自分たちが住みたい場所は、自分たち市民の手でしかつくれない
文筆家・ファシリテーター・ライフコーチのまなみです。
「自然の中に学びの場をつくる」ことを目標に、2024年2月から東京都日野市に越してきました。
美しい作品を考え、作り、表すことで学習者の主体性を育み、学習者・コミュニティ・世界中の生命を豊かにする、そんな学びの場をみなさんとつくっていけると嬉しいです。
さて10月上旬に、日野市の大木島自然公園で彼岸花が咲いていました。
今年は本数も多かったようで、近所の方が「今まで見た中で一番勢いよく咲いている!」とのこと。
ここ大木島自然公園は、浅川の対岸にある向島緑地とともに、日野市で唯一平地に残る緑地になっています。(他の緑地は崖線上の傾斜地にあります)
日野市の雑木林ボランティア養成講座に通い始めて、半年ほど経ちました。
講座に通う傍ら、実際の月1のボランティア活動にも8月から参加してみました。8月は暑かったので熱中症にならないか心配でしたが、緑地の木陰の下はびっくりするほど涼しかったです。市民ボランティアの先輩方に道具の使い方や植物の判別方法を教えてもらいながら、没頭してあっという間の2時間半を過ごしました。
そして9月末には日野市の雑木林ボランティアのシンポジウムも行われたので、参加してきました。(当日の様子はYouTube配信されています)歴代の養成講座参加者や他のボランティアグループのお話、そして明治大学農学部の倉本宣教授による、里山づくりについてのお話を聞くことができました。自分自身、座学と実地研修を並行することで、雑木林・緑地・里山について新たに知ったことをこのnoteにまとめてみたいと思います。
縄文時代から人間に近い存在だった雑木林
みなさんは「雑木林」と言うと、どんなイメージでしょうか?
木が鬱蒼と生い茂っていて、手付かずの自然というイメージでしょうか?
雑木林ボランティア養成講座で学んだのは、雑木林というのは里山の一部で、人間が田んぼや畑の堆肥、そして燃料を確保するために使われていた林だということです。雑木林はなんと縄文時代から人間によって管理されてきたとのこと!つまり、手付かずの自然ではなく、自然林の手前にある人間によって管理された林になります。「雑木」という植物はなく、本来切った木には用途があり、その用途が定まっていないと「雑」な「木」と呼んでいたそうです。
個人的にすごく納得したのが、雑木林や里山は1950年代後半から1960年代にかけての産業構造の転換と生活様式の変化で、それまでの用途を失ったというところです。池田内閣が所得倍増計画を打ち出し、東京オリンピックの準備が進んだ頃、日本人の暮らしには大きな変化がありました。石油化学製品が発達したため、足場・洗濯竿・箱などがすべて木製から鉄やプラスチック製に取って代わりました。また、農耕用の牛馬は農業機械に、緑肥は化学肥料に、屋根は茅葺からトタンに代わったため、日々の生活からも里山の資源が消えていきました。自分は祖父母の代が転換前の時代、親の代が転換後の時代で育っていて、それぞれの話を聞いて生活様式の違いを感じていたため、とても納得しました。
生物多様性の保護は「人間の主観」
もう一つ興味深かったのが、生物多様性についての考え方でした。
生物多様性というと人間の手がなくなればなくなるほど、動物も植物も自然と多様になっていくような気がしていたのは私だけでしょうか。
雑木林では人の手が入らなくなると、実は「多様性がなくなる」と言われています。
雑木林の木を適度に切らないと、日当たり競争が激しくなり、高く伸びた木が他の植物の日当たりを奪ってしまうそうです。その結果、一部の高く伸びた木だけ残り、その他の植物は消滅してしまいます。日本各地で問題になっている放置林はその状態で、生物多様性がない林だと言われています。
そういうわけで、雑木林は人間が整備することで多様性が実現します。人間が山を回りながら「この種類の花は珍しいから残す」「この種類の木はこの山にもっと必要だから切らない」などと判断するということです。実は雑木林における生物多様性は「人間の主観」だということです。
