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希望線の話

希望線とは一般に、多くの人々が歩いたため地面がすり減って形成された通り道をさすが、ユーザーの行動によって刻まれたあらゆるしるしまたは軌跡を意味することもある。(『要点で学ぶデザインの法則150』p.86)

「希望線」という言葉。
とあるデザインの本で、「desire line」の訳語としてあてられていました。「何度も使用されて傷んだ痕跡」のことです。

「desire line」を逆引きすると、まず“獣道”が出てきます。なんとなく田舎っぽい。「希望線」という訳は一般的なものではないようですね。

この本では、ユーザーの好みや傾向を把握するのに有用な指標として紹介されていますが、そこから離れて、「希望線」という言葉から想像をめぐらせてみようと思います。

外から見た希望線ではなく、内から見た希望線の話。


痕→線→道

「線」と「道」。
魯迅の有名な一節を引くまでもなく、歩く人が多くなれば道ができます。これは、何度もつけられた痕から新たなものができていく現象です。でも逆に、歩く人が少ないうちは「道」として認識されません。ある閾値を超えるまではたいした変化に見えない。数々の傷み、痕跡から「いつの間にかそうなっている」。

「希望線」という言葉は手相にもあるようですね。
手相にも共通することを挙げるなら、濃いものがメインに見られがちなことです。それが現状でもっとも有力なものだからでしょうか。とはいえ、有力だからといって、それが「道」になるかはわかりません。線にさえ見えなかったダークホースがそうなるのかもしれない。

こんなことを考えているうちに、ふと内面のことに当てはめてみたくなりました。自分の中の痕、線、道。


夢の痕跡をかきあつめ

「自分には才能がない、魅力がない」と嘆くのは、何か打ち込んでいたことに挫折した時が多いかもしれません。これまでやってきたことが、なかなか外向けのものに結節しないと思い悩む時もあると思います。そんな時、自分の中にある痕跡を探って、なにかしら周囲に評価される型になっているものがないか探してみる。人に認めてもらえる「道」がないか探してみる。でも見つからない。

この場合、見つかるほうがすごいはずです。そういった類は、最初から志向していてももつことが難しいと思います。たとえば「サッカー選手になるぞ!」などと最初から「道」を思い描きつつ懸命に痕をつけはじめても、その通りになることは少ないものです。

懸命に自分の中を探し回って、結局見つかるのはせいぜい傷みや痕跡くらい。

でもそういった痕跡は、いつか思いもしなかった「道」につながるかもしれません。自分の中に残るほど懸命に何かに打ち込んだ証……こうした痕跡は「夢」と言い換えてもいいんじゃないでしょうか。
 
自分の中に形を変えて残った夢。
それを集めてできるのが希望線。

言葉がちょっとクサいですかね。でも私は、大方そんなイメージでいます。

私たちの中には、人知れず夢でできた希望線がある。


希望線をアップデートしていく

希望線が「道」になるかは、自力ではどうしようもないところもあるでしょう。前提として他者の評価があるので、社会の状況にも左右されます。はちゃめちゃな希望線から大きな道ができることもあれば、「大成しなかった」と惜しまれる立派な希望線もある。

一方で、せっかく道になったとしても、もともとの希望線が脆すぎてすぐに途切れてしまうこともあるでしょう。“一発屋”がわかりやすい例です。変化の激しい現代で、薄くて短い希望線だけをよりどころにするのは心もとないです。次に「道」ができることはないかもしれないですし。

だから私は、なかなか「道」にならないことに思い悩むより、希望線を日々アップデートするほうが前向きでいいのかな、と思います(自戒も込めて)。

近くに別の痕も作っていかなければ、希望線は細いままで広がりの可能性はありません。また、今見える希望線を延ばしていけば、新しいものが見えてくるかもしれません。こうして、希望線をアップデートしていく。

言ってしまえば、各方面の成功者が言う、「下積みの時に知識のストックはできるだけ作っとけ」と構造は同じだと思います。

でも、単なる知識ではなく、夢のように打ち込んだ痕跡。そしてそれを線として関連づけて自分の中に記していく――こんなイメージをもつのがいいんじゃないかとぼんやり考えていました。

もっとも、私は希望線だらけで(以下略)の人間なので説得力に欠けるかもしれませんが。

それしても希望線、いい言葉だと思いませんか?

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まくらぎ
興味をもっていただきありがとうございます。