ヨガにおける真の自己実現とは
無事卒業試験が終了し、明日はとうとう卒業式。
卒業3日前に課せられたレポートもたった今書き上げたので、せっかくなのでここで共有したい。
そして、もしよかったら感想などフィードバックしてもらえたらうれしいな。
はじめに
このレポートでは
・世間一般的に言われている自己実現について
・世間的なヨガにおける自己実現について
・私がインドで学んだヨガにおける真の自己実現について
の3つのチャプターに分かれて整理したい。
世間一般的な自己実現について
自己実現、という言葉は元々は心理学用語だ。
最近ではビジネスの現場などでよく利用されており、認知度が高まっている。
マズローの法則が有名で、欲求5段階におけるもっとも高次元の欲求が自己実現とされている。
欲求5段階に従って簡単に説明すると
今すぐ食いっぱぐれる心配がなく、住まいや身なりを楽しみながら整えることができる状況であり(生理的欲求と安全欲求)
↓
家族や友人がいて(所属と愛情欲求)
↓
いつも料理が上手だと褒められている(自尊欲求)
といった条件が満たされたときに初めて
得意の料理を活かして料理教室を開き、地域のコミュニティーとして機能したい。
という自己実現欲求が生まれることがわかっている。
「料理教室の先生となって、コミュニティを形成する」という理想的自己像と「ただの主婦」という現実のギャップを埋めていく作業こそが自己実現であると考えている人が多いだろう。
さらに、その理想的自己像が社会貢献につながると、より満足度が増すことがわかっている。
世間的なヨガにおける真の自己実現について
伝統式ハタヨガにおいては、ヨガはただのエクササイズではなくアーサナを通して人生を体感するものと考えられている。
過去や未来へとさまよい続ける思考を体の感覚に集中させることで「今、ここ」に心が留まらせる。
心が留まっている間はあらゆるエゴが手放され、結果として根っこの部分の自分と繋がることができる。
体を通して人生を知り、あるがままを受け入れる。
この程度の知識は一般常識としてあらゆる書籍に記載がある内容だ。
しかし、「深い自分と繋がること」と「自己実現」がなぜイコールなのかを説明できるインストラクターは少ない。
多くの人がマズローの法則ロジックから離れられず、やはりある程度の欲求が満たされた上で、「あるがままの自分を受け入れる。自分を許すと相手も許せるようになる。」といった表面的な自己実現の理解しかできていない。
そのため、
「今は小さなことでイライラ、くよくよしちゃうかもしれないけど、ヨガや瞑想でおおらかな自分になりましょうね。」
といった理想的自己像と現実のギャップを埋めるツールとして、ヨガを活用している人が多いのではないだろうか。
もちろん、これらは何も間違っていないし、ヨガをはじめるきっかけとしては最適な説明だ。しかし最初の一歩であると認識していないと、真の自己実現には至らない。
インドで学んだヨガにおける真の自己実現について
真の自己実現とは自分の魂を知ることである。
これは哲学でいう「なぜ私は私なのか」と同意語であると考える。
この分野で著名な哲学者といえば永井均だ。
彼は「私」と〈私〉という表記で区別し、「私」を認識する〈私〉が存在していると解いている。これはヨガにおける真の自己実現を紐解くのに役立つと考える。
要するに、ヨガのアーサナをしたり、瞑想をしたりして呼吸や体の微細な感覚に気が付くのは一体誰なのだ、という話だ。
理想的自己像に近づきたいと考えている「私」、つまり物質的世界の自分がヨガしたり瞑想している間は、マズローの原理からいつまでたっても抜け出せず、真の自己実現には至らないということだ。
女で、子供がいて、目が二重で、名古屋に住んでいて、脚が短い。これらは「私」を形成する要素であるが、同じ条件の人物を「もしかしてこの人は私だろうか」と勘違いすることはない。
これは、「私」を認識する〈私〉が、何の条件もなく存在していることを証明している。
この〈私〉こそが自分の魂と言い換えることができると仮説を立てられるのではないだろうか。
〈私〉は真我であり無我であると永井氏は説いている。
この仮説に立つと、自己の魂と世界は同意語であり、自分の本質こそが仏教用語でいう「ニルバーナ」であるということがいえるのだ。
と、ここまで小難しく書いてきたが、太字の部分は私の敬愛する一法庵住職・山下良道師の書籍の引用だ。
読んだときはよくわからなかったが、講義を受けたとき、点と点が頭の中で繋がった。
禅僧・内山興正老師の書籍『進みと安らい』の中で解説している自己曼画にある第四図
自分と、自分以外のものを区別したり戦ったりする「頭の中で展開される物質世界」から抜け出し、
第六図
皮膚感覚で世界と自分がひとつであると体感することが、自己の魂を知ることなのではないか、と。
すると、ヨガにおける自己実現はマズローのロジックから抜け出すことができる。
空腹だろうが、独りぼっちだろうが、他人から悪口を言われようが、実現可能なのである。
なぜなら、私の中に(宇宙・神)がいることを知り、尚且つ自分が世界そのものだからだ。
まとめ
私が世界?私が涅槃??
日本にいる間は理解ができなかった、
なぜなら「私と私以外」という平面的な世界で35年間生きてきたからだ。
地球が丸いと急に言われても困るように、宇宙的視点、内なる神といったいきなり3D感覚を文章で説明されても体感できていないのだ。
しかし、インドに来て体感した、言葉で説明できないスピリチュアルな部分と、先生から学んだヨガ哲学でやっと3Dの視点が少し理解できるようになった。
もちろんまだまだ初心者であるが、ここからもっと学びを深めたい。
今の私ができる「ヨガにおける真の自己実現」を達成するには、あらゆる場面において3D的な視点を持つことだろう。そして、すべてを感謝し、リラックスして受け入れることだ。
これぞlife is yoga。
日々のアーサナを通して一生鍛錬していきたい所存である。