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亜米利加レコード買い付け旅日記 4

 ジムとはなかなか連絡が取れなかった。いつもだったらメールをすれば、間髪を入れずに返事が返ってくるのに、何回メールしても返事がない。電話をしてみても、留守番電話が対応するだけ。意を決して「返事を下さい」とテープに吹き込んだのだが、それもダメ。そういえばと思い直して、ジムのことを紹介してくれたレコード屋の店主、グレッグあてに電話を入れて、やっと事情がわかった。「奥さんに癌が見つかり、夫婦ともにテキサスで療養中で、もう半年近く。そろそろ家に戻ってくるから、電話をしてみるといい」とのことだった。かく言うグレッグはグレッグで、腰を痛めてしまって手術をしたばかりという。なかなか思うように動きがとれず、週の半分も店に出ていないらしい。たぶん50歳を越えたくらいだろう、がっしりとした体格、半袖のTシャツからはみ出ている腕は太くて筋肉が隆々としている。店に入った正面の棚には、近くの海でサーフィンをする写真パネルと、その勇姿を全面に大きく取り上げた古びた地元新聞が貼られている。午前中は可能な限りサーフィンをして、店は昼の12時に開店。気ままにレコード屋を経営するサーファーのグレッグに、ひどい腰痛とはいかにも似合わない。

 電話のやりとりから数週間後、買い付けの途上でグレッグの店を訪ねた。案の定、グレッグは店に出ていなかった。ピンチヒッターの若いスタッフが、気を利かせて家にいるグレッグに電話を入れてくれ、ちょっと雑談をする。「そういえば昨日、ジムの家に行ったよ」と伝えると、「ジムから電話をもらったよ。いい買い物をできたか?」とグレッグが答える。「確かに。なにしろいい人たちだ」とボクが答えると、「そうか。じゃあ、また別の友人を紹介するよ。うちの店のすぐ近くだ。今日はまだ時間があるか?」とくる。グレッグは、とても心優しい世話役だ。レコード好きのつながりは、熱くて深い。

 会話を聞きつけた店のスタッフが言う。「ジムの家に行ったの?いい人たちだよねえ」。「うん。昨日ね。楽しかったよ」と答えると「あの町にはなんにも無いよなあ」と返ってきた。グレッグの店から、ジムの家まで約60キロ。東海道線で言えば東京から茅ヶ崎くらい。中央線だったら東京から相模湖。その間にあるのは、広々とした草原だけ。総人口7,000人弱のジムの暮らす町にはガソリン・スタンドもあるし、ホテルもスーパーもレストランも学校もあるので、何もないと言うのは当たらないけれども、確かに端から端までほんの数キロにも満たない小さな集落だ。

 ジムには、訪問の前日に電話をした。「明日、何時頃に来る?」「11時頃に。前回のように町のガソリン・スタンドから電話をしますから」。そんな会話をした翌朝。たぶん今日は一日仕事になる。道筋のガソリン・スタンドで飲み物とサンドイッチを買った。
 運良くジムの家の場所を松永クンが覚えていた。約束のガソリン・スタンドに迎えに来てもらうこともなく、家までたどり着いてしまった。家の裏口に廻って、勝手口のベルを鳴らす。ちょっと驚いたような顔をしながら、ジムが外に出てくる。「おう、マコトか」、「久しぶりですね」。こんな風にして僕らは一年ぶりの握手をした。

 ジムはレコードの売り買いで生計を立てている人ではない。全くの趣味でレコードを集めて来た。ベッドルームには高校生の頃に自分で作ったというレコードラックがあり、そこにはビートルズのブッチャー・カバーを始め、ロックンロールやドゥ・アップなどの今や数百ドルから数千ドルもするレコードが、当たり前の顔をして並んでいる。それを僕らに見せる時のジムのうれしそうな顔は、また格別だ。

 リヴィング・ルームの隣には食事のためのダイニング・ルームがあり、その北側にはレコード専用の大きな部屋が用意されている。ロックやポップ、カントリー、ソウルなどのレコードが、ABC順に並べられ、作りつけのレコード・ラックに収められている。片側の壁には50年代、60年代、70年代と、年代ごとに分けられたシングル盤が、専用の段ボール箱に収められて山ほどに積み重ねられている。なにしろ我々がレコードを見ているところにほかの客が現れることはないし、いかにも商売熱心なそぶりは全く見せない。ジムは夫婦二人で、リヴィングのソファにのんびりと座って待っているだけだ。暮らしぶりからしても、なかなかに裕福なリタイア生活のように見える。

 庭先には20畳ほどの大きさの簡単な作りの倉庫がある。そこにも天井から床までレコードだらけ。コーラスやハワイアン、ゴスペルなどのレコードが集められている。家の部屋と倉庫に集められたレコードをあわせると、優に数万枚を越す枚数になるだろう。「もう一カ所、レコードを置いてある所があるんだ。どうするかな。どんな順番でレコードを見るか?」。それは初耳だった。どこにそれはあるのか聞くと、この町にはずれに倉庫を借りているという。「じゃあ、まずそこに行ってみたい」と答える。ジムの車の後を着いて走り、倉庫に向かった。

