はじめまして。まいとです。
この度、登録だけしていたノートを書いてみることにしました。
私はギリ平成生まれのアラサーです。
1年365日のうちの300日は体調が優れません。
それでも毎日楽しく過ごしています。
ちょっとずつ生い立ちの部分なども書いていければなぁと思いますが、起きた出来事ごとに分けて書くのも良いかなぁと思っております。
病気の体験は書くのはまだ辛いです。
辛すぎて当時の記憶が飛んでしまっているので正確な詳細も現時点ではまだ書けないです。
おいおい書ければ良いなぁと思っています。
さて、突然ですが私は被虐待児でした。
今現在もセラピーを受けております。
具体的な内容も書けますが読んで下さる方のフラッシュバックを誘発しないためにここでは内容は控えさせていただきます。
いつか出版できたらなぁなんて妄想を膨らましたりはしていますが。
なぜ私が虐待を受けていたかなのですが、私の母は23歳の時に女手一人で私を生みました。
シングルの生活は精神面でも肉体面でも経済面でもとても大変だったと思います。
母と二人で暮らす前は祖母の家で母と母の姉妹と住んでいたのですが(そこでも暴力を受けていて我慢できなくなった中3の夏に母に伝えたら母がキレて2人で暮らすことになった)
二人暮しをはじめたら母が家に帰ってこない、帰ってきたと思ったら彼氏を連れ込んでお酒飲んで暴れる、みたいな割とハードな生活になってしまったのです。
私が24歳になったある日のこと。
〝お母さんの人生を母という目線で見るのではなく、一人の女性の人生としてみた時、とても辛い人生を歩んできたのではないか〟
と思ったときに、母を受け入れることができました。
母がどう思っているかは知りませんが、昔も今も母のことは大好きです。
ただ、まだ症状は出ます。苦笑
虐待をなくしたい。
現実的に考えて無理かもしれません。
だったら少しでも悲しむこどもが減るように、何かしていきたいと思っています。
私はお父さんとお母さんが笑っていたら虐待は起きないのではないかと思っているのですがよろしければ皆さんのご意見をお聞かせください。
虐待を受けた子が大人になって、自分の足で立って生活して行けるように。そんな社会を目指して現在人生の準備期間を過ごしています。
これからどんどん書いていくので多くの方に読んでいただけたら幸いです。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
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