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読書のコツは、できるだけ読まぬこと?(ショウペンハウエル「読書について」)
読書は、他人にものを考えてもらうことである。…だが熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。(ショウペンハウエル『読書について』より)
たまたま本屋の棚から手に取った一冊の、たまたま開いたページの言葉にインパクトがあって、ついカッとなって購入してしまった。
哲学者にしては薄い本、平易な文書で読み易い。
読み易い一方で、現代にも通じる警句にドキドキさせられる。これは本当に1800年代の本なのか。読書家、多読がエライとされがちな中、標題、引用のような言葉をもって、読者を戒めてくれる本。
読書も結局、自ら動かなければ身にならないのだ。本の中では、こんな言葉も引用されていた。
汝の父祖の遺せしものを、
おのれのものとすべく、自ら獲得せよ。(ゲーテ)
そうか、残されたものは、そのまま継げるものではないのだ。自分で自分の路を通らなければならない。
そうボンヤリと考えていたら、「経験」をめぐる最近の思索がつながった気がした。
例えば、今まさに職場でやっている議論。先輩たちの頭の中にあったかもしれないことを、自ら組み直すプロセスの意味。
この日本ならではの「敗戦月間」であちこちに溢れる論説と、人間魚雷に乗れなかった私の祖父のこと。伝聞で、学べた気分でいる私たち。
一方で決して「戦後」ではなく、いままさに現在進行形の、海外の紛争。それらに触れる意味。
まだ結晶化はしないけれど、ぐるぐると考えていて、読書ってこの気付きのためにあるんだと、改めて思う。
わたし、消化、しているでしょうか。ショウペンハウエルさん。
それにしても、一日7冊読んではモノにしていたという米原万里氏には、遠く遠く及ばない速度だなぁ。