 たどり着いたのは、観光客の遊覧飛行のための飛行場だった。広大な敷地に滑走路が敷かれ、単発の小さな飛行機が数台置かれている。滑走路の脇には観光客用の待合室が用意され、その向こうの片隅に飛行機の格納庫があった。ウィークデイのせいか、待合室には誰もいない。遊覧飛行会社のスタッフもいない。コーラの自動販売機の明かりだけが点っている。ジムは、車をひとつの格納庫の前に止めた。「友達のビジネスでね。億万長者なんだ。もう働かなくてもいいくらいにさ」と言う。で、倉庫はどこに?と思っていると、ジムは手に持っていたキーで3つ並んでいる倉庫の真ん中の戸をあけた。シャッターが下から上に向かって、ずるずるっと上がっていく。すると格納庫の隅から隅まで一杯に置かれているレコードが現れた。「閉店したレコード屋の在庫をまるまる買ったんだ。さて、どうするか。3時間もしたら迎えに来るかな?」。そう言ってジムは、家に帰っていった。彼は奥さんのために、食事の用意をしなければならない。見渡すと広々とした大地が広がる。遙か彼方に地平線が見える。小さいとはいえ飛行場であることは間違いないのだ。はるか向こうから、農作業でもしているのだろうか、なにかエンジン音がする。それ以外の音は、全く聞こえない。太陽がさんさんと輝いている。人の気配もしない。時間というものが手のひらに乗っているような、そんな気分になる。

 「さてと、働くとしますかね」。松永クンか、ぼくか、どちらからともなくそんな言葉をつぶやいて、僕らはレコードを見始めた。それはまったく"働く"という言葉がふさわしい作業だった。途方もない量のレコードがあった。数を数えてみておおよそをわかってしまうと、徒労感とでも言うべき気持ちになるので、僕らはレコードの山の前では、おそらく無意識にそうした作業をしない。限られた手持ちの時間の中で、最前を尽くすしか手がないのは、いつものことだ。
 ひとまとまりづつレコードを見ていると、アメリカでいかにも蒐集価値があるとされているアイテムが無いことに気づく。おそらくジムがもう既に自宅に持ち帰っているのかもしれない。その数枚の、せめて数十枚のレコードを買うために、ジムは閉店したレコード店のすべてを買ったのかもしれないなと思い、おかしくなる。なにしろレコードの前では、無邪気なのだ。まるで子供のままだ。ジムがそれほどの関心を持っていない音楽、たとえばハワイアンなどがそうなのだが、そうしたレコードは玉石混合になって丸のまま、残されている。どこかの放送局のライブラリー、そのままを見ているようだ。

 ちょっとした悪い心で高そうなレコードを盗み出してやろうと思ったら、間違いなく出来たに違いない。なにしろ我々の車は、そこにあるのだから。車の中のトランクの下にレコードを放り込んだって、誰も気づかない。なるほど、僕らはジムから信頼されているのだと、改めて思う。ピラミッドのような宝の山を前にしながら、僕らは持ってきたミネラル・ウォーターを飲み、レコードを選び出し、用意した箱に繰り返しせっせと詰めた。
 太陽が午後の日差しを照らし始める頃に、ジムの車が遙か向こうからやってきた。「どうだ、終わったか?」とその顔が言っている。倉庫の片隅にまとめてあった段ボールを、ジムに確認してもらいながら、車に積み込む。レンタカーのミニ・ヴァンの後部が少し沈み込んだように見えた。

 ジムの車に先導されながら、今一度、家に戻る。車を駐車場に入れて、勝手口側に廻って家に入る。気がついてみると午後の3時をすぎているので、松永君が家の中のストック、僕が庭先の倉庫をチェックすることにして、再び作業を始めた。ジムが用意してくれたプレイヤーで、レコードを繰り返し聞く。これだけ数多くのレコードを見ていると、僕らにとって価値があるレコードか、それとも残念ながらそれほどの価値のないレコードが、ピンとわかるようになる。それはアーチスト名であったり、レーベルであったり、音楽のジャンルであったり、ジャケットのデザインが指し示すものであったりする。できることならば、ああ、ここにあるレコードのすべてを聞いてみたいと思い始めるのだが、それはかなわない願いだ。
 庭先の倉庫を終えて、再び家に戻る。そういえば前回、訪問した際に僕らに襲いかかるかのように走り回っていた黒々とし二匹の犬がいない。尋ねてみると、テキサスに奥さんの病気の療養に出向く際に、もらってもらったのだという。そのせいもあるのだろう、もう60歳を過ぎる初老の二人が暮らす家は、どこかしんと静まりかえっている。

