まくらぎ

元哲学屋。コーヒーが燃料。エッセンスだけ浴びて生きていたい。

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最近の記事

便箋で考える

文章を書くとき、気の向くままに書き始めるといいことがないので、まず下書きを作ります。 紙面の広いレポートパッドを使って書きたいことを書き出し、ぐちゃぐちゃでも要素のかたまりを作る。それをつなぐ形で文章を構成し、いざ書き始める――というパターンが多かったのですが、なんだか最近物足りなさを感じていました。 この方法は書きたいことを出力する過程で思考がまとまりやすく、見返す際も要素のかたまりが一望できるので、まとまった文章を書くうえでとても便利です。多少の差はあれ、結構スタンダ

    • 推しマンガ紹介:「魔女をまもる。」

      舞台は16世紀ドイツ――宗教改革の時代高校の世界史の授業で、16世紀の宗教改革を教わる。 しかし、「カトリック教会の免罪符に対して、マルティン・ルターが95か条の論題で抗議した」などと始まる説明は、宗教に距離のある現代日本の感覚ではなかなかすっと入ってくるものではない。 槇えびし「魔女をまもる。」全3巻は、あくまでフィクションだ。しかし、中世ヨーロッパを舞台にした謎解きのような事件解決のストーリーを通して、16世紀当時のカトリック教会の腐敗ぶり、「宗教に逆らう=異端=死」と

      • 自宅にある温泉は温泉なのか?

        温泉に行きたい。 不要不急の外出を控えるうちに、計画的な外出をしなくなって久しい。 「温泉」が多くの人の口を突いて出る時期は過ぎ去ったが、温泉好きとしては真夏でも至高の癒しだ。ああ、温泉につかりたい。 自分からおもむけないのであればと、温泉が自宅にあることを想像してみる。敷地面積や源泉のルートはさておき、とりあえず自宅に温泉を突っ込んでみる。そこで出たのが表題。これって温泉なの? 自宅にあったらそれは温泉ではあるかもしれないが、第一義的に生活空間の一部たる「浴室」ある

        • オペラがおいしい、楽しい。

          歌劇のほうではありません。チョコレートケーキの話です。 「オペラ」は、ダロワイヨの名物ケーキとして有名な直方体のチョコレートケーキで、チョコレート系の生地を何層にも重ねて作ったものを指します。 厳密には使う洋酒や層の素材にも決まりがあるようなのですが、まあ食べる側としてはあまり気にならないので深堀りしません。名前の認知度もそう高くないので、別の名前がついていることもあるでしょう。今日食べたのも「オペラ」とは呼べないかもしれないけど大目に見てほしい。 このオペラ、名前から

          アイビーがダメでポトスはよかった

          8月、観葉植物を育て始めた。 おしゃれなイメージはもちろんあったが、変わり映えのしない毎日に、少しでも変化のあるものがほしかったという理由が大きい。 とはいえ、いきなりパキラやオリーブのような大きな植物を迎え入れる度胸も、家のスペースもない。初心者らしく、小さくて生命力の強いアイビーに決める。おしゃれな部屋の定番、ツルが垂れ下がる植物だ。 いざ買おうとすると、意外とそろえるものがある。 鉢、土、それに鉢の底に敷く石、あと肥料も・・・? これまで植物と言えば切り花くらいで、

          アイビーがダメでポトスはよかった

          おいしいレモネードの作り方

          最近よく飲む炭酸入りの飲み物。私は「レモネード」と呼んでいる。 きっかけは、レモンサワー缶のおいしさに目覚めたこと。やがてしっかりした果実感を求めて自作するようになり、ついにはアルコールが抜けていった。 「レモネード」で検索すると数多のレシピが出てくるが、やはり作りやすくて味が安定するものがいい。そして、自分好みか否か。これが一番大事な要素だ。 ~用意するもの(一人分)~・レモン(1個) 細かいことを言い始めると「外国産だと皮に防カビ剤がついていて~」となるが、皮は使わ

          おいしいレモネードの作り方

          実はセロリが好きだった話。

          苦手な野菜の代名詞ともいえるセロリ。 昔ちょっと生で食べてみたときのキツさや、 強く出過ぎたブーケガルニのえぐみの記憶があり、 私もあまり好きではなかった。 しかしある日、から揚げ屋で箸休めを探しているとき、 ふと「セロリの浅漬け」が目にとまった。 山崎まさよしのセロリが脳内再生される。 なんとなく理屈っぽそうだけどさわやかで、 包容力がありそうなのっていいよな・・・ などと思いながら注文してしまったそれは、 過去の苦い記憶を打ち消すには十分のものだった。 ちょうどいい

