大江田信
ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記。
かつて輸入中古レコード店で働いていたボクは、年に数回ほどレコードの買付にアメリカを旅していました。そして「亜米利加レコード買い付け旅日記」と題するエッセイに、旅の最中に経験していたことを記し、ホームページに掲載していました。熱心に旅日記を書いていたのが20数年ほど前と、相当に昔のことなので、モーテル一泊の値段が今とは全く違っていたり、文中の建物が無くなっていたりと、状況が変わっていることもあります。それでも見返してみると、新鮮な思いで読むことができました。旅日記の数点を、これから再掲してみたいと思います
ポピュラー・ソングのあれこれを巡る雑記帳です。
2022年秋から大学で音楽文化論の受講を始めました。講義内容の整理と、自分なりの受け止めを加えてまとめています。
60年代に活躍したフォーク・グループのひとつ、PPMことピーター、ポール&マリーは、ピーター・ヤーロウ、ポール・ストゥーキー、そして紅一点のマリー・トラヴァースによるグループです。ボクが生まれてはじめて買ったレコードが、彼らの「パフ / 風に吹かれて」のシングル盤。1966年、中学1年の時でした。PPMは、それからずっと今でも大好きなグループです。 昨年のこと、とあるライブ会場でアンディさんとお会いしました。PPMの大ファンだとお店の方から伺っていたことから、ボクの方か
「漫画家いしかわじゅんが出来るまで」として、いしかわじゅんさんから伺ったお話の後編です。 1976年、11か月勤務したトヨタ自動車を退社して再び上京。いしかわさんが、いよいよ漫画家へと始動します。そして波乱万丈の奮闘もスタートします。 ボクがあれこれ言うのは無粋なので、前置きはこれくらいにして、さあ、どうぞ一気にお読みください。 漫画家いしかわじゅんが出来るまで 前編 はこちらからどうぞ。 「漫画だったら描けるよな」と思った大江田:トヨタを辞めちゃったあとは、しばら
昨年6月のこと、「ぐゎらん堂『また会えた!!2023ライブ』」後の打ち上げの会で、偶然にいしかわさんの隣に座りました。その際にぐゎらん堂といしかわさんの関わり、そして漫画家デビューしてからの波乱万丈の一端を伺いました。それがあまりにも面白かったので、「これくらいでお話をストップしてください(笑)」とお願いし、そして「続きをインタビューさせてください」ともお願いしました。 そのお願いを、快く受けていただきました。波瀾万丈の連続に思わずつられて笑い、そしてもの作りに向かいたい
最近になって、ソロ演奏でのライブを始めました。岐阜県大垣でのソロ・ライブの際に、客席にいらしたのが古川斉さんでした。 終演後に古川さんから、ピート・シーガーとアメリカで面談した経験があると、伺いました。ピート・シーガーといえば、「花はどこへ行った」「天使のハンマー」「ターン・ターン・ターン」など、今なお歌い継がれる親しみ深いフォーク・ソングの作者であり、歌を携えて行動したフォーク・シンガー、そしてアクティビストとして知られています。 古川さんは、さらにこう続けました。
ゆっくり話を聞きたいと思っていた人がいた。さりげない振る舞いや、ふと発する言葉に惹かれた。自分の場所で生きているように見えた。どんな来し方をしてきたのだろう。覗きたくなった。そんな人たちの探訪記「あの人を訪ねる」。 第四回には、佐久間順平クンに登場していただきました。 佐久間クンとボクとは、高校で同級生でした。高校時代に二人が組んだデュオ「林亭」の活動は、休止期間を挟みつつ今も続いており、以来50年余の永き時を重ねました。 そしてお互いの年齢は、70歳の古希になり
こちらも1999年に投稿した原稿の再掲です。 最後のオチについて、ちょっとしたプラスの情報が必要なのですが、ここで書いてしまうとつまらないので、後書きに記します。ということで。 1954年7月、エルヴィス・アーロン・プレスリーは、メンフィスのサン・レコードのプロデューサー、サム・フィリップスの手によってレコード・デビューをした。カントリー歌手の新星、というのが触れ込みだった。地元界隈の反響に自信を得たサムは、カントリー音楽の殿堂、天下のグランド・オール・オプリにエルヴ
こちらも、20数年ほど前にホームページに投稿していた原稿の再掲です。 年老いた店主が一生をかけて作ってきた店の閉店が始まっていると、もう随分と前から聞いてきました。店主の引退に伴って後継の若い世代が在庫を買い取り、それを整理して自身の店のストックに加える際に、若きオーナーにとって価値がないと思われるレコードを処分するという話も聞きました。 今回の話のご主人のように、長い時間をかけて集めたレコードのすべてを、まるで図書館のように並べようとする店は、おそらくもう今後は現れな
