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非営利業界に関わる素敵な方々のインタビュー集です。
個人企画としてはじまった、「非営利に関わる人たちインタビュー」。 トップバッターは、NGO/NPOのファンドレイジングのお手伝いをしている株式会社STYZのサービス「Syncable」の中の人、高村さんです。 私も非営利団体でSyncableさんのお世話になりました…! そんなわけで、早速インタビューのスタートです。 ◆お名前、年齢、ご出身を教えてください! 高村大夢(たかむら・ひろむ)、山梨県出身です。年齢は23歳で、20歳の頃からファンドレイザーをしています。 ◆
現代思想2020年5月号を買った。色々な言論が寄せ集めになっていて、分かるものも、理解を超えたものもある。ただ、何か大きな事件が起こるたびに、それを理解したくて特集を読んでみるようにしている。あの、シャルリ・エブドの事件とか。 今回も多くの切り口があり、哲学的思考(フーコーの生政治多め)から、社会学的観点からの警鐘、エイズ文学考、マスクの歴史、疫病の歴史、結核罹患者のコロニーの歴史など、私が自分で手を伸ばせる範囲を超えた様々な言論が集まる。「意見や論説が集まる」という点では
御茶ノ水駅に降り立つたび、6歳の頃を思い出す。病気で入院していて、イチゴミルクやミスタードーナツに手が届かなかった、あの頃のこと。 私には「先天性総胆管拡張症」という生まれつきの病があって、判明したのは5、6歳くらいの頃だったと思う。よく「お腹が痛い」と訴えては、夜間救急に運び込まれていた。当時父が乗っていた、紺色のフォルクスワーゲンの後部座席に寝っ転がって、夜の明かりを眺めながら運ばれていたのを覚えている。大体は下剤を入れられて、診察室の端っこのトイレに連れて行かれ、その
この情勢のため、保育園に行けなくなった我が娘ら3人(5歳・2歳・2歳)。私はフルタイムのテレワーク、連れ合いはコールセンター(まさに密)でのお仕事を休み、日中は子どもらを見てくれています。(そして同居の義母は週2、3の泊まり勤務。昨年末に中国から帰国したまま、戻れずにいる通訳の義妹も同居。) パワーあふれる幼児たち、何もケアせずに放置しておくとYoutube三昧、録画番組漬けに…。そんなわけで日々、子どもらを遊ばせるために試行錯誤中です。それにしても子どもらって、なんでこん
自分コミュ障で真面目すぎるチキンなんじゃないかと最近思い悩んでいたのですが、子育ての戦友であるだんなくんが、晩酌中に子育ての学びをぶちかましてくれました。 旦那:「あのね、こないだ2歳児双子をまとめて病院に連れてったんだけど」 並木:「お、おう」 旦那:「やつら、受付の時間が迫ってるのに、車の席順で大喧嘩するわけ」 並木:「ありがちだね」 旦那:「やっと座ったら、部屋に折り紙のカエルちゃん忘れたって言って号泣するんだよ」 並木:「あぁ…」 旦那:「そのくせ、数日後にはカエル
日経に、こんな記事が出ました。 「第3子に月6万円」の児童手当拡充案が浮上? https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00122/00058/?n_cid=nbpnb_mled_mpu 子ども手当を増やしたら(3人目は6万円!)子どもを産みやすくなるんじゃないか、という政府の見立て。 すでに3人産んでる私。働く女性の私。 お金がもらえたら、4人目を考えるだろうか…。 否。足りない。そんな金額で「やったーー★ 産ん
配給会社さんに試写状をいただいて、「娘は戦場で生まれた」という映画を観てきた。 ジャーナリストに憧れる学生ワアドは、デモ運動への参加をきっかけにスマホでの撮影を始める。しかし、平和を根が彼女の想いとは裏腹に、内戦は激化の一途を辿り、独裁政権により美しかった都市は破壊されていく。そんな中、ワアドは医師を目指す若者ハムザと出会う。彼は仲間たちと廃墟の中に病院を設け、日々繰り返される空爆の犠牲者の治療にあたっていたが、多くは血まみれの床の上で命を落としていく。非常な世界の中で、二
「違うんだよ、味が」。 目の前の、横髪を短く刈り込んだ「今風」のおしゃれな青年が遠い目でつぶやく。彼が立っているのは、これまたおしゃれなカフェ・カウンターの中だ。 アメリカはシアトル発、日本でも人気を誇る某有名コーヒーチェーンの「ベツレヘム店」。とはいえライセンスの有無は怪しいもので、張り出されたメニューも、棚に並ぶグッズも、私が横浜のお店で見るものとはまるで違う。張り紙には「サハラブあります」なんて書いてあるけれど、植物の根の粉末をとろりと甘く煮詰めた中東独自のあの
たしかにわたしは忙しい。 でも、「忙しいこと」は、私が自分を納得させるためにすべきことを諦める理由には、ならない。 ならないです。だって、たとえ頼まれごとだって、引き受けるかは自分で決めて、自分のコンテクストを組み上げて、自分で責を負うんだもの。 そうやって34年、特に東葛飾高校に入ったあたりから、やりたい放題に生きてきて、まだ行けると思っている。 どうしようもない壁にぶち当たって砕けるまで、このまま行ってやろうと思う。 挑戦ばかりでいつもご迷惑をかけているのは、こちらの
勤務先の国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」がお世話になりまくっている、ジャーナリストの堀潤さん。 「世界の分断」をテーマにした写真・映像展を恵比寿で開催されると伺い、先日木曜日にお邪魔してきました。 写真と映像展 「分断ヲ手当スルト云フ事」 〜福島、沖縄、ガザ、香港、そして平壌 戦争と平和と差別と格差と無関心を知る〜 会場にはJVCの活動地であるカンボジア、コリア、そして私が現地でご案内したガザの写真も並んでいました。 私の心に一番ガツンときたのが
読書は、他人にものを考えてもらうことである。…だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。(ショウペンハウエル『読書について』より) たまたま本屋の棚から手に取った一冊の、たまたま開いたページの言葉にインパクトがあって、ついカッとなって購入してしまった。 哲学者にしては薄い本、平易な文書で読み易い。 読み易い一方で、現代にも通じる警句にドキドキさせられる。これは本当に1800年代