machiko

浦和レッズサポーターです

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最近の記事

2月28日(2017年)浦和レッズという不思議

この年のシーズン初めは、レッズのゴールが面白いように決まり、次の試合が来るのが待ち遠しいものでした(あの試合までは)。 ACLグループステージのこの試合も次々に点が決まり、怖いものなしの勢いを感じました。 それが、何という事か、夏にはミシャ監督が解任される事態になり、その後は迷走(に見える状態)に突入してしまいました。 そういう中でもACLは優勝をつかみ取ったものですからレッズは一体強いのか弱いのか。不思議なチームです。 今シーズンもそうです。Jリーグ第2戦が終った現時点

    • 2月26日(2013年)絶頂期の広州恒大

      2008年以来のACLの初戦、私は初めて中国に足を踏み入れました。 広州は沖縄より南に位置しているので、2月でもほんわか温かでした。 前年、中国では尖閣諸島のことで激しいジャパンバッシングが起き、日本製品や店舗の破壊活動が起きました。そのほとぼりもまだ冷めていなかったこの時期、街でレッズのユニフォームを着ることは禁じられました。 スタジアムに行く前に近くの食堂へ食事をしに行ったのが、唯一の外出でした。そこで食べたのは何だったか忘れましたが、周りの客の伸びやかな中国語が気持ちを

      • 2月21日(2020年)VARとコロナ

        この日はひたひたと押し寄せてきたコロナの波を感じながら、しっかりマスクをしてメインスタンドアウェイ寄りの席からの応援でした。 湘南というチームはきびきびと動いていて、しかも前にレッズに在籍していた選手にやられることが多い印象。この日も石原と直輝という二人に得点され、やっぱりという感じでした。 そして、2-2の時点で、VARが初発動し、鈴木大輔のハンドを取られ、PKとなってしまいました。VARというのはこんな風に働くのかとへんに感動しましたが、あんなに繰り返し見せられたら、ご

        • 2月19日(2022年)胸が高鳴る開幕戦でしたが、、、

          毎年開幕戦が近づくと胸の高鳴りを抑えることができません。 特にこの年の開幕戦は京都サンガスタジムという初めて行くところなので、日程が決まったすぐにホテルの予約をしました。1週間前の富士フィルムスーパーカップでは見事な勝利を収めていたのでなおさらでした。 ところが、コロナに複数の選手がかかり、試合の開催も危ぶまれる事態に。何人かのユースの選手を急遽登録することで、中止は回避されましたが、試合延期の方がひょっとして良かったのではと後で思いました。 スタジアムは評判通り、コンパ

          2月16日(2020年)三年計画の初戦

          この日のルヴァンカップ予選リーグの試合はシーズンチケット対象外でしたので、いつもと違うメインスタンドの席でした。 シーズンオフに浦和レッズは「三年計画」というものを立て、その初戦となる試合でしたが、とりあえずチームがうち立てた計画を信じることにしようと思って試合に臨みました。 試合は思っていた以上にスムーズに得点を重ねることができました。新加入のレオナルドの2点と前年なかなか点が取れなかった杉本の2点とマルティネスも得点し、今シーズンは何とか希望が持てるのではと思ってしまい

          2月16日(2020年)三年計画の初戦

          2月12日(2022年)もう1年経ってしまいました!!

          あの日はコロナの抗原検査を受けてから陰性だったら入場できるというチケットでした。今思うと、これは一生に1度しか経験できない体験だったと思います。 指定された時間に検査場に行くと、テントの中に10人づつの対象者が既に座っていて、私はそのグループの最後の一人で、着席するなり検査方法の説明があり、渡された検査キッドで慌ててバタバタと検体を作り、係員に提出。その後は15分ほどで携帯に入場OKの連絡があり、無事に入場できました。 後のネットニュースで、何人かの方が陽性反応が出て、そのま

          2月12日(2022年)もう1年経ってしまいました!!

          1月26日(2007年)あべちゃんその4

          天皇杯と高校選手権が終ってしまったこの時期は、私は毎年サッカーの冬眠期間です。そして、次のシーズンの日程が発表になる頃から徐々に目が覚めてきます。 しかし、2007年は違いました。 この日のちょっと前、埼玉新聞に載った「阿部勇樹浦和レッズに移籍」というニュースにいきなり飛び起きてしまいました。 あべちゃんはずっと前から知っていました。アテネオリンピックの頃には「アベッカム」と称されていましたし、レッズとの対戦には憎いような活躍をしてくれました。 その阿部勇樹がレッズに来る!

          1月26日(2007年)あべちゃんその4

          12月29日(2005年)幸せな年末

          勤めていた頃は毎年12月28日の終業時間まで仕事をこなしていたので、翌日の29日から1月3日までの休みが何より楽しみでした。しかし、正月の準備など家でしなくてはいけない事もたくさんあり、毎年あっという間に過ぎてしまう1週間でした。 そういう中での12月29日15時キックオフの天皇杯準決勝。もちろん国立に行きました。午前中はがんばって大掃除をし、昼過ぎに千駄ヶ谷へ。清々しい気持ちでした。 試合では浦和相手にはしぶとい大宮が、追いついてきたものの延長戦に突き放す事ができて、元

          12月29日(2005年)幸せな年末

          12月21日(2002年)都築さんが浦和に来てくれた!

