罪を憎んで人を憎まず
孔子の言葉です。
この言葉が腑に落ちる出来事がありました。
少し前に、クレジットカードが不正に利用されました。初めての出来事です。
カードはずっと手元にあったので、番号だけ盗まれたのでしょう。最初は何のことかわかりませんでした。
自分のカード明細に、ロサンゼルスとニューヨークのホテルで、使用された履歴を見て、おや?となったのです。
もちろん私はというと、先月はアメリカには行っておりませんし(このご時世ですしね)使用もしていません。
すぐにクレジットカードを止め、新しく作り直し、不正利用があった分の返金申請をしました。(*目下調査中です)
「罪を憎んで人を憎まず」
初めて聞いたのは、中学生の頃でしたでしょうか。全然ピンと来なかったこの言葉。
なぜそこで「罪」と「人」を別々に考えるのか。疑問でした。
罪を犯した人が悪いんだから、罪も罪人も恨んで当然、と当時は思っていたのです。
今回はふと「嫌われる勇気」でお馴染みの哲学者、岸見一郎先生がおっしゃっていた言葉を思い出しました。
「人を分別しない」
あらゆる争いは、自分と他者を分別することに起因する、と。
例えどれだけ重大な過ちを犯した人であっても、もしかしたら自分がその立場だったら、同じことをしたかもしれないと、分別して考えないようにしているとおっしゃっていました。
分別が、戦いを生み、分断を生み、悲しい結末をもたらします。
「あの人と私は違う」
そうやって分別をしてしまうと歩み寄れなくなります。
最近の世界情勢のように。
今回のことに関して言えば、他人のクレジットカード番号を盗んで使用するなんて、とんでもない罪ですが、私はその人を憎んでいません。
罪を憎み、人を憎まずにいられております。
その人自身にも事情があったんだと。海を越えて、アメリカで、お金に困ってそんなことした人が居たんだろうと、理解できますし、また同情しています。
だから「自分とは違う人間だ」と、切り離して考えるつもりはありません。分別はしません。その方が、心地良いことに気づきました。
またポジティブな考え方としては、カード履歴からGoogle Mapを見て、ついでにアメリカに行った気分になれたし⭐︎
「その人が使用するくらいなら、私が現地で使いたかったわ〜!」と、地図を見ながら、旅行の妄想をして笑えました。
これが、罪を憎んで人を憎まず。
時を経て、ようやくしっくりきました。