雑木林ボランティア養成講座中に面白い質問がありました。「ボランティア中にどの草木を切って、どの草木を残すのかはどうやって判断しているのか。切っていいと判断した草木を切ることで、逆にその種類が絶滅することはないのか」という質問でした。答えとしては市民ボランティアとしても農林水産省のガイドラインや絶滅危惧種の一覧を参考にはするけれども、その基準が絶対とは限らないということでした。とある種類の植物を切りすぎたことで、気がついたらその植物が絶滅寸前になることもありえるからです。
自然界にも弱肉強食という言葉がありますし、雑木林も人間の組織も、意外と意図を持って手をかけないと多様性が実現しないのかもしれないなと感じた出来事でした。
なぜ市民ボランティアが雑木林を保全すべきなのか
日野市の雑木林ボランティア養成講座に参加すると決めたとき、「面白そうな講座だけど、なぜボランティアを養成するんだろう?」と思っていました。雑木林ボランティア養成講座で学んでいる雑木林に関する知識や、手鎌や刈払機やチェーンソーの使い方は、それを仕事としている方もいらっしゃるからです。
しかし、雑木林が人間に必要な資源を調達するために管理される林であり、その生物多様性は人間の主観によって保全されていると知ると、市民ボランティアの意義がわかってきます。なぜなら究極的には、その土地をどんな場所にしたいか、どんな暮らしをしたいかということは、その土地に住んでいる市民にしかわからないからです。
雑木林の管理を業者に委託することもできます。そのときに対価が支払われますが、その対価は「いかに不要な木や植物を伐採することができたか」ということに対して支払われます。業者に「自分は普段この土地で生活していてこんな木々や花が見たいから、この種類は残して後は伐採しよう」という判断はできません。「秋に大木島自然公園にたくさん彼岸花が咲いていたら素敵だな」と判断して行動できるのは、そこに住んでいる市民なのです。そこに住んでいる市民が、市民のために決めて行動することが、すなわち「公共」の概念です。
日野市では「みどりワクワクチーム」という市民グループが、2020年から市所有の緑地を調査し、緑地の管理・活用計画を定めています。市内に点在している緑地を一つ一つ写真に撮り、地図にプロットします。その上で、自然度の高さと人の使用度の強さの二軸をベースに今後の管理・活用方針を決めていきます。自然度が高く、今は人の使用がないけれど整備したら子どもたちが使えそうだということで市民ボランティア活動が始まった緑地の一つが、冒頭でご紹介した大木島自然公園の対岸の向島緑地でした。
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今東京都内では、都と一部の不動産会社による街の設計がどんどん進んでいます。東京の特に山手エリアは江戸時代からの街割りが残り、ウォーカブルな街でしたが、近年は目先の利益を優先してどんどん同じような高層ビルが建てられています。インバウンドにお金を落としてもらえるように商業化を進めていますが、それはイコールそこにもともと住んでいたり、回遊していたりした現地の人を排除することになります。こうして東京はどんどん富裕層と観光客の街になり、多様性や文化を欠いていくのです。(しかもインバウンドも何を見たいかと言ったら、どの都市でも見れる高層ビルではなく、結局浅草の浅草寺や新宿のゴールデン街のようなローカルな場所に行くので、観光資源としてもロスです)
どうすれば大資本に踊らされず、自分たち市民が、自分たちが住みたい場所をつくっていけるのか。私が住んでいる日野市以外にも、最近だと杉並区でも屋敷林・農地の保全を図る「杉並区緑地保全方針」を掲げ、2024年10月までで4ヶ所のいこいの森が整備されたようです。このように市民が自分たちで自分たちの暮らしを決められる取り組みがもっと増えることを祈ります。
最後に、水の郷に認定されている東京都日野市の用水路についてYouTubeで紹介しています!用水路の周りの緑地や水田も登場するので、こちらもぜひご覧になってください。