マナティー
他の方の文章で、いいなと思ったもの集。
読んだ本、訪れた美術展などの消化のために。
勉強しようと、PCもって近所のカフェに来た。 ブルーライトカットの眼鏡ケースもってきたのに、中が空っぽ。 ペンケースももってきたのに、中にはいつも使ってるペンが入っていなかった。 そんな日。 知人のSNSを見ると、どこそこに出かけた、どこそこで美味しいもの食べた、どこそこに泊まった、といった消費情報であふれている。 いっぽう自分は、朝10時半に起き、家の片づけを少ししてからコーヒーを淹れて飲み、布団や洗濯物を干し、掃除機をかけていた。それから、斉藤和義を熱唱したり、なんだか
何かを共にしないと、人はただの、ヒト。 これから気が向いたときに、記憶に残っているひとについて書いていこう。 ベトナム留学から帰ってきてすぐに就活の荒波に揉まれ、パラレルワールドのようで辟易していた頃だった。すでに何社かはエントリーシートを経て面接へ進み、そのうち何社かからは既にお祈りメールが来ていたかもしれない。 帰り道、ふと、「桜が見たいな」と思った。 方面は全く違っていたが、中学・高校・大学と行きつけの繁華街であった吉祥寺に、自然と足が向く。 井の頭公園の桜は満開だ
暇だ。 部屋を10時にチェックアウトしてしまって、新宿駅への直行バスまで、あと4時間半もある。いま、ようやく10:40。 先程までいた直行バス客用の控室は、畳敷きに座布団がたくさん置いてあり、外も少しは見えたけれど、何だか避難所みたいだった。薄暗いし、オバチャンたちのお茶会が賑やかだしで、みじめな気もちになったので、すぐに出てきた。 それで、今、お食事処にいる。難民。コーヒー飲み放題だし、静かだ。 それにしても、何て美しいんだろう、窓からの景色。森の木々に、雪が積もって深
新品の本を買いたい時っていうのがあるのだ。 ぼわんと過ごした日曜日の夕方、すこし湿度の抜けた夏の風がふく。 公園では蝉がしぐれ、カラスがなき、カモは水浴びをし、おじさんはアフリカの太鼓をたたいている。 部活がえりの高校生。ひとりでサッカーボールをける男の子。犬の散歩をする夫婦。 明日から読みはじめる村上春樹は、きっとおもしろいはずだ。
出社日のお昼はいつも、公園でピクニックをする。 一日中まっ白いオフィスで画面とにらめっこしているので、光合成できるこの時間はほんとうに幸せな気持ちだ。 ところがこのところ、ヤツらの急接近により、私の快適なランチタイムが脅かされている。 そう、カラスだ。 接近レポート~3月2日 (水)~ 手作り弁当(おむすび、唐揚げ、みそ汁)を広げていたところ、ヤツは隣のベンチに飛んできた。置きっぱなしだった幼児のリュックをあさった後こちらへ目線を移し、近くの木まで飛んでいって私を見つめて
「表現」という言葉が苦手だ。なにか魔法をつかっているような、自分の手から離れているもののような感じがする。ぶかぶかだ。 「創作」という言葉はすきだ。大きさや立派さが関係なく、作る工程そのものを指していて、きらきらしている。心身ともに引きこもっていても、形になっていなくても許される感じ。 「作品」という言葉はだいすきだ。自分の酸いも甘いも混ざった創作の跡を枠で囲って、きちんとした形のように見せてくれるから。 中学生の頃、国語の時間に私は偉大な発見をした。 それは「作品とは作家
ふるさと納税のワンストップ申請。郵送期限に間に合わない以前に、 マイナンバーカード未申請×通知カード紛失×地元の証明書自動交付機が臨時休止中で、どうあがいても無理だとわかった。確定申告しマス、、、 この際なので深夜にマイナンバーカード申請してる。今年は色々余裕もっていきたいナ
ベトナムフェスティバル2021、初めて本格的に舞台制作に携わらせてもらった。 ステージ袖から見る演者たちはきらきらしていて、この角度は特等席なのだと知った。 そんな「袖」という空間について、私が感じたことを書いていこうと思う。 まず、まっさきに思いつく袖の役割とは「人やモノの待機・入りはけ」だろう。 しかしその物理的な役割のほか、精神的にも大きな役割があると私は思う。 「精神的役割」。それはつまり、「袖=出演者がより良いパフォーマンスをするための仕上げの空間」ということ
