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夏目漱石の『こゝろ』


最初の謎かけ

夏目漱石はコナン・ドイルの八歳年下で同時代人だが、『こゝろ』という小説は一種のミステリーのテイストを持っており、推理小説的手法を存分に使っている。読者への最初の謎かけは、機能としての話者である「私」という大学生が、どうしてこうも「先生」という人物に惹きつけられるのか、だろう。
私は鎌倉で海水浴をしていて、掛小屋(海の家)で猿股姿で着替える西洋人と一緒の先生を見て、好奇心を持つ(漱石がロンドンから帰国後、ラフカディオ・ハーンの後任として東京帝大で英文学の講師になったことから、この西洋人のモデルはハーンだとする説もあるらしい)。

そして、私は異性との恋につかれた青年のように、毎日同じ時間に由比ガ浜へ出かけ、先生の姿を探す。ここには多分にエロティックな描写がある。先生が「一人で泳ぎだした時、私は急にその後が追い掛けたくなった」というから尋常ではない。
そして、ついに私は着替え中の先生の眼鏡を拾って話しかけることに成功し、翌日に太陽の下で先生と二人きりで泳ぐ。
これ以降、私が自分から先生に近づいていき、その内面を知っていく過程が物語前半の推進力になっている。

異性の代替物

「私」がとりつかれたように「先生」を追いかける謎は、後ほどきちんと解明される。「上 先生と私」第十三節の、上野で桜を見ながら先生と私が交わす対話がそれだ。
先生は、私に恋する異性がないために、物足りないから先生のことを追いかけまわすのだ、という。私はすでに恋の階段をのぼっており、「異性と抱き合う順序として、まず同性の」先生のところにきた。
しかし、先生は私に満足を与えることはできないという。つまり先生と私の関係は師弟関係や兄弟分の関係ではない。それは私が異性の代替物として同性と関係を深めていき、その心情を打ち明けあい、魂を交流させるという、まだ生まれぬ恋愛の予行演習なのだ。 

焦らしの手法

夏目漱石の『こゝろ』における推理小説的手法は、読者に先へ先へと読ませる駆動力になっている。現代の純文学でいえば、村上春樹がその手法を得意としているところのものだ。恋する者のように「私」は先生の周辺をかぎまわり、段々と興味が過去の謎へと集中していく。
「上」の十二節では、Kが奥さんとの恋愛の裏に悲劇を持っており、そのために自殺したことがにおわされる。十節では、先生は真実を話そうとして私を焦らしていたことを反省し、十五節で雑司が谷にある墓と先生の恋愛事件との関係がほのめかされる。
漱石は先生が持っている謎というものを小出しにしていき、話者と一体化した読者は「私」と一緒に焦らされ続け、小説を読むことを止められなくなるといった具合なのである。

新聞小説

『こゝろ』のミステリー小説的な風合いは、これが新聞小説として書かれたこととも関連する。小説は百十の節からなるが、一節が新聞連載一回分として書かれた。一節一節は起承転結でまとめられ、最後に一つの謎かけがなされて終わることが多い。
「上」の五節終わりでは、先生が毎月友達の墓詣りに行くという謎が提示され、六節の終わりでは、ある理由から人とそのお墓詣りに行きたくなく、妻とさえ行ったことがない、という新たなるミステリーが仕掛けられる。
また、明治天皇の病気やその死、乃木大将の殉死といった歴史的事件が複線として周到にはりめぐされ、先生の過去の謎とともに、「下 先生と遺書」における告白ですべてが解明するところまで、読者は一気になだれ込むしかない。

構成上の破綻

江藤淳による評伝『漱石とその時代 第五部』の「欧州大動乱」によれば、もともと漱石は新聞紙上で何本かの短編を書いていき、それを一本にまとめるつもりだった。そして最初に書き出したのが「先生の遺書」という短編だったが、これをそのまま百十回にわたって書き終えてしまった。それが現在の『こゝろ』という小説になっている。新聞連載小説であったためか、一節一節は次回が気になり、次を読みたくなるような終わり方になっているが、一本の長編小説として全体を見たときには構成的な破綻もなくはない。

たとえば、「中 両親と私」の章の最後で、私は先生の遺書の冒頭を読んで彼が自死した可能性を知ると、危篤の父親をおいて東京行きの汽車に乗ってしまう。
その後「下 先生の遺書」の章に入ってしまうと、私が遺書を汽車で読んでいるのか、はたして先生は死んでしまったのか、父親はどうなったのか、という読者の疑念と裏腹に、先生の告白が続けられるばかりである。とはいっても、見かけ上の破綻あるが、「上」「中」の章で仕掛けられた最大の謎、つまり先生の過去に何があったかのミステリーが解決されればいい、ということなのであろう。

『漱石論集成』

『漱石論集成』を書いた柄谷行人は、『こころ』を登場人物の心理分析に落としこまずに、人間が不可避的に条件づけられた「欲望」の理論によって考えようとしている。
たとえば、先生とKの関係は、単なる友情の関係ではない。
「下」の二十二節から二十三節。先生はKが経済的に困っており、その神経衰弱をやわらげてやりたいと考えて自分の下宿に連れてくる。しかしその裏では、この禁欲的な理想主義者を畏敬していると同時に滑稽だと感じ、誘惑して崩壊させたいという無自覚的な「欲望」を持っている。
だから、異性のお嬢さんの傍にKを座らせようと下宿に連れこむのだ。このとき、Kと先生の関係は、ちょうどモデルとライバルの関係にある。先生はどこかでKを手本にしながら、Kのようには徹底してやれないと感じている。
そして、とてもKに及ばないと考えたとき、Kへの尊敬は憎悪に変わり、Kを堕落させたいと欲望する。また、Kがお嬢さんを好きになることで、先生は尊敬するKにお嬢さんが結婚に値する女性だと認めてほしい。だがそうなれば、必然的にKはお嬢さんを争う競争相手にもなる。

