恵比寿から香港を見て、パレスチナを想う 〜堀潤さん個展で感じた、世界の共通項について〜

勤務先の国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」がお世話になりまくっている、ジャーナリストの堀潤さん。
「世界の分断」をテーマにした写真・映像展を恵比寿で開催されると伺い、先日木曜日にお邪魔してきました。

写真と映像展 「分断ヲ手当スルト云フ事」
〜福島、沖縄、ガザ、香港、そして平壌 戦争と平和と差別と格差と無関心を知る〜

会場にはJVCの活動地であるカンボジア、コリア、そして私が現地でご案内したガザの写真も並んでいました。
私の心に一番ガツンときたのが、堀潤さんが人波を押し分けるようにして撮った、香港のデモの動画。
香港には行ったことがない私なのに、展示会場に流れる映像が「あまりにも既視感があるシーン」の連続で、カメラに映らないところで何が起こるのかも分かるような気さえしました。

イマドキの格好をした若者たちが集って声を上げ、ときに警察に脇を抱えられて連れていかれる光景。
血を流している子を、女の子たちが道端で手当てしている様子。
道の真ん中で何かが燃え上がり、そこから立ち上る灰色の煙。
空中にふくらむ、白い雲のような催涙ガスの塊。

全部全部、私が12年前に留学中のパレスチナで見た、そして今も続く光景と同じでした。

* * *

香港とパレスチナ。
集う若者たちの髪の色や目の色、規模、画面に映る背景は違えど、私たちに突きつけているものは似ているように思います。

権力者たちの決定に翻弄されてきた人々の中で燃える、大きな怒り。
「自分たちの在り方は自分たちで決めたい」という、人として当たり前の願い。

彼らがこれまで出してきたシグナルをないがしろにしてきた強者、大人は、彼らのこの気持ちを、正当な重みをもって受け止めてくれているでしょうか。
周りの人たちは? ニュースを見ている、世界の人たちは?

パレスチナの占領反対デモで、聞いた言葉を思い出しました。
「犠牲がなければ、ニュースにならなければ、
誰もこの村が困っていることを知ってはくれない」。
そして、デモを見た過去の私が感じたことも、改めて反芻することになりました。
「デモの間、若者たちに石を掴ませているのは、
『安全なところから見ているだけ』の私、
目に入るものしか見ようとしない誰かの無関心かもしれない。」

私たちの代わりに、「見ているよ」「聴いているよ」と身を以て伝えながら現場に足を運んでくださる、堀さんやジャーナリストの皆さん、NGO業界の仲間たちに、改めて頭が下がる思いです。
個展は今日、2019年9月29日(日)まで続きます。無料です。ぜひ、足をお運びください。

ミーハーにも、現場で撮っていただいた自分の写真の横で写真を撮らせていただきました。笑
同僚にもちゃん撮影。

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