          実はセロリが好きだった話。

          明日のために暮らしたい

          自粛生活を続ける中で、私の暮らしは大きく変化した。 先行きの見えない毎日を過ごすうちに、 もっぱら「今日生きるため」に暮らすようになった。 言い換えると、明日とか未来を見越した時間の使い方が激減した。 真逆だ。 自分の意志で自由に使える時間が増え、 これまで忙しさを言い訳にできていなかったこと を思いっきりやるはずだった。 忙しさが言い訳になるくらいだから、 そもそもラクなことばかりではないわけだけど、 これまでのように怠惰が邪魔するのとはちょっと違う気がした。 言ってみ

          明日のために暮らしたい

          止まった時計

          実家に、10時10分台で止まった壁時計がある。 もう10年ほど電池を替えていない。 この時計がいつ止まったかはもう覚えていないし、きっと単に電池切れで止まっただけだろう。原爆や震災のような、とてつもなく大きな外圧があって止まったわけではない。 でもなぜか、いつまでも10時15分に進めない時計を見るたび、ここで何かが同時に止まってしまったのではないかという気がしてくる。 止まるきっかけが些細なものであったとしても、止まるときは止まる。あるいは、気づかないだけできっかけに何か

          止まった時計

          手を渡すこと

          将棋で、「手を渡す」という表現があります。 こちらに積極的なアイデアがないときや、相手の出方をうかがうときに、差しさわりのない手を指して相手の反応を待つことをいいます(そのため「手待ち」と言うことも)。 私はこの表現と発想がとても好きです。 自分からのアプローチがすべてではなくて、相手との相互作用を前提に先を進めていく――将棋は「戦い」ではありますが、この発想はコミュニケーション全般で大事にしたいことだなと思います。 先の構想もなく、相手の反応も気にせずに先を急いでグイ

          手を渡すこと

          希薄化する季節感(清明に寄せて)

          「清明」という季節私は天気がいいと気分がよくなるタチですが、この季節はなおさら。 「二十四節気」という中国由来の暦で言うと、今の季節は「清明」。 清明(せいめい)とは万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉を訳した季語です。花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く頃です。――「暦生活」より引用 一日単位の時間の流れのほかに「明日は〇〇しなくちゃ」と、一日一日に何かしらの物事をひもづけて考えざるをえない現代で、一定期間のくくりで時間の流れ

          希薄化する季節感(清明に寄せて)

          同じコーヒーを淹れ続けることは

          「マスター、いつもの」 そんなシーンに憧れてはや幾年。よく行く店でも未だにメニューとにらめっこしないとオーダーが決まりません。全然こなれない。 今日は喫茶店のコーヒーの話です。 喫茶店のコーヒーの質私はコーヒー好きで、日常的に自分で豆を挽いて淹れています。たまに焙煎もします。だから、喫茶店のコーヒーの評価は結構厳しめでした。お店なんだし、毎日大量に淹れてるんだからもっとおいしく作れるでしょ、と。 でも、最近はその見方が変わってきました。 きっかけは、半年ぶりに訪れたとあ

          同じコーヒーを淹れ続けることは

          「0から1」を笑っていないか

          0から1 1から2 前者が圧倒的に難しいのは周知の通りですね。でも、前者の営みは周囲から理解を得にくい。作業中、まだ何もできてない段階がほとんどだから。今日は「0から1」、つまりオリジナルなものを作ることに関する話。 「天才」という奇妙なラベル まったく新しいものを世に生みだす人は、時に「天才」と言われます。天才と狂人は紙一重とも。 でも、「天才」は外から貼られるラベルにすぎません。当人はただ自分の信じるものを追求しただけ。そうしたオリジナルの追求者のうち、周囲の理解

          「0から1」を笑っていないか

          希望線の話

          希望線とは一般に、多くの人々が歩いたため地面がすり減って形成された通り道をさすが、ユーザーの行動によって刻まれたあらゆるしるしまたは軌跡を意味することもある。(『要点で学ぶデザインの法則150』p.86) 「希望線」という言葉。 とあるデザインの本で、「desire line」の訳語としてあてられていました。「何度も使用されて傷んだ痕跡」のことです。 「desire line」を逆引きすると、まず“獣道”が出てきます。なんとなく田舎っぽい。「希望線」という訳は一般的なもの

          希望線の話

          中身が残っていない日

          日々の経験が消費されていく。 「忙しい忙しい」と言いながらも、いざその日を振り返ってみると、何もなかったような気がしてくる。その日に中身が残っていない。 「忙しい」現代人は、自分が意識して使えている時間が短い。言い換えれば、自分で自分の行動に意味を与えられていないことが多いと思います。与えられるもの、流されるものにはすでにある程度意味が定まっていて、自由に使っているようで、実はそこから選ばせられているだけだったりします。 「意味」と言ってしまうと抵抗があるなら、「自分なり

          中身が残っていない日