私は、みんなのほんとうが知りたいと思うのだ。 気取った写真でも、いいところだけにトリミングした日常でもなく。 (それも嘘という訳ではないが) 暇をもてあました末の散歩の風景や、澱のように溜まった虚しさ。わざわざ他人に言うほどでもないけれどクスッと笑っちゃったこと、情けなく思ったこと、びっくりしたこと。 たとえば、今私がこれを書いているマンションのベランダで、カラスが目の前30cmのところを横切っていったとか。この間駅でパスモをチャージした後、カード取り出し口の勢いが良す
虫刺されがあって、脚のいろんなところがかゆい。どこで刺されたんだろう、こんなに。右だけで12か所もある。すぐ芝生やベランダで座ったり寝転がる癖がある私には思い当たる節がありすぎて特定できない。 在宅勤務って、ちゃんと勤務できている人いるんだろうか。 そりゃあ、やることたくさんの日だってある。しかし今日みたいに、やることも上司からの連絡もこれといって無い日には、ベランダから空を眺めるしかない。こんなに空気が気持ちよくて空が綺麗なのに、画面とにらめっこしているなんて馬鹿らしく
生涯を通しての私の目標。 それはイイ笑顔のおばあちゃんになることだ。 小さい頃から「映える微笑」よりもくしゃくしゃに笑う顔に惹かれてきたが、留学先のベトナムで、忘れられないほどイイ笑顔のおばあちゃんと出会ってしまったのだ。以降、私は彼女を笑顔の師としている。 「イイ笑顔のおばあちゃん」 この難易度、想像できるだろうか。 簡単でしょ、と思ったそこのあなた。すぐに言い切っちゃぁいけない。まず年を重ねてイイ顔でいるためにはイイ人生を送ることが必須だし、おばあちゃんになるまで生
きょうは15分で、脳内掘削事業について書いていこうと思う。 脳内は無限の宇宙で、どこかが何かにつながっていたりつながっていなかったりする。 こう言うと凡人感が溢れ出るのだが、私は「キミの頭ン中どうなってんの」といわれるタイプの人間を自力で目指しているため、脳内を積極的に掘削している。 その手法のうち、今回は2つをご紹介しよう。 まず一つ目は、心にうつりゆくよしなしごとをノートに書き記すこと。 これの良い点は、言葉だけでなくイラストや何かを貼るのが自由にできるところ。悪
唐突だが、私はノートがすきだ。文房具の。 文房具全般すきだが、ノートは断トツである。 特に用事がなくても、街を歩けば文房具屋か本屋のノート売り場にふらふらと吸い寄せられてしまう。 紙の手触り、色、罫線の色・形状、表紙のやはらかさ、全体の色合いなど、それぞれのノートに特徴があるが、私の好みど真ん中は「クリーム色の紙、5mmマス or 7mm罫 or 無地、線の色薄め」だ。(サイズはA5前後が多い) 友人に限定版ノートをプレゼントしたことも、贈る相手のためにオーダーメイドして
よし、なんか書こう。そう思い立った午前12時半。 だらだらとしっかり8時間在宅勤務をして、皮膚科へ行き、家で夕飯のステーキを食べ、テレビでオリンピックを見て、音楽を聴きながらデザイン学校の課題をやり、今に至る。かなり眠い状態でこれを書いている。 夜間で週2日通っているデザイン専門学校は、けっこう課題が出る。適当にやろうと思うと適当に終われるが、そんなことは嫌なので、ちゃんとやろうと思っている。楽しいし。するといつのまにか前期の授業が全て終わっていて、夏休み期間中に消化するこ
写真は死んで行く時の記録。 嵐の日も雨の日も ぼくが撮る写真は、 いつも晴れた日。 (篠山紀信) 恵比寿にある東京都写真美術館へ、篠山紀信の写真展『新・晴れた日』を見に行った。この写真展では、1960年代~現在の60年間にもわたる期間の作品が展示されている。 パンフレットに記載されている篠山自身の解説が面白く、写真の世界に入り込める。話しかけてくるような口調のコメントにクスッと笑ってしまう。 今回、印象的だったことは3つある。 まず一つ目は「人間っぽさ」だ。
朝7時、起床。 顔を洗い、 長い髪を頭のてっぺんでお団子にする。 メイクはしない。 7時10分、服を着替える。 メルボルンの冬は、 雪こそ降らないけれど 南極からの直風が氷の冷たさだ。 ヒートテック2枚。 セーター、コート、マフラーをぐるぐる。 ブーツを履く。 7時20分、リビングに降りる。 ホームステイのお家は 信じられないほど広い。 ブルーベリーヨーグルトを 大急ぎで口に運ぶ。 「長靴は?」「もったよ!」 「サングラスは?」「もったよ!」 「軍手は?」「もったってば