亜米利加レコード買い付け旅日記 6
ボクらのようにレコード買い付けのために、アメリカを車で走り回るような者にとっては、モーテルが最も使い勝手の良い宿泊施設だ。ダウンタウン界隈のホテルに比べて値段が安い、駐車場料金もまず無料、簡単な朝食がついている、ホテルの無いような小さな街でもモーテルはある、といったところが利点。難点といえばエレベーターがない場合があるので、重たいレコードをかかえて階段を上り降りしなければならない(これはよくある)、駐車場から部屋まで荷物を運ぶラゲッジ・カートの用意がない(たまににある)、窓からの景観は期待できない(まず間違いなくそう)、といったことぐらいだろうか。ホテルに泊まったことが無くはないけれど、過ごし方はモーテルを利用するのとほとんど変わらなかったし、モーテルだから不便、ホテルだから便利と思ったことはない。それはつまりボクらがホテルで過ごす快適さを楽しむほど裕福な状況ではない、というだけのことかもしれない。豪華な朝食を部屋で楽しむとか、併設のレストランに出向くとか、荷物を全てポーターに運んでもらうとか、確かにそういう経験はないのだけれど。
モーテルはご存じの通り、モーター・ホテルの略。移動の主たる手段が車であるアメリカならではの宿泊施設だろう。モーテルには、チェーン・モーテルと個人経営のモーテルとがある。個人経営のモーテルは、ほとんどがごく安いモーテルで、都会にはまずない。そうしたモーテルがあるということは、よほどの田舎ということにもなるかもしれない。夫婦二人で切り盛りをするモーテルで、心尽くしのサービスを受けられる。
キリの方のチェーン・モーテルとして有名なのは、なんといってもモーテル6(モーテル・シックス)だろう。買付けに出向いたことのある日本のレコード・ショップのスタッフだったら、まず誰もが知っているはずだ。とにかく車窓から看板がよく目に付く。中西部を除くとくまなく点在していて、大都市となると複数のモーテル6が隣町に軒を並べるなんてこともある。利用料金の安さが最大の売り。1室2人の価格が通りに大きく出ている看板に明示してある。シンプルなベットとシャワーという室内で、人数分X2枚のフェイスタオルとハンドタオルが用意されている。バスタオルは無い。2階に子供連れでも通されようものなら、1階に泊まっている我々は、一晩中、足音に悩まされることもある。廊下を歩いてみると、薄暗くてまるで病院のよう。ただしアメリカではまず照明は暗めが普通なので、モーテル6側にそれほどの意図があるわけではないのだろう。部屋はちょっと狭く、殺風景。コーヒー・メーカーや冷蔵庫はまずない。と一応の悪口を言ってはみたけれど、あながち最悪ではない。冷暖房に問題はなく、シーツもタオルも清潔だ。なんせ夕暮れ時に通りすがりに見かけたからっぽのモーテル6の駐車場も、夜も更ければびっしりと車が止まっているのだ。これにはいつも驚かされる。
「どこに泊まっている?」とレコード店のスタッフに聞かれ、「モーテル6」と答えた時に彼らが一様に顔に浮かべるいわく言い難い笑みを思い返すと、アメリカの人達のあいだでも、もしかするとちょっと恥ずかしい宿泊先なのかもしれない。でも「ふーん」といった後に、「あそこは決してそんなに悪い所じゃないんだよね」とつけ加えることからすると、恥ずかしいけれどひっそり自分たちも使ったことがある、あるいは評判は決して悪くないということなのか。後々になって彼らが独特な顔をするその理由のホントをそっと教えられ、ああ、さもありなんと思ったのだが。
そういえばモーテル6に滞在中に、「お探しの条件に見合う部屋が見つかりました」と不動産屋から電話が入ったことがある。家賃は幾らで住所はどこで、と先方は話し始める。そんなこと頼んでないと返事をすると、しばらくして僕らの以前に同室に滞在していた人への電話だったと、軽快な声の女性が言う。部屋探しをしている人が、幾日か利用していたのだろう。
アメリカに買付に通うようになっていくにつれ、使いなれたモーテルが、ボクらのお手製のリストに溜まり始めた。レコード屋に通いやすい場所にあり、運送会社や郵便局に近く、運送用の段ボールや梱包用のテープなどが気がついたときにすぐ手に入りやすく、なおかつスーパー・マーケットが近くにあるリズナブルな料金のモーテルがベストなのだが、そうそうは候補が多くないのである。
モーテルがまとまっているのは、空港の近く、ダウンダウンとその周囲、周辺の衛星都市に向かう街道沿いだ。たとえ目指す街から30キロくらい離れていても、ハイウエイを使って30分もあれば街にたどり着くことが出来るから、そんなに気にすることもない。むしろ空港周辺の方が街並みとしては味気ないから、空港からちょっと離れた小さな街のモーテルの方が、ずっと気分はいい。