欲望の三角形

また、先生とKとお嬢さんの関係も、単なる恋愛の三角関係ではない。先生は、Kからお嬢さんへの愛を先に聞かされてしまい、「いや、前から自分の方こそお嬢さんを愛しているのだ」と言うことができない。この「言いそびれ」が後ほど重大な事態をまねく。
先生は常にKから一歩遅れている。先生はお嬢さんへの気持ちを寄せても、それを愛だとはっきりと意識するのは、Kがお嬢さんを愛するという指針を示してからだ。Kという他者が介在することで、やや遅れて先生の恋愛が成立する。そして愛を意識したときには、すでにKを犠牲にしなくてはならない立場にあるというわけだ。
柄谷行人はこの分析で、ルネ・ジラールの『欲望の現象学』を踏まえている。ジラールの有名な「欲望の三角形」の理論は、簡単に言えば「人は他人が欲しがるものを欲しがる」ということだ。たとえば、ある子供が放っておいたオモチャを他人が来てほしがると、急に子供はそれにこだわる。
あるいは、「美人」という基準は文化や時代によって変化するのに、「美人」は常にもてはやされる。それは美人を獲得することが、他人にとって価値のある対象を獲得し、他人に承認されたいという欲望の現れであるからだ。つまり、それは他者を欲望しているのだともいえ、個人の欲望には他人との関係がおりこまれている。

Kの自殺

Kが自殺した理由は、先生が後から気付くように、たんに失恋や友人の裏切りが原因ではなかった。聖書やコーランやスウェデンボルグまで読む、極端な求道者タイプの男だった。彼は世俗の価値を退け、内面的な精神の世界に優位性を見いだしたのは、近代国家として帝国化していく現実を否定するためだった。それがお嬢さんという異性に惹かれてしまうことで、精神主義的な抵抗に挫折してしまったことが原因であろう。
先生は明治天皇が崩御し、生き残っているのは時勢遅れだと感じる。また約一ヵ月後に乃木大将の殉死があり、その遺書を読んで「三十五年の間死のう死のう」と思っていたという件に心打たれる。つまり、先生が「明治の精神に殉死する」というのは、別に明治の男らしくという意味ではなく、また明治天皇のためでも時代精神のためでもなく、モデルであるKとそのライバルだった自分が生きた時代の精神という意味であろう。
そして、今度もKや乃木大将という手本に遅れて、自殺という結論にいたる。先生の自殺という決意もまた、他者の欲望を欲望した結果であったのだろう。

Kのモデル

夏目漱石は「昔、三角関係の罪深い恋に落ち友を裏切り、現在はその女と夫婦関係にある。そして子どもはいない。そして過去の傷に怯えながら生きている」という同じ設定で何本も小説を書いている。『官能小説家』で夏目漱石をモデルに小説を書いた高橋源一郎は、Kのモデルについて乃木将軍や幸徳秋水説をとらずに石川啄木ではないかと推理する。
明治43年に書かれた石川啄木の評論「時代閉塞の状況」は未発表で、没後に発見されたものである。当時朝日新聞の社員だった啄木にこの評論を依頼したのは、当時の文芸欄の責任者の夏目漱石だったと推測される。ここに石川啄木と夏目漱石の接点がある。
ところがその年の8、9月に漱石が体調を崩し、その後啄木が結核に倒れ未発表のままうやむやになってしまった。この批評はとても過激で読みようによっては国家に立ち向かえというメッセージにもなっている。大逆事件直後の状況で漱石はそんなものを新聞に載せられないと判断し内々に処理したのではないか。

Kは石川啄木?

しかし、啄木は頭文字がKではない。冒頭に「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない」とある。
主人公は先生を頭文字では呼ばないと書いている。これは「頭文字に気を付けろ」というヒントではないか。そして小説の中からKの特徴を調べてみる。Kのプロフィールはまったくの創作ではないのかもしれない。

「下」の十九節。「Kは真宗の坊さんの子でした。尤も長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子に遣られたのです。私の生まれた地方は大変本願寺派の勢力の強いところでしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです」
本願寺派とは、浄土真宗本願寺派のこと。またの名を一向宗で、宗祖は親鸞。本山は親鸞の墓所の大谷廟堂がある京都の西本願寺。関西と北陸で勢力が強いが、室町時代に親鸞は比叡山の迫害を受けて、京都から越前の吉崎(現・福井県あわら市吉崎)へ逃れ、吉崎御坊寺を開山した。このことから、先生とKの故郷は現在の福井県、もしくはその周辺の北陸の地域を念頭に置かれて書かれたのではないかと思われる。

Kは実家が寺である。そして養子に出たために、学生時代に姓が変わっている。高橋源一郎いわく、漱石の周囲の人物で学生時代に姓の変わったのは、啄木ひとりしかいない。しかも、母方の旧姓は工藤で、頭文字がKになる。啄木は中学の時に母方から父方の姓に籍を移している。啄木が姓を変えた理由は、父方の実家が僧侶で籍を入れることができなかったからだった、というのである。


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