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『焔の文学』『明かしえぬ共同体』 モーリス・ブランショ


顔のない作家

 2003年2月24日、モーリス・ブランショはパリの自宅で死去した。95歳。20世紀フランスを代表する作家、批評家で、写真を一枚も公表することのなかった孤高の「顔のない作家」。
 1930年代に右翼の論客として出発し、戦後は生身の自分を消し、作品だけを公共の場にだすという姿勢をつらぬいた。『望みのときに』(小説)、『焔の文学』(文芸批評)、『明かしえぬ共同体』(共同体論)など多岐にわたる重要作を通じて、世界最高峰とうたわれる書き手の文章をじっくりと堪能したい。

明かしえぬ共同体

『明かしえぬ共同体』は、政治的発言から撤退したブランショが、1983年に発表した問題の書である。共産主義やフランスの五月革命から語り起こし、バタイユの共同体への試みやデュラスの愛の作品を論じながら、20世紀を貫いた共同体への思考がなんであったのかを問い直す。「共同体とは、それが偶然によってではなく親愛の心として、彼を孤独にさらすその在り方なのだ」
 30年代に右翼のジャーナリストであったブランショは、自分の過去を封印して文学に転じて以来、みずからの政治体験については沈黙を守ってきた。ところが、ジャン=リュック・ナンシーによる画期的なバタイユ論『無為の共同体』が発表されると、それに触発されて、1983年に突然、政治色の濃い本書を発表した。

バタイユとブランショ

 ジュルジュ・バタイユはブランショの友人であり、30年代にシュルレアリストや極左のグループ、秘密結社のうちに共同体の幻影を求めては挫折をくり返した。結局、バタイユは孤独な内的体験に恍惚を見いだしたが、ブランショによれば、それがすなわち共同体を断念したことにはならない。
 バタイユはファシズムや共産主義といった、国家や民族という単位に収束してしまう共同体をあきらめただけで、共同体の不在はバタイユに苦悩にみちた夜のコミュニケーションである「書くこと」を要請し、別次元での共同性の開示をせまった。それが、孤独を生きることを前提とする文学空間だったのだという。

『明かしえぬ共同体』に併録されている「恋人たちの共同体」は、マルグリット・デュラスの愛の作品『死の病い』を論じたものだ。ここでブランショは、ふたりの男女が触れあうたびに埋めようのない差異をきわ立たせ、絶対的な他者でしかないと思い知らされるような地平に「共同体をもたない人びとの共同体」の可能性をみようとしている。
 カフカ、マラルメ、ロートレアモン、ヘルダーリンといった文学者たちを召喚し、自己を批評家として生成していった時期の評論集『焔の文学』。次作『文学空間』で結実するブランショ思想のあらゆるエレメントが豊かな萌芽をみせつつ、多彩な顔ぶれの作家論や文学論がめくるめくうちに展開される過渡期の重要作。


批評家としての顔

 誰が決めるのかわからないが、作家がひとりいれば、必ずその人の代表作とされる書物がある。読んでみると、たいてい、代表作よりもその一、二冊前に発表された作品の方が読みやすくておもしろい。ブランショの代表作は『文学空間』だといわれているが、かなりの難物としても知られている。それに比べて、その一冊前の評論集である『焔の文学』は具体的に作家や作品が論じられていて好著だといえる。
 カフカの日記からの記述と「変身」や「猟師グラックス」といった小説を読みながら「終末をもたらさない死」の恐ろしさが、どのようにしてカフカを「書くこと」の方へ追いやっていったかをあかす「カフカ読本」。
 マラルメの詩における言葉が、できごとや事物を指し示すという言語本来の機能から乖離して「語で沈黙をつくることができる」ことを示し、ブランショ自身の文学的出発点をもあきらかにした「マラルメの神話」など。

 のちにブランショの思想で中心的な役割を果たす「沈黙」「不在」「死」といったタームがいたるところで萌芽し、自在な描線をひいていく。ブランショは、もともとは『アミナダブ』や『至高者』といった小説でデビューした作家だが、世間に知られるようになったのは後続の文芸批評の著書によってだった。
 本書はブランショが自分を批評家としてつくりあげていった時期の過渡的な作品であり、読み物としても優れたものになっている。カフカ、マラルメ、ロートレアモン、ヘルダーリンといった文学者たちを召喚し、自己を批評家として生成していった時期の評論集『焔の文学』。
 次作『文学空間』で結実するブランショ思想のあらゆるエレメントが豊かな萌芽をみせつつ、多彩な顔ぶれの作家論や文学論がめくるめくうちに展開される。


レヴィナスによるブランショ

 私生活においても交友の深かった思想家のレヴィナスが、ブランショを縦横無尽に論じた『モーリス・ブランショ』。
ハイデガー哲学の批判にひきよせつつ、ブランショ思想の核心を開示してみせる「詩人のまなざし」ほか、小説論やインタビューなど4編を収録。絶好の入門書で、研究的価値も高い好著。
「芸術は、ブランショによれば、世界を明るくするどころか、いかなる光も差し込まないような荒涼たる地下室をあばいてみせるのである」

 公的な場にでることを避けたブランショだが、一方で、バタイユやレヴィナスとの交友が知られている。レヴィナスは20年代の大学時代にはじまり、およそ70年にわたって親密につきあった。ドイツ占領下のフランスでブランショが奔走し、ユダヤ人であるレヴィナス夫人を収容所行きから救ったという逸話もある。
 本書には、盟友レヴィナスがブランショについて論じた4つのテクストがまとめられている。ハイデガー存在論の批判にひきよせつつ、ブランショ思想の核心にせまる「詩人のまなざし」。小説作品を論じた「奴婢とその主人」。ブランショ研究の可能性についてインタビューで語る「アンドレ・ダルマスとの対話」。短いテクストの読解を試みる「『白日の狂気』についての演習」。

 ほかにもブランショを論じた代表的なテクストに、フーコーの「外の思考」(『ミシェル・フーコー思考集成2』に収録)や、デリダの『滞留 ポイエーシス叢書45』などがあるが、本書には別格のおもむきがある。
 それはレヴィナスがここで、ブランショの思想のうなりに耳をすまし、内側から共鳴・反響しようと強く意図しているからだ。人生においても思想においても共闘関係にあったレヴィナスだからこそ書くことのできた、ブランショ思想の絶好の入門書であり、研究書であり、心をうち震わせるような好著である。


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