人は傷つき傷つけられても愛することをやめない
GWも折り返しの5月4日。
雲ひとつない青空の下、私は有楽町へと向かった。目的はヒューマントラストシネマ有楽町でパリ13区を見るためだ。
正直なところ、上映開始ギリギリまで見るか悩んだ。というのも気になってるものの、絶対見たいってほどではなかったから。
しかし結局見ることに決めて足早に数寄屋橋の交差点を歩いて映画館に向かった。上映開始2分前に到着しチケットを購入。開始と同時に館の中へ。そこから全編モノクロの映像がスクリーンに映り出された。
まず舞台となるパリ13区は、アジア系移民が多く暮らす再開発地区。そこに住むコールセンターのオペレーターとして働く台湾系フランス人エミリーのもとに、ルームシェアを希望するアフリカ系フランス人で高校教師のカミーユが訪れることから物語は始まる。2人はすぐにセックスする仲になるものの、ルームメイト以上の関係にはなることはない。そして33歳で大学に復学し法律を学ぶノラ。金髪のウィッグを被り、学生の企画するパーティに参加した夜をきっかけに、その姿が元ポルノスターでカムガール(ウェブカメラを通して性的な演技をする人)のアンバー・スウィートと勘違いされ、学校中にそれが広まってしまう。学校に居づらくなったノラは、教師をやめ一時的に不動産会社に勤めるカミーユと同僚になる。
人生や恋愛、家族と向き合い、傷つき傷つけられながら現代を生きる若者たち。人とつながるのは簡単だけど、愛し合うのは難しい。ミレニアル世代と呼ばれる若者たちの恋愛物語でありながら、人生の教科書のような映画。
【ここからネタバレ含む】
登場人物の年齢が自分と近く、人生と恋愛についても共感するシーンが多かったため自身の人生と重ね合わせてみた。
全体的にセックスシーンが多く、そこに人間の本質というか映画のテーマでもある人とつながる容易さを感じた。その一方でエミリーとカミーユ、カミーユとノラの関係性を彼らの視点を通して苦しみや葛藤を表現することで、人と向き合うこと、愛することの難しさをリアルに感じられ、私自身苦しくなった。
カミールとエミリーはすぐにセックスする仲になるが、ルームメイト以上の関係になることはない。しかし、エミリーがカミーユのことを愛してしまったことで、彼との距離感が分からなくなる。そこから関係が悪化し、ルームシェアを解消することになる。
恋愛観は人それぞれ異なり、お互いが100%合うことはまずないと思う。どちらかが相手に合わせ我慢するか、割り切るか。しかし割り切るといっても結局は我慢してることと同じで、見て見ぬふりをできる人なんていない。愛してしまったら相手に嫉妬し、独占しようとする。誰だって独り占めしたいに決まってる。その一方で縛られると窮屈に感じ、相手と向き合うことから逃げる。相手のせいだと決めつけてそんなことはお構いなしに別の相手を求める。人間関係はその繰り返し。人は改めて自己中心的だと思った。でもそれはみんなそうだ。私も自分勝手で相手を思いやる言動や行動できない時がある。
仲が良ければ、思ったことを口にしてもそんな簡単に関係は崩れたりしない。しかしノラには心を許せる人が周りにいなかった。パリに越してくるまでは血のつながりはないものの叔父をずっと愛していた。大学に通うことをきっかけに叔父のもとから離れ、新しい一歩を踏み出そうとしていた矢先に大学で最悪な出来事が起こった。彼女としては居場所がなくなり、誰にも相談できず孤独。そこで居場所を求めて行き着いたのが似ていると噂されたアンバーだった。友達もできないまま大学を追われ、しばらく孤独だったノラにアンバーとの時間は少しずつノラの心を溶かしていった。そして、カミーユとの出会いからも心を開いていく。
始めはカミーユの視線に反発し、一定の距離を保つものの少しずつ彼に興味を持つようになる。次第に仲が深まりセックスしようとするものの、ノラ自身がまだ一歩踏み出せないでいた。
きっとノラは叔父を愛していたという普通とは違う恋愛をしてきたため、カミーユに対して中途半端につながっていいものか葛藤していたのかと感じた。
最終的につながるが、それはノラが自分自身と向き合い、前に進もうと決心した時だった。そのためカミーユとは最初で最後のセックスだった。
カミーユはその後、気丈に振舞っていた。しかし、会社に女性が車椅子を受け取りに訪ねてきたときに車椅子を畳もうしたが、できなかった。その不甲斐なさやさまざまな感情が押し寄せて涙を流していた。
ここは見ていて辛かった。ふとした瞬間に思い出や感情がフラッシュバックすることは私もよくある。特に最近は彼女と別れたのもあって、彼女に馴染みのある場所、もの、言葉でさえ思い出される。この瞬間ほど辛い時はない。
カミーユとエミリー、カミーユとノラとの関係が常に対比されていた。エミリーとは会った当日に一線を超えていたが、ノラとはある程度仲を深めてからだった。しかし途中まではするもののつながるところまではいかない。カミーユも大丈夫といいながら、我慢していたのだろう。彼女のタイミングに合わせていたと感じた。
このセックスに対する価値観も人それぞれで、映画を通してとても興味深かった。エミリーのように欲望のままにしている人もいれば、ノラのように考えすぎて踏み込めない人もいる。しかし、エミリーはカミーユのことを愛してしまった。なぜだろうと思った。彼女はセックスに対して特別な感情を抱かないのに、しているうちに彼のことを好きになってしまっていたのか。彼と離れたあとも愛していたともいっていた。それでも離れている期間は仕事の合間30分抜け出し、誰かとする日々。恋愛は本当に複雑で言葉で表現するのが難しく、人を狂わせる。思ってもないこと言ってしまったり、嘘をついたり、好きでもない人とセックスをしたりする。これは全て自分を守るため。自分が傷つかないため。しかし結局心は傷つき、自傷行為しているようなものだと思った。
カミーユは資格を取るために教師をやめ、一時的に不動産会社で働くものの、やる気が出ず、この煮え切らない感情を吃音症の妹に八つ当する始末。エミリーはコールセンターをクビになり中国料理店でウエイトレスとして働く平凡な日々。そこで始めたマッチングアプリで寂しさを埋めるためにセックスする相手を探す。ノラは復学したものの、ある事件をきっかけに夢途絶える。しかしカミーユと出会い、アンバーと出会い、見失っていた自分を取り戻していく。
それでも人生は続き、これからも多くの人との出会いと別れがある。それは無意識のうちお互いに大きな影響をもたらし、人は人とつながることをやめない。
映画終盤には本当に人と人とがつながる瞬間を見て、美しくて愛しく、そしてきゅっと胸が締め付けられた。
彼らの恋愛はいびつで未成熟だが、もがきながらも自由に生きる姿は私の心を少し軽くしてくれた。私も少し自分勝手で自由に生きてみようと思えた。
本当に愛する人と出会えることを願って。