 さて、レコード・ハンティングの続きだ。時間はもう5時を過ぎていて、周囲が少しつづ暗くなり始めている。早くしなければ、すぐ夜になってしまう。突然に、「おい、お腹も空いたろう」と言いながら、奥さんが焼いてくれたケーキをジムが差し入れてくれる。「うちの女房のケーキは抜群なんだ」と、皿をこちらに向ける。ほかほかのケーキをほおばり、そのあまりの甘さに驚きながらも、疲れた体にはなによりの贈り物で、ぼくらは「素晴らしい!」と声を上げた。当たり前さとでも言わんばかりに、ジムは立っている。なにしろ彼は愛妻家だ。「うちの女房と俺とは、一週間しか誕生日が違わないんだ」と、聞きもしないのに教えてくれた。

 すべて見終わったわけではない。とりあえずはアルバムのすべてをチェックして、山ほどに積まれたシングル盤の、その5分の一ほどを見終わったときには、もう時間は8時に近かった。選び出したレコードをジムが逐一にチェックして、そして支払いを済ませた。すると、彼が「こっちに来い」と呼ぶ。そこにはスタンドアップ・タイプのピアノがあった。最近になって買ったロール・ピアノだという。幅が50センチほどもある大きな丸まった紙をピアノの上部から差し込むと、紙の所々に空いている穴が、弦を叩く仕組みと連動して、ピアノを演奏させる。自動ピアノである。映画「スティング」のテーマとして有名になったスコット・ジョプリンの「エンターテイナー」など、ラグタイム期のピアノ演奏に盛んに用いられた手法だ。ピアノを購入してから修理をした。譜面も買い集めているという。まるで賞状を入れるような筒状の円筒からとあるロール譜面をとりだして、ピアノにセットして、彼はうれしそうにスイッチを入れた。
 するとピアノの鍵盤が自動的に動き出し、大きな音が鳴り出した。「遊びに来ている三つ子の孫を隣の部屋で待たせて置いて、このピアノをセットすると、オレがピアノを弾いていると間違えてくれてね」。うれしそうに満面に笑みをたたえる。その横には大量のSP盤がまとめられている。「こんどはこのSPを聞くんだ。蓄音機を修理してね」と、これまたうれしそうに笑う。その向こうに、奥さんのジェインはにこにこ笑いながら立っている。

 夜の9時近くになると、広大な草原の真ん中にほんの数軒と共に立つジムの家は、漆黒の闇に包まれる。「さあ、モーテルに帰ります」と立ち上がった我々を、ジムは家の前で見送ってくれる。「どうする、今日やって来た道を戻るか?」と聞かれ、そういえばと思い出して、「前回の帰り道に使ったシンプルでわかりやすい道にします」と答えた。家の前を右に数十メートル、そこの突き当たりを右折、その後は最初に出くわすT字路まで走り、そこを右に曲がれば先方にすぐ高速の入り口が見えてくる。高速に乗りさえすれば、あとはモーテルに帰り着ける。ジムは、「そうか、カントリー・ロードだけどな、まあ、気を付けろよ」と言って、右手をぬっとを出して握手した。

 途中にたった2回しか曲がり角のないこの道をたどって高速道路に行き着くまでに、40分以上はかかったに違いない。道筋に街灯は無い。すれ違う車も無い。延々とまっすぐに続く砂利道を走る。空には月と星が輝いている。あとは真っ暗な闇だけが広がっている。なるほど、カントリー・ロードとは、こういう道のことなのかと思い知った。自分という存在と分かち難く結びついていた場所に、自らを連れ戻す道とジョン・デンバーが歌ったカントリー・ロード。

 カントリー・ロードのその向こうの草原の真ん中で、山ほどのレコードと、大きな音を出すピアノと、愛する奥さんと共にジムは暮らしている。また来年にはレコードを買いに来ますからねと、遠ざかりつつあるバックミラーのジムに家の明かりに向かって、ボクは独り言を言った。


 その翌々年のこと、またしてもジムとはなかなか連絡が取れなかった。何回メールしても返事がない。電話をしてみると、こんどは回線が途絶えている。サーファー兼レコード店主のグレッグに電話を入れると、驚くべき答えが返ってきた。「奥さんのジェインが亡くなったんだよ。ジムは、レコードも家も何もかも売り払って、引っ越した。どこへ行ったのか、誰も知らないんだ」。僕は思わず息を呑んだ。
 あの膨大な量のレコードと、あの素敵な内装の家と、なにもかもを売り払ったというジムのことを思った。日々、ジェインのことを思い出させるものがある家で、彼は暮らしたくなかったのだ。なにもかもを捨てて、周囲の誰もがジェインのことを知らない、自分のことさえ知られない街で、ジムはひっそりと暮らしたかったに違いない。その気持ちがわかるような気がした。全てを捨て去ることとを引き換えに、ジェインへを失った悲しみを、ジムは封印したかったのだろう。
 レコードを探し求めるバイヤーだったら、ジムの持っていたあの大量のレコードを誰が買ったのか?と、グレッグに聞くべきだったのかもしれない。それすら思いつかずに、僕は電話をおいた。


イラストレーション ツトム・イサジ


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