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悪いことをしても何とも思わない人がむしろ擁護される理由

こんにちは。

牧 菜々子です。

悪いことをしたのに、まるで被害者のように振る舞う。

そして、むしろ擁護される。

そういう人が、世の中には一定数います。

この人は、自分のことしか考えていないのに。

それなのに、許されるなんて、ずるい!

そう思っても…。

残念ながら、こういう人を懲らしめることは、できません。

何をしても罪悪感を感じず、反省せず、むしろ被害者を装う。

良心のない人というのは、懲りないのです。

では、こういう人は、どうして一部の人から擁護されるのでしょうか?

どうして、結局いつも許されるのでしょうか?

それは、「口がうまいから」です。

擁護されるのは「口がうまいから」

自分のことしか考えておらず、良心もなく、罪悪感もない人は、他人の気持ちがわかりません。

他人の気持ちをわからないままにしておくのはリスクなので、自分がコントロールする必要が出てきます。

そこで、「口でうまいことを言う」という手段を採ります。

そして、これが見事に上達するのです。

どうして、良心のない人は、口がうまくなれるのでしょうか。

それは、「言いにくい言葉」がないからです。

罪悪感という障害がないので、言いにくい言葉もないのです。

つけない嘘もないのです。

だから、圧倒的に口が上達するのです。

口でうまいことを言い、周りの人はそれを信じます。

そして、擁護され、結局許されるのです。

どうして騙されてしまうのか

では、どうして、周りの人は口がうまい人を信じてしまうのでしょうか?

それは、「良心のない人もいる」なんて思いもよらないからです。

自分と同じように、「気持ちがある時にだけそう言うはずだ」と思っているから。

「そう言うなら、こういう気持ちがあるのだろう」と考えるから。

だから、口がうまい人の言葉を信じてしまうのです。

実際には、気持ちはないのに。

反省していないのに、「反省しています」という言葉を信じて、許すのです。

罪悪感なんてない人もいることを、知らないのです。

良心のない人にも苦労はある

もちろん、それを見抜いている人もいます。

一部の人は許しても、本人は悪いと思っていないことを知っている人もいます。

そういう人は、本当に悔しい思いをします。

悔しいのですが、どうすることもできません。

「どうしてあの人は許されるのか。

悪いことをしても、擁護され、許されるのなら、全てあの人の思う壺ではないか。

いっそのこと、私も良心のない人に生まれればよかった。

そうしたら、何をしても勝てるのに。」

そう思うかもしれません。

でも、それはそれで、苦労もあるのです。

まず、危機感を感じないので、常に身を危険にさらしていることになります。

「これはまずいことになりそうだな」という感覚がないので、実際にまずいことになる時には、急なのです。

本人としては、平和な毎日なのに、急にものすごく都合の悪いことになるわけです。

客観的に見れば、そういう事態になるのも当然なのですが、本人はものすごく気分が悪いことは、想像できます。

危機感や罪悪感を少しでも持っていれば、そんな思いはしなくて済むのですが…。

他にも、苦労があります。

良心のない人は、暇です。

実際には忙しくても、心の中は退屈です。

自分が批難されている間でさえ、暇なのです。

普通、人は、暇になると、悩んだりし始めます。

でも、良心のない人は、基本的に悩みません。

葛藤がないからです。

すると、暇つぶしの手段が人より少なくなるのです。

いつまで経っても暇というのは、けっこうしんどいのです。

その上、良心のない人は、自殺を完遂することは100%ありません。

どんなに暇でも、他人と分かり合えなくて孤独でも、それを自分で終わらせることもできないのです。

いつも通りなだけ

このように、良心のない人にも、苦労はあります。

でも、懲らしめることはできません。

どんなに、「許せない!懲らしめたい!」と思っても…。

そこは、諦めるしかないのです。

本人だって、また許されたからといって、ほくそ笑んでいるわけではないのです。

だって、本人にしてみれば、許されて当たり前だからです。

特に「勝った」と思っているわけでもありません。

いつも通りなだけです。

勝ったつもりもないのに、そんなに悔しがられても…。

もちろん、「また勝ってしまって申し訳ない」という良心の呵責もありません。

諦めるしかないことが、お分かりいただけると思います。

諦めると良いこともある

諦めるのも、決して悪いことばかりではありません。

諦めると、良いこともあります。

他のことに、自分でびっくりするくらいエネルギーが湧いてくることがあるのです。

諦めるというのは、一種のセンスです。

人は、センスを発揮することで、精神的に器用になれます。

諦めることは、決して無駄ではないのです。

それに、悔しがれているのはまだマシな状況です。

もし、良心のない人から直接自分がターゲットにされたら、逃げるしかないのです。

悔しいとは言っていられません。

言葉ではなく行動を見る

「あれだけのことをしたのに、復帰なんて早い!」

「あんな人と結婚するなんて、絶対許せない!」

それなのに、どうしてあの人は、一部の人や環境的要素から、擁護されるのか…?

それは、口がうまいからです。

その口のうまさに、本気で癒されている人が、現にいるのです。

もちろん、「言葉だけで判断するのではなく、行動を見る」ということも大事です。

そうやって、騙されないようにするのは、大事。

でも、懲らしめることは、諦めないといけません。

良心のない人にも、苦労はあります。

ずーっと暇なうえに、急にものすごく気分が悪い仕打ちを受けるのです。

それに、許されても特に「勝った」と思ってもいません。

本人にしてみれば、許されて当然なのですから。

まだ、直接標的にされていないだけマシです。

そういうことなら、諦めもつくというもの。

「諦める」というのは、私たちのセンスの見せどころです。

諦めた途端、びっくりするくらいのエネルギーが湧いてくるのを、きっと感じるはずなのです。