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遠慮のいらない相手は遠慮してる説

私は夫の母と同居しているが、同居生活というのは良くも悪くも毎日が修練の日々だと思う。

とはいえ、それは夫婦関係にも言えることであるし、子育ても同じといえばそうなのかもしれない。

いや同じではないな……🤔

さておき、同居生活では考えさせられる出来事が多く発生する。
その出来事からより多くの汎用的な学びを見つけられる者こそ、同居生活を制するのだろう。


「遠慮のいらない間柄」という言葉がある。
お互い親しく接することができる関係性を示す言葉。そう思っている当事者にとっては、リラックスして心地よく居られる関係。

でも「遠慮のいらない」は双方向なんだろうかという疑問が湧いた。
より正確にいうと、多くの場合は双方向ではなく一方通行でしかないだろうと思ったのだ。

出来事自体はとてもささいなことだ。
義母がLINEの使用方法について聞いてきた。いつものように。
ついでに義母と茶を飲んでいたババ友にもスマホ相談をされる。

義母が「マキさんはスマホとかLINEに詳しいからいつも助かる」的なことをいい、その話の流れで更に「息子(私の夫)は仕事してるからなかなか聞けない。」という。

それにババ友Aさん(80代の現役看護師)も同調し、「私も一緒に住んでる娘はいつも忙しそうで聞きづらいから職場の事務さんに聞いてると言ってたわ」といった。

夫と同じく仕事してる私にも、同じく仕事してる上にさらに仕事中に聞かれる事務さんにも失礼な話であるが、同居歴12年の私はそんな年寄りの妄言で腹を立てるようなムダなことはしない。

義母もAさんも自分の子供に聞けない理由を「忙しそうだから」と言ってるが、本当は「煩わしそうにされるから」であり、「まともに教えてもらえないから」だ。


本来なら実の親子関係である義母と夫、Aさんとその娘のほうがよほど「遠慮のいらない間柄」なはずが、夫とA娘さんは遠慮なく年寄りの面倒なリクエストを無視し、義母とAさんはそんな我が子の対応に遠慮して「忙しいから」という理由づけまでしている。

そして嫁である私に遠慮なくスマホ相談をして、私は家事や仕事の手を止めて答えてやるのだ。
ババアの妄言だと蔑みながら。


この一連の出来事を経て気づいたのは、義母と私の図式のようなことは私が義母側の立場でも普通にあり得るし、世の中にもそこら中にあるということだ。

自分が心地よく遠慮なく話ができる相手は、同じように感じているわけではない。必ずそうだというわけではないものの、そうである場合は多い。仕事など上下関係がある環境は特にだ。

直近では仕事で、将来では息子たちが結婚したら、ババアの妄言を吐き散らかさないように肝に銘じておきたい。

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