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#看護師
闘病記(70) サービス精神
今回のテキストは、とにかく短く書き上げようと思う。
その分と言ってはなんだが、このテキストを読んでくださった(あるいは目にしてくださった)方は、ぜひ前回のテキストを読んでみてください。
日常生活で自分が直面する、乾いた血の色というか、緋色をした悔しさをできるだけ丁寧に書いてみたので。
さて、今回ですけども。
「むちゃぶり」。
国語辞典に掲載されていてもおかしくはないポピュラーな言葉
闘病記(46) くせになりそう。
「しばらくの間、オムツをつけてトイレはベッドの上でしてしまうものと割り切りましょう。」
尿意に集中し、それを感じたらとにかく出してみることを習慣づける、という介護福祉士からの提案を自分は受け入れた。(この辺の経緯を説明していると、今回のテキストが終わってしまうので、興味のある方は45話あたりを読んでみてください。)
それ以降、自分が身に付けるオムツには、パッドというものが付けられるようになった。
闘病記(45)ヒーロー
起きて活動をしている昼間はともかく、夜眠ってしまっている間、尿意が全くわからず夜毎おねしょを繰り返す日々が続くと、さすがに自身のことを「オネショマン」と自嘲する余裕もなくなっていった。
バリバリと仕事をして忙しく働いているであろう同じ年頃の人たちを思い浮かべては、オムツをつけて夜毎のおねしょに悩み、怯える自分をどんどん嫌いになっていく。
夜はほとんど熟睡できず、「これは尿意かな?」と思う
闘病記(44) 真夜中の記憶
「何という気持ちの良い朝だろう。ぐっすり眠るとこんなに頭がすっきりとするものなのか。」充実感のような不思議な気持ちと共に目を覚まし天井を見つめていた。横になっている自分の右側から光が差し込んで、「きれいな朝だな。こんな気持ちになれたのは久しぶりだ。」そう思っていた。その時、
「おとーさん、起きた?」
と言う声が聞こえた。天井を見つめていた視線を、反射的に声のするつま先の方へと向けた。両側に2人
闘病記(43) オネショマン
前回投稿したテキスト「採尿パーティー」のnoteに40を超える「スキ」を頂戴し、フォローをしてくれる人も増えた。とってもうれしい。皆さんの応援を無駄にすることなく、これからも丁寧に書いていこうと思う。
さて、自分はようやくバルーンを取り外せたわけだが、何より驚いたのは病院内の人々が大変に喜んでくれたことだった。あんなに喜ばれるとは思わなかった。バルーンが取れた翌朝、車椅子を押してもらってリハビリ
闘病記(42)採尿パーティー
「赤松さんから600mℓいただきました!」
これ、尿の話。これまでの経緯を知らずにタイトルを見た人は、もしかすると眉をしかめるかもしれないけれど、内容はいたって真面目なのです。「トイレトレーニングがうまくいかず、リハビリ病院に入院してからもなかなかバルーンが取れないことに悩む脳幹出血患者の、ジェットコースターのような日々の記録」。少しでも興味のある方は、是非(38)話あたりから読んでみてください
闘病記(41) チャンス到来
「家族に協力してもらいながらバルーンをつけたままの生活を送る。」「自己導尿を行う。」この言葉たちが頭の中をぐるぐると回り、眠っていても悪いイメージが布団の上からおおいかぶさってくるような日々が続いた。
加えて、家族、主治医、担当看護師らと行う面談の時間が、絶望感にとどめを刺した。
自分は、主治医から、
「検査の結果は厳しいものとなりましたが、退院までにまだ時間があります。バルーンが取れるよ
闘病記(34) じゃんけんおじいちゃん。
ベッド右側の窓から差し込む朝日と、左耳から聞こえる柔らかな笑い声で目が覚めた。他の患者を起こすまいと言う配慮からであろう、笑い声は抑えられてはいたが、そこにいる誰もがお腹を抱えて笑っているのが分かった。起床の時刻を知らせ、着替えの手伝いなどをするためにやってきた看護師や介護師の皆さんだった。
笑い声の合間に、小さいながらゆっくりはっきりとした声が聞こえてきた。
「〇〇さん、じゃあ行くよ