          都築さんがレッズに加入されると知った時、不思議なワクワク感がありました。キーパーという地味なポジションにもかかわらず、何だか華やかなイメージがありました。 そのイメージ通り、レッズにいる間も、都築さんだけのファンという人もいて、花のある存在で、そのしなやかな身のこなしはプーマのマークに似てると思っていました。 ご本人はレッズでの立ち位置に満足では無かったかもしれませんが、山岸さんというライバルがいて、加藤さんという新戦力がいて、競い合うという点ではとても恵まれていたのでは

          12月21日(2002年)都築さんが浦和に来てくれた!

          12月16日(2007年)ワシントンとの別れ

          この試合はテレビ観戦でした。 この試合でワシントンはレッズを去ることが既に私の耳にも届いていました。監督との確執が何となく漏れ聞こえ、監督を取るかワシントンを取るかのシビアな選択だったのではないかとの憶測が広まっていました。 私も職場でその辺を突っ込まれ、返事に困った事がありました。 実際にどうだったのかはわかりませんが、この日のワシントンは何だか寂しそうに見え、ゴールは決め、勝って世界三位になりましたが、私としても心底喜べる気持ちではありませんでした。 ワシントンはとに

          12月16日(2007年)ワシントンとの別れ

          12月13日(2007年)世界一に最も近づいた試合

          この日チケットはレッズがまだACLの優勝が決まる2ヶ月ほど前、9月にチケットが売り出されてからすぐに買いました。レッズが必ず優勝してクラブワールドカップに出るという予感があり、信じていたからです。 その通りにACLで優勝し、CWCでも順調に準決勝まで進みました。 当日は友人と横浜中華街で待ち合わせて腹ごしらえをしてスタジアムに向かいました。中華街ではミランのサポーターの団体に出くわしたのですが、観光がメインと思われる様子で、高級そうな毛皮のコートなどをお召しになっていて、と

          12月13日(2007年)世界一に最も近づいた試合

          12月11日(2004年)あと一歩

          今日現在、カタールワールドカップの佳境に入っていて、早く寝て、早く起きる習慣になってきています。朝起きてから、真夜中の試合でスペイン・ブラジルが負けた事を知り、モロッコが勝ったことがわかり、刺激的です。 そういう毎日で、NHKのワールドカップのテーマソングがエンドレスに脳内に流れています。「あ~と一歩、あ~と一歩♬」 2004年のチャンピオンシップはまさにこれ。 あと一歩で初優勝が取れるところでした。 この日はバックスタンドロア南側に息子と娘の三人で並んで観戦していました

          12月11日(2004年)あと一歩

          12月9日(2018年)優勝という幸せ

          3度目の天皇杯優勝の試合は人力による3Dエンブレムから始まりました。 ロープを懸命に引っ張ている姿を間近で見たので、よくこんなことを考えつくものだと感心してしまいました。 この苦労したエンブレム掲揚は危険な行為という事で、罰金の対象になったのですが、これをやろうという発想を封じるのはもったいないと感じています。 試合は宇賀神の素晴らしいボレーが決勝点で、仙台を抑えての3度目の優勝となりましたが、優勝というのは何度経験しても気持ちのいいものでした。これで次もACLを戦えるとい

          12月9日(2018年)優勝という幸せ

          12月4日(2010年)最終節の感慨

          清尾さんが何日か前に書かれていたように、以前は浦和レッズの最終節は勝つことが多かったのですが、最近は負けることの方が多く、勝った相手が優勝したり、残留を決めたりと大喜びする場面を度々見る気がして、複雑な気持ちです。 この年も神戸の残留に手を貸してあげたのですが、今年もドローで福岡を喜ばせてしまいました。まあ、優勝を決められるよりはいいのですが。 最終節はレッズを去っていく選手を送り出すセレモニーを行う事が多く、しんみりしてしまいます。この年のポンテとの別れは、レッズがいくつ

          12月4日(2010年)最終節の感慨

          12月3日(2016年)チャンピオンシップ

          これほど悔しい想いをした試合はありません。 Jリーグで当時最多の勝点を取りながら、勝点で15点も下のチームに優勝をかっさらわれるなんて、理屈ではわかっていても、気持ちの上では全く納得がいきませんでした。 2ステージ制が復活したのがよりによってミシャ時代の絶好調の時期だったこともあって、勝負弱いミシャレッズを狙い撃ちにされたようで、全くもって、Jリーグの決定を恨めしく思っています。 レッズが初めてチャンピオンシップに臨んだのが、2004年の初期チャンピオンシップ最後の年で、こ

          12月3日(2016年)チャンピオンシップ

          12月2日(2006年)We are the Champion!

          この日からもう16年も経ったのですね! 1ヶ月ほど前に母が亡くなり、そのストレスで父が胃潰瘍になって療養をしていたので、姉と交代で山口に通っていました。この日は午前中の飛行機に乗り、羽田から直接埼スタに来ました。キックオフ30分前です。 そのころは北ゴール裏でしたので、先に来ていた息子に席を取っておいてもらい、荷物を座席の下に押し込んで、アップをしている選手への応援をすぐに始めました。 1位2位直接対決で、勝点差3、得失点差もあったので、それほど心配はしていませんでしたが、

          12月2日(2006年)We are the Champion!