明日のために暮らしたい
自粛生活を続ける中で、私の暮らしは大きく変化した。
先行きの見えない毎日を過ごすうちに、
もっぱら「今日生きるため」に暮らすようになった。
言い換えると、明日とか未来を見越した時間の使い方が激減した。
真逆だ。
自分の意志で自由に使える時間が増え、
これまで忙しさを言い訳にできていなかったこと
を思いっきりやるはずだった。
忙しさが言い訳になるくらいだから、
そもそもラクなことばかりではないわけだけど、
これまでのように怠惰が邪魔するのとはちょっと違う気がした。
言ってみれば、「明日への投資」ができなくなってきた。
将来のために勉強する、調べものをする、考える……なんでもいい。
かつて「明日」が見えたからこそ、力を注ぐことができ、
また苦しみがあっても耐えてこれものが、今は向き合うのさえつらい。
明日にベクトルが向いたものを手に取ったとき、つい、
「これが実になる日は果たして来るのか?」と自問してしまう。
「明日への投資」というと意識高めにきこえるが、
今や億劫になっているものは日常にゴロゴロ転がっている。
視線が、「今日生きること」に向きすぎている。
それはそれで仕方ない――そう割り切れれば楽なのだが。
かつて楽しいと思えていたことさえ、
実は「明日」と結びついていることがわかって億劫になる。
明日とか将来とか、漠然とでも想像しながら、
今日を積み重ねていくイメージは捨てきれないのだろうか。
明日のために、暮らしたい。
そんなことをぐるぐる考えながらGWを過ごしている。
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