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私の不登校体験②毎日、命を絶つことばかり考えてた

中学2年の6月頃から、学校を休みがちになりました
・抑うつ
・不眠
・処方薬の副作用
当時の私には、耐えられない症状や心身状態

自分に合う薬がなく、診察のたびに処方薬を変更し
服用しては、副作用に見舞われました
効果なんて、一度も感じなかった
処方薬の変更→副作用→また変更
この繰り返しです

薬の服用関わらず
・抑うつ
・不安感
・希死念慮
現在も続く、この症状
強く出ていた時期は、中学2年〜27歳頃でした

・倦怠感
・胃痛、吐き気、胃のムカムカ
・動機、めまい・頭痛 etc…
体の症状は、たくさんありました



通院に付き添う母をはじめ、家族や周囲から
理解得られることは、全くありませんでした

これには理由があります
通常、心療内科で子どもが患者だと
保護者と一緒に診察を受けるか
子どもの診察後、医師が保護者から話を聴き
子どもの状態を、説明すると思います
(一概には言えないかもしれない)

しかし初診時、医師は私の状況を
母から聞きそびれてしまうという
初歩的ミスをしてしまいました

つまり、母をはじめ、私の家族は
私が、学校に行けない心身状態であることを
知らないし、知ろうともしませんでした



学校を欠席した日の夕方は、憂うつでした
担任から必ず、電話がかかってくるから
『どうして今日は休んだのか?』
『勉強しているのか?』
電話に出ない選択肢を、家族に与えてもらえせん

家庭訪問もありました
来てほしいなんて、言ってない
担任の顔も見たくない
担任は、クラスの時間割を見せ
時間割通りの科目で勉強するよう、私に言いました

当時の私は、勉強どころではありません
布団から起き上がることもできません
教科書を見る気力も湧かない
紙媒体の文字や内容が、頭の中に入らない
テレビの内容は何一つ、頭の中に入ってきません

つらい記憶しか残っていません



当時の家族構成は
両親と弟
祖父母(母の両親)

『学校に行きなさい』
『勉強について行けなくなる』
『内申点が下がるから、高校に進学できないよ』
母に言われました

父は、私のことに関心を示しません
かんしゃく持ち、些細な事で、怒鳴る人間
暴力こそ振るわなかったものの(たぶん)
どんな事で、怒鳴りだすか分からないため
母や私、弟は、いつも怯えていました

祖母からは『家から出るな』と言われました
私の住む地域は、小さな田舎
どんな些細な内容も、すぐに知れ渡る
当時は〘日中、子どもは学校に行くもの〙という
考え方が根強くあったため
祖母は私のことを
近所に知られないようにしていました




私が心身状態が崩れるとともに
家族関係も、少しずつ崩壊していきました

母はパート勤務の合間に
私を診察に連れて行ってくれました
ですが、私が心療内科に通院していることを
母は、家族に隠しているようでした
私が、精神科や心療内科の通院に対し
差別や偏見、後ろめたさがあったのかもしれません

母の心身状態も、日に日に悪くなっていく
寝込む日や、食事が摂れない日が、増えていきました
祖母は毎日、呪いのように、私に言い続けます
『お母さんの具合が悪くなったのはあんたのせい』

この言葉は、今も私の心に刻み込まれています
毒のような言葉を、祖母は毎日、吐き続けました

祖母が放つ言葉
悪化する心身状態
学校を休みがちになり、湧いてきた願望

『死にたい』
『家族を殺して、自分も死ぬ』
毎日、思っていました


読んでいただき、ありがとうございます🙇
③に続きます




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まなみ
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