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教育を考える―表現に自信を

10月6日(木):教育を考える①

自身の生涯を中学校教育に捧げた「大村はま」という女性がいます。
彼女は、国語教育を通じて、子どもたちが自身の心に向き合い、思考を深めること―
そしてそれをより適した言葉を選んで表現することの大切さを説き、教育と学びについて考え続けた人です。

中学校の先生ではありますが、その教えは幼い頃から、そして私たち大人に対しても大きな学びをくれるものです。

木曜日の今日は、大村はま先生の言葉から、子どもたちのことを考えてみたいと思います。

率直にものを言えば損をしたり、言いそこなえば、すぐ嘲笑されたりするようなクラスのふんいきの中では、ことばは育てられないこと、すなわち、ことばの問題は、ただちに人間や社会の問題につながっていることを深く自覚させたい

‹引用›大村はま全集第十巻 第Ⅰ章「学習指導案から」

先生たちは毎日の授業、生活指導全てに「指導案」という計画書を事細かに立案しています(もちろん幼稚園、保育園でも)

上記の引用は、大村はまさんが中学2年生の指導案の中で「留意点」として書かれていた文章です。

こんな風に中学校で先生が配慮して授業として下さるのは有り難い限り!ですが、学校の取り組みに任せてしまうのではなく、親がいしきしておくことで家庭での基礎作りをしておくことは不可欠ではないでしょうか?

これは教育を受ける上で必要…というのではなく、子ども一人ひとりの自尊心や成長にとっても、この大村の教えはとても大切なことだと思います。

大人が無意識に子どもの発想を否定したり、子どもの返答が自分の意にそぐわないと態度や顔に出てしまうことは少なくないもの。

例えば子どもの「好き!」や「おもしろい!」の気持ち。
例えば選んだおもちゃやぬり絵の色。

無意識に押し付けてしまっているのは、大人本人が勝手に作り上げたしょうもない「普通」という感覚。(急な毒吐き、ごめんなさい💧)
…それはその子にとってなんの価値ももたらさないものかも知れません。

子どもを見る大人たちへ…バカにする「おもしろさ」ではなく、興味をもつ「おもしろさ」を感じられるようになりませんか?

子どもが嬉々として自分の思いを自信たっぷりに話す…そんな姿を嬉しく見つめられる大人でいたい、私はそう思います。

ちょっと意識的に自分の思い込みを捨て、子どもの思いを面白がって見たら…子どもの目で見る世界はもっと美しくて不思議で、おもしろいかもしれない。
子どもと一緒に面白がれる大人が増えてくれたら楽しそうだな🎵そんな日を夢見て…


最後まで読んで頂き、ありがとうございました✨
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明日は思ったことを、徒然に…日記的に書こうかな?
では、また明日😁


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