庫に残っているベーコンの端っこや豆や魚やらが層になって卵にくるまれサクサクの生地に抱きしめられている容姿がとにかく愛おしい。思いついたら即つくって食べたいものだ。
この幸福感は何かに似ていて一体なんだろうと思っていたら、日本の煮物がそれに近いとわかった。煮物は毎日食卓にのぼってもさほど気にも止められないがだからといってまったく箸をつけられないわけでもなく、ごはんを頬張りお味噌汁をすすった後、チョン、チョンとごぼうとか里芋とか角の取れたにんじんなんかをつまみたくなる。バラエティー番組をラジオ替わりに流しながら家族がゆるく集う居間で、炊きたてのごはんとお味噌汁と並んで食卓に鎮座する煮物をわたしは心から尊敬していて、そういう毎日食べても飽きない煮物みたいなキッシュがつくれたらいいなぁと思い、そうして昨晩のキッシュが出来上がった。
食事に関して言葉数の多い方ではない夫に親子丼と同じカテゴリーに入れてもらえたことは純粋にうれしく、手の込んだご馳走も時には味わいたくなるけれど、日々わたしたちを癒してくれるものはなんの変哲もない、家庭の食卓にいつもあるものなんだなと思った。
キッシュは2片残した。たっぷりつくった煮物と同様、翌朝に食べる冷めてしっとりと落ち着いたキッシュは、それはもう絶品なのだ。