物事がうまくいく行かないにはタイミングやご縁がある〜私の中にいるもう一人の私に恥じるような生き方はしない〜
私は、こうして日々noteを書くようになってから、
「自分のことを客観的に見るもう一人の自分」が少しずつ少しずつ育ってきたんじゃないかな〜?って、自分で自分のことを今はそう思っている。
たとえばそれはどういうことか?と言うと。
私が先日からお客様の募集を開始した「オンラインなんでもモヤモヤ相談」は、今のところ申し込みのお客様が0である。→ここ、ずっと以前の私であれば、
「ガーン😨!!そしてオーマイガー……私のことを必要としてくださるお客様などこの世にはいないのかもしれない…………」
そんなふうに、自分にとって良くない出来事があれば、良くない出来事の良くない一面にばかり囚われてしまい、負の感情にのまれそうになり、そして凹み、そこから立ち直るには長い時間を要していた。
自分自身に期待し過ぎていたのだ。
けど今の私の中には、負の感情にのまれてしまいそうになるとき、前向きな言葉をかけてくれるもう一人の私がいる。
こうして私の中にいるもう一人の私が話してくれることを文章にして書いてみると、自信満々な人みたいに見えてしまうのかもしれないし、お客様がくるまでは何もしないでただ待つ、というふうにも見えてしまうかもしれないけれど、そうではなく。
常に「こうしたら良いかな?ああしてみたらどうかな?」てことを思い浮かべながら生活しているし、常に何かしらで手を動かしている。そして、それを苦には感じていない。
それと、このような前向きな言葉を掛けてくれる、もう一人の私が私の中に育ってきたのは、自分なりに試行錯誤や葛藤を重ね、そして時には涙を流しながらでも、出来ることや好きで夢中になれることの模索を続け、そして日々コツコツと積み上げてきたからだろうなってことも感じている。
私のことを客観的に見ているもう一人の私が、好きだなあと思えるような私でいよう、といつもそう考えながら日々を重ねてきた。自分自身に恥じるような生き方はしない。
人は、いきなり何かを大きく変えようとして、自分のキャパシティ分を超えてがんばり過ぎたりすると長続きしない、そのような生き物なのじゃないかな?と、思う。
だから小さくっても歩みがゆっくりでも、目標を持って、今の自分に出来ることをする。
新しい挑戦をすることは恐ろしくもあるけど、せっかく生きられてるのだから、やらないよりはやってみる方がきっと良い!
◇
ここまで読んでくださってありがとうございました。