映画『火垂るの墓』と向き合う【2023年1月4日(水)】
2023年1月4日 晴れ
先日、長女が、「戦争が怖い」と言って泣いたことを書いたが、この長女の悩みにどう寄り添えばいいのかは、引き続きモヤッとしたままだった。
そんななか、ママが、「火垂るの墓、観てみる?」と長女に尋ねたところ、「観てみたい」となったようで、昨夜、鑑賞することに。
ただ、私としては、この年齢の姉妹に観せていいものか、すごく戸惑った。
というのも、私もかなりの怖がりで、この映画を初めて観たのは高学年の頃?だったと思うが、当時の私には内容を受け止めきれず、ただ怖い映画、というイメージが残ってしまっていたから。
だとすると、今の長女には、戦争が怖いという恐怖心を、ただ煽るだけになるんじゃないかと恐れたわけ。
でも観ると決めたからには、映画を通じて、子どもたちとコミュニケーションを取って、最終、前を向けるようにしたいと、私も意を決した。
意を決したというのは、少々おおげさに聞こえるかもしれないが、単純に私の中でも、まだ映画に対する恐怖心が、、、。
この映画とちゃんと向き合うのは、小学生以来ということになると思われる。
で、鑑賞をはじめて、早々に、清太さんと節子ちゃんのお母さんが空襲によって、包帯ぐるぐる巻きとなってしまうシーンがやってくる。
こんな序盤だったっけと戸惑いつつ、案の定「え?怖い、、」と不安がる姉妹に、空襲で火傷しちゃったんだねぇ、と冷静ぶって応じるが、私の鼓動も早まった。
このあと、このような衝撃的なシーンは、どれだけ出てくるんだっけ?と、先が思いやられた、、、。
その後、時折、清太さんと節子ちゃんが無邪気に遊ぶシーンでホッとしながらも、おばさんに厄介者扱いされる場面、おばさんの家を出て防空壕に住む決意をする場面、清太さんが野菜を盗んでボコボコにされる場面、節子ちゃんが栄養失調で死んでしまう場面など、長女は「怖いぃ」と言って、たくさん涙した。
長女が涙する度に、次女も涙した。
で、観終わって、戦争嫌だよぉ、怖いよぉと、たくさん涙を流すことになった子どもたちだが、ここから私なりに一生懸命に、子どもたちと『火垂るの墓』に向き合うことに。
まず、オープンに何を思った?と聞くと、長女が「つらい。悲しい。」と涙した。
そうだねぇと同意して、あとは?と聞くと、「こうやって生きれるのが、どれだけ幸せなことかわかった」と、嗚咽しながら、素敵過ぎる気づきを得た長女。
ほんとだねぇ。
ところで、戦争の中で生きている、清太さん、節子ちゃん、おばさんのことはどう思った?と聞くと、「かわいそう。子どもだけで生きて行くのは無理。おばさん嫌な人」と言う。
まぁ、そう思うよね。
でも、ほんとうにそうだろうかと投げかけてみたい。
例えば、清太さんが、おばさんの家事を手伝うと言えたらどうだったろう?、何かできる仕事はないかと相談したらどうだったろう?、おばさんも大人として、リーダーとして、清太さんと、こうしたらどうだろう?ああしたらどうだろう?と、話し合っていれば、結果はまた違っただろうか?、清太さんも節子ちゃんも生きることができただろうか?、とかとか伝えてみる。
確かに、とうなずく女子チーム。
そうやって考えていくと、戦争はもちろんよくないんだけど、ただ闇雲に怖がるだけでなく、そういった歴史から学んで、自分と向き合い、これから如何に生きるか、如何に未来を明るいものにしていくかを考えることが大事なことだ、というメッセージが浮かんできた。
そんな話を踏まえて、自分たちの未来は、自分たちで作っていくわけで、その自分たちの未来を明るいものにするために大事なことはなんだと思う?と聞くと、「頭、心」と、長女が言った。
ああ、「心」って、すごくいいなぁ。
最低限の読み書きそろばんを身につけ、歴史と向き合い、内面と向き合い、他者と向き合い、自分はどう生きるのがいいか考える。
私も子どもたちと一緒に学び直さなければいけない、本質的で大切なメッセージを『火垂るの墓』から学べたんだと思う。
気がつけば、「戦争が怖い」と言う長女の姿はそこにはなかった。
というのは、かっこつけすぎですが笑。
いやぁ、でも思い切って『火垂るの墓』を観れてよかったんだと思う。
ママにも感謝したい。
ところで、調べると節子ちゃんの年齢は、4歳だった。
次女と同い年か、、、いやぁ悲しい、、、。