かつて、輸入中古レードを扱う店の経営者をしていました。アメリカ中を旅しながらレコードを買い求め、それを日本に運び入れ、せっせと盤を磨いて綺麗にして、ボクらなりのコメントを添えて、お買い求めいただきました。そんな生活を25年ほど過ごしてのち、数年前に代表を退任しました。 「亜米利加レコード買い付け旅日記」シリーズは、そうしたレコード買い付けの旅の最中に経験したことを記し、ホームページに掲載していた原稿の再掲です。今回の原稿は、そういう意味ではアメリカ旅日記ではありません。店
「亜米利加レコード買い付け旅日記マガジン」のご案内に記したように、こちらも20年以上も前に書いた原稿です。 テックス・メックス、またの名をテハノ・ミュージックと呼ばれるテキサスのメキシコ国境近くで演奏されるローカル・ミュージックは、かつてはカセット・テープで売られていました。いまでは録音物のメディアはCDに変わっているか、それとも配信へと姿を変えているのかもしれません。さらに文中に登場するスティーヴ・ジョーダンもまた、2010年に71歳で亡くなりました。 それでも毎夜、
ボクらのようにレコード買い付けのために、アメリカを車で走り回るような者にとっては、モーテルが最も使い勝手の良い宿泊施設だ。ダウンタウン界隈のホテルに比べて値段が安い、駐車場料金もまず無料、簡単な朝食がついている、ホテルの無いような小さな街でもモーテルはある、といったところが利点。難点といえばエレベーターがない場合があるので、重たいレコードをかかえて階段を上り降りしなければならない(これはよくある)、駐車場から部屋まで荷物を運ぶラゲッジ・カートの用意がない(たまににある)、窓
アメリカの中古レコード店について書かれた文章というのを、ほとんど見かけたことがない。そんなモノに興味を持つのはごく限られた人に違いない、それもそのはずだと思っていたら、最近ふと購入した村上春樹著「やがて哀しき外国語」(1994)に実に面白い一文をみつけた。1991年から2年半に渡ったアメリカ滞在記である同書の一節、「誰がジャズを殺したか」の中に、実に魅力的な語り口で、とある中古レコード店のことが描かれている。 村上春樹がジャズ喫茶を経営していたことがあるのは、有名なエピソ
ジムとはなかなか連絡が取れなかった。いつもだったらメールをすれば、間髪を入れずに返事が返ってくるのに、何回メールしても返事がない。電話をしてみても、留守番電話が対応するだけ。意を決して「返事を下さい」とテープに吹き込んだのだが、それもダメ。そういえばと思い直して、ジムのことを紹介してくれたレコード屋の店主、グレッグあてに電話を入れて、やっと事情がわかった。「奥さんに癌が見つかり、夫婦ともにテキサスで療養中で、もう半年近く。そろそろ家に戻ってくるから、電話をしてみるといい」と
買い付け中に突然の病気に倒れ、救急車で運ばれ入院したことがある。退院時に手渡された書類を持って、帰国してからかかりつけの医者に見てもらうと、ひどく顔色が曇ったところをみると、決して笑い事ではなかったのだろう。 ボクの方から救急車を頼んだのだから、実は運ばれたという表現は適当ではない。モーテル近くのモールにあるローストビーフ・サンドイッチの店、アービーズで朝食をとっているうちに、急に体調が悪くなった。ベンチに横になり、一緒に旅をしていた阿部君に、救急車を呼ぶように頼んだ。
いつも通りに高速道路の高架の下をくぐって、広々とした芝生が広がる敷地に世界各国の国旗がはためくフォード社の前を横切ると、市庁舎の数ブロック先の右手に、その店「H」はあるはずだった。裏手の駐車場に車を停めてから、入居者募集中の看板をかけてあるだけのガランとしたビルが目立つ界隈を、ちょっと駆け足で走り抜けさえすれば、昼のさなかでさえも人影が薄くていささかぶっそうなこの街でも、飛び切りのレコード屋に飛び込めるはずだった。それが、無い。夕暮れになれば店内のあかりが界隈に暖かさをもた
かつて輸入中古レコード店で働いていたボクは、年に数回ほどレコードの買付にアメリカを旅していました。そして旅の最中に経験していたことを「亜米利加レコード買い付け旅日記」と題するエッセイに記し、ホームページに掲載していました。 熱心に旅日記を書いていたのが20数年ほど前と、相当に昔のことなので、モーテル一泊の値段が今とは全く違っていたり、文中の建物が無くなっていたりと、状況が変わっていることもあります。それでも見返してみると、新鮮な思いで読むことができました。 そんなエッセ