モーテルには簡単な朝食がついていることもある。あのモーテル6でも、コーヒーとドーナツが、無料で振る舞われている。宿泊料金に含まれているのだから、堂々と食べて全くかまわない。平均的なモーテルの朝食は、こんなメニューだ。オレンジ・ジュースとアップル・ジュース、まれにトマト・ジュース。パンはトースト・ブレッド、すごく甘いマフィン、そしてベーグルやドーナツ。これにジャムとマーマレード、クリーム・チーズが用意されていて、適当にトースターや電子レンジを用いて暖めて食べる。数種類のシリアルやオートミールが用意されていることもある。そして暖かいコーヒーか紅茶。コーヒーは、カフェイン入りかカフェイン抜き。紅茶には何種類かのティーバックが用意されている。そしてバナナとリンゴなどのフルーツがかごに盛られている。こうした食事がキッチンやロビーなどに用意されていて、あとはセルフ・サービスだ。もちろん部屋に持って帰って食べても、かまわない。
コーヒー・マシーンには、熱いお湯が出る蛇口も用意されているので、ボクらはお湯を利用してよくカップ・ヌードル(アメリカのスーパーには何種類か必ずある)や、日本から持参したお粥、インスタント味噌汁なども食べる。インスタント味噌汁のカップにお湯を注いで朝食用に準備していたら、近寄ってきたおばさんに、「へえ、あなた、スープを食べるの?私は朝からピザを食べるのが好きよと」と言われたことがある。アメリカの平均的な朝食ではスープは食べないのだろうか。スープをピザと同じくらいに朝食として違和感があると感じているなんて、そんなに驚かなくても良いのに。ぼくらのお腹には、脂っこいピザとあっさりした味噌汁は相当に違うものと感じるのだが。
そういえば日本で言うところのファミリー・レストランに、一日中朝食を食べられることをうたうチェーンがある。そのレストランの朝食の定番メニューは、卵2つの炒り卵か目玉焼き、ベーコンかハムを2枚、そして付け合わせにじゃがいもの細切りを焼いたもの(スイスのじゃがいも料理のロスティのようなもの)に、ホワイト・ブレッドかウィート・ブレッドの薄いトーストを4枚。目玉焼きの時は、両面を焼くか、片面か、良く焼くか、半熟かを言う。これで1人前。パンの変わりに、薄く焼いたパンケーキにバターとメイプル・シロップをたっぷりかけて食べることもある。その場合のパンケーキは4枚くらいが普通。どちらの場合も飲み物は何種類かのジュース、またはミルクから選び、それにコーヒーか紅茶を付ける。こんなところが朝食のメニューだろう。これだけ食べるとお腹一杯になる。日本のマクドナルドの朝食メニューの4倍くらいの量があるような気がする。
いかにも学生とおぼしき青年が、マフィンを片手に紙パック入りのミルクを飲む、その横で通りかかった女性の客室乗務員が、微笑ましそうに眺めている、そんな光景を機内で何度か見たことがある。彼女たちは、起き抜けの息子に朝食を振る舞う母親の気分を味わっているのかもしれない。
アジの干物、焼き海苔、ほうれん草のおしたし、卵焼き、漬け物、そして温かいご飯と味噌汁。かつての日本だとこんなところが、平均的な朝食だったのだろう。旅先の旅館で食べるいかにもお定まりの朝食をとてもおいしく感じるのは、いまやノスタルジーの対象だからなのだろうか。そういえば朝食には、母親の香りがする。なつかしくて、心に響く食べ物だ。一日中、アメリカン・タイプの朝食を振る舞うのは、日本で言うところのお袋の味の店ということになるのかもしれない。
そうしてみるとモーテルの朝食は、なかなか優れたものだ。とりたてて豪華ではないけれど、さりげない気配りがある。モーテルに泊まっていると、まるでその街に暮らしているような気分になることがあるのも、そんなところに理由があるのかもしれない。
数日も滞在していると、買い集めたレコードが相当な量になることがある。先日もレコードの整理を始めたところ、西日の入る部屋のあまりの暑さに、思いあまって廊下側のドアをあけたまま作業をした。ベット・メイキングを仕事にしているメイドさんが、部屋に入ってきた。もう優に70歳を越えたおばあさんだ。「何やってるのあなた達。これ、レコード?いったい、全部でどれくらいあるの?」1,500枚くらいあった。「あたしの父がレコードを好きでね」と話し始める。彼女の一家はポーランドからの移民だという。夜になると父はレコードを聴いた。日曜になると家族全員でレコードを聴いた。それもいつもポルカだったそうだ。
父は自分の生まれた国を懐かしむように、ポルカを聴いていた。彼女はレコード・プレイヤーのネジを廻す動作をする。レコードはSPだったのだろう。「いつもこうやってね。レコードがいっぱいあったわよ、昔は」。彼女は、ポルカのメロディを鼻歌で口ずさみながら、部屋を出ていく。「あなた達の部屋、いったい何時に掃除すればいいの?」「あと30分くらいで出かけますから」。廊下に向かう背中に向かって答える。
故郷を喪失した人々の国アメリカ。記憶の彼方の故郷を思い出させるメロディ。そしてその二世、三世たち。移民の国アメリカに暮らす人々の心に、レコードはどのような想いを届けてきたのだろうか。
こちらももう20年ほど前の原稿なので、モーテル名、モーテルチェーン名、価格などは省いて書き直し再掲しました。おそらく基本的なところでは、変わっていないだろうなと思う一方で、これからアメリカを旅しようという方の参考とはならないだろうなと思います。ご留意ください。