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亜米利加レコード買い付け旅日記 1

 かつて輸入中古レコード店で働いていたボクは、年に数回ほどレコードの買付にアメリカを旅していました。そして旅の最中に経験していたことを「亜米利加レコード買い付け旅日記」と題するエッセイに記し、ホームページに掲載していました。
 熱心に旅日記を書いていたのが20数年ほど前と、相当に昔のことなので、モーテル一泊の値段が今とは全く違っていたり、文中の建物が無くなっていたりと、状況が変わっていることもあります。それでも見返してみると、新鮮な思いで読むことができました。
 そんなエッセイの数点を、これから再掲してみたいと思います。



 池波正太郎氏は、食にまつわるエッセイをまとめた「散歩のとき何か食べたくなって」において、昭和初期の時分、住み暮らしている小さな区域から外に、子供はめったに足を運ばなかったということを、繰り返し書き述べている。大人であっても、こと重要な用件でもなければわざわざ出向くこともなかった。映画も寄席も町内にあり、蕎麦も寿司も洋食も下駄履きで出かけられる範囲にあり、目と耳と口をたのしませる手段に事欠かなかったとしている。
 昭和の30年代初期の中央線沿線で少年時代を過ごした僕にも、それは何となくわかる気がする。その当時、新宿から中央線に乗って4つ目の駅、高円寺で僕は小学時代を過ごした。母方の遠縁にあたる年寄りが近くに暮らしていて、たぶんそこで聞き覚えたのだと思うが、ぼくらは中央線を「省線」と呼んでいた。JRの前の国鉄の、そのまた前、戦前に鉄道省と呼ばれていた名残りだ。中野駅前には陸軍中野学校の広大な跡地(今の中野サンプラザがある一帯)があったせいで、子供心に不気味な雰囲気のする町並みと感じ、それにくらべると戦後の文化住宅の並ぶ高円寺一帯には、おだやかな風情があった。通っていた小学校の同級生達の多くは、煎餅屋、呉服屋、古本屋、豆腐屋といった駅前商店街の商家の子供達だった。高円寺の名前の由来となった寺社、高円寺の住職の長男が同級生のおかげで、寺の裏手にあるちょっとした薄暗い森が僕らの遊び場となった。
 池波正太郎氏に倣って言えば、高円寺には映画館があり、銭湯があり、年寄りがひいきにしていた寿司屋があり、小腹を満たす中華そば屋があった。年に数回家族で食事をするレストランがあり、駅前には母が立ち寄るケーキ屋もあった。小学生の頃に電車に乗って出かけたのは、中央線で3駅の模型店、隣駅にあった釣り堀、時折出かけた新宿のデパートと、まだ木造だった紀伊国屋書店ぐらいしかない。さすがにもう寄席は無かったが、小学生の僕には高円寺の町は何の不足もなかった。

 アメリカを旅するうちに、この記憶がよみがえる。アメリカでは車さえあればおそらく30分も走る範囲にすべてがそろっている。日常の暮らしに不足はない。町のグローサリー・ストアに行けば、食料品や化粧品や日常薬をはじめ、簡単な衣料品や雑誌も手にはいる。ハイウエイ沿いにあるちょっとした規模のモールになると、映画館があり、デパートがあり、そして衣料品、メガネ、レンタル・ビデオ、CD、旅行用品など専門店の数十軒が一つのビルの中だ。ある大きさでまとまった街は、少年や少女にとって、それは皮膚感覚の延長にある外界の小宇宙でもあると思い出す。初めて重たさを意識した本を手に入れた場所、大きなスクリーンに映し出される想像も付かない乗り物など、そこにはドラマがいっぱいある。
 たとえ初めての町に着いても、それはかつて訪れたことのある町のいずれかと必ず似ている。アメリカでは町の似ている箇所を見つけだす方が、違いを指摘するよりも簡単だ、と思っていた。どこにもマクドナルドはあるし、ケンタッキー・フライド・チキンがあるし、ホリディ・インがある。ところが繰り返し旅するうちに、今度は街のちょっとした違いに目が止まるようになる。アイリッシュ・バーの多い町、イタリア料理店の多い町、スターバックスが多い町、アジア系の商品を多く扱うスーパーがある町、危険を回避するため分厚いガラス越しにお金と商品をやりとりするファースト・フード店がある町などに気づく。同時に人々の顔つきの違いにも目が止まる。ロスアンジェルスの韓国人街の大きさに驚き、数多くのメキシコ系チカーノの人たちがファースト・フード店でエネルギッシュに働いていることに驚く。客のオーダーを取るときは英語で会話を行い、そのオーダーをスタッフに通すときはスペイン語を叫ぶ。ロス周辺にある牛丼の吉野家で働いているのは、ほぼ間違いなくチカーノの人たち。かつていつかはチョコレート色になるといわれ、人種のるつぼと評されたアメリカは、人種のサラダ・ボウルと呼び慣わされるようになって久しい。ちょっと遠くから見ると緑色に見えるボウルの中も、近づいてみれば赤いトマトや、緑のキュウリや、黄色いピーマンが入っている。野菜は自分の色を持っている。アメリカに集うさまざまな人種がボウルの中の野菜にたとえられている。

 たまたま昼食を食べたダウンタウンの大学食堂のレジに、日本人の女性が座っていた。おそらくもう60歳近いだろう。「最近の日本はどう?」と聞かれたことをきっかけに、少し話をする。彼女の口をついたことで、ひどく心に残ったことがある。「日本人はね、アメリカに来て暮らし始めると、アメリカ人になろうとするのよ」と彼女は言う。「みんなでね、競ってアメリカ人になろうとする。アメリカ人の仲間になろうとするし、なんとかアメリカ人と結婚しようとするのよ」。旅行者の僕でさえ、思い当たる節がある。アメリカを旅行中に日本人を見かけると、僕らは彼、あるいは彼女の「アメリカ度」を目測している。華麗に英語を操る人を見るとうらやみ、傍若無人な典型的な日本人を見ると思わず眉をひそめる。日本人の見ている目の前で、英語を話すことを恥じる。日本人同士でお互いの「アメリカ度」を測っている。こうしたことを無意識に行う。アメリカ人は、日本に来てもアメリカ人のままなのに。
 「でもね、韓国人や中国人は、すごく強くまとまるのよ。お金も貸しあうし。日本人はアメリカ人になろうとして、結局のところ、裏切られるの。離婚も多いしね。それに気づいた頃には、もう遅いのよ」。そして彼女は、こうして話を終えた。「日本人はね、ひとりになっちゃうの、アメリカで。お互いを監視し合うのよね。もうだめよね、これじゃ」。

イラストレーション ツトム・イサジ

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