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読んでいない本について、感想を書く

今日はいつにもまして、「変なこと」を書いてみる。

書評記事。

僕も数か月まえまでは毎月、いや毎週書いているときもあった。そのとき読んだ本についての記録を残したい、そうおもったからだ。「建前」はそう。

「本音」はなんかnoterっぽいなっておもったから。

区切りのいい日にまるで連載記事のように更新する。毎日書いてる僕にとっては、週に1度は書くテーマにまようことがなくなるから効率もよかった。

でも今日シャワーを浴びながら、ふっとおもった。「読むまえに」書いてみようって。そう、今日これから書く本についてはまだ読んでいない。なんなら読もう読もうと長いあいだ積ん読してあるちょっとかわいそうな本たちだ。だからおもしろいかどうかは保証できない。(失礼)

でも積ん読してある、ということは少なからず「読みたい」と意気込んで手にとったはず。だからそのときの気持ちをふくめてなら書けるかなと。

いちおうその本のURLは貼っておきます。あらすじなどはそちらをご参照ください。

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『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー渓谷に挑む』

角幡唯介著

この本を知ったのは『極夜行』から。たしかその本のあとがきで紹介されていた。

じゃあその『極夜行』はなにで知ったのか、というと。本屋でたまたま表紙に目を奪われたからだったはず。手にとって読んだらあっというまにこの角幡唯介という作家に夢中になった。

そのまま本作も手に入れた、というわけだ。

角幡さんの本のようなノンフィクション小説は、著者の筆致、功績、考えかた、さまざな思いが文字に出る。創作の物語ではないぶん、登場人物のリアリティ、弱いところ、達成のよろこびがつよく現れる。現実の知り合いのことよりも知った気になれる。

極夜のつぎはチベットか。ついていきます。


『蟻の棲み家』

望月諒子著

「ザ・ミステリー」って感じ。

読んでないから知らんけど。でもあらすじを読むとそんなかんじ。

この本もたしか、近所の本屋で『腐葉土』って小説が特集されてた。すごい気になったから家に帰って調べてみると、シリーズものだということがわかった。

ほんとうは第一作から読みたいんだけど、本作を古本屋で安く買えたのだ。

望月諒子さんという作家は完全に初見。だから続くかどうかはこの本次第。


『月の満ち欠け』

佐藤正午著

これはまさに今、映画で注目されている。

本屋さんにて、棚のよこの小型テレビから予告が永遠ループで流れていた。その映像にまんまとそそられた。

ふだんは恋愛小説のような類はほとんど読まない。でもたぶんこの映画も、何か月か経ったらアマプラなどで観られるんだろう。

そのときに「僕は原作を読んだよ」、これを言いたいがために買った部分はおおきい。

その浅はかで幼稚な考えをいとも容易く覆してくれるほどのおもしろさを願って、しゅくしゅくと読んでみることにする。


『影武者徳川家康』

隆慶一郎著

これはとうぜん、来年の大河ドラマにそなえてのこと。

文庫本はぜんぶで上中下の3巻。まだまったく読めていない。初回放送日の1月8日までに間に合うなんておもっていない。

ただ、この本が積ん読してあるだけでモチベーションが高まる。

放送がはじまり途中から読むことになるのだろうが、あえてすべてを観終わってからあらためて読むのも捨てがたい。

どうする、家康。


『告白』

町田康著

この写真をよく見てほしい。

ほかの本が薄いわけではない。相対的に厚く見えるわけではない。

なにせ本作は、本編だけで842ページある。まさに鈍器のような佇まい。なぜ上下巻で分けなかったのか。つねにリュックで持ち運びながら読む僕にとっては中央公論新社からの嫌がらせにも見えたりする。

以前、目にした「平成を代表する小説」というようなランキングで本作が3位になっていた。

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本棚をみるとその人がわかる、というけれど。積ん読をみられるのはすこし恥ずかしい。

それでも、本は出会いだ。知らなければ一生読めない。

人から勧められたり、読んでいる本からつぎの本へとつながったり。いずれにしてもこの記事によって、読んでくれたかたの新しい本との出会いを生んだとしたらそんなに嬉しいことはない。

こんな記事でも書き続けていいんだ、と認められた気持ちになる。それをめざして書いてもいる。

ここまで読んでくれて、本当にいつもありがとうございます。

僕の記事をここまでお読み頂きありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 頂いたご支援は、自己研鑽や今後の記事執筆のために使わせていただきます。