「全ての命が平等に大切」

胎児、高齢者、障害者、低所得者、高所得者、このような分け方は果たして正しいのだろうか?

世の中には、人生の9割は高所得者であった障害者がいるかもしれない。

産んでもらえれば、地球温暖化から人類を救える胎児がいるかもしれない。

もし、社会に有益な障害者を迫害してしまったら、他国にのみ貢献するかもしれない。

もし、人類を救える人物を胎児期に中絶してしまったら、人類の将来が著しく損なわれるかもしれない。

しかしそもそも、公益のために人の価値を変えるのは正しい考え方なのだろうか?

何の権限があって、誰が人の価値を変えるのだろうか?

命は尊い。

全ての人に平等な権利がある。

全ての人の尊厳が守られるべき。

あなたは?

あなたは世界に存在すべき人ですか?

答えはYES。

一部の人にだけ生きる価値が見出されるのは正しいと思いますか?

もし、親が年収一億円以上でないと、子供の価値がないと言い出されたら、きっと大きく反論する人が多いのではないだろうか?

このような誰もが「異常」と感じる価値観と、胎児や高齢者、障害者、低所得者を差別する考えと何処が違うのだろう?

人類は皆平等。

これは綺麗事?

もし綺麗事ならば、それを目指すのは間違いなの?

それを目指したって良いのではないだろうか?

インクルージョンやダイバーシティ等のムーブメントは正に、人と人の間の区別から生まれる差別を撤廃しようとするものではないだろうか?

差別を条件ごとに肯定や否定するのは、差別自体を肯定している。

まず、差別を肯定した上で、自分や社会の一部の人間にとって都合の良い条件で篩にかける。

それって、住みやすい世界を作るための動きではなく、今住みやすいと感じているグループを入れ替えるだけではないだろうか?

命は尊い。

この大前提を忘れて公的利益や経済、医療費、票の重さ、様々なところでの条件について話し合ったら、命を尊重しない決断をしてしまうかもしれない。

「電池が切れるまで」という本の作品を書いた子供達は皆懸命に生き、作品を通して多くの方々の心を動かし続けるだろう。きっと沢山の方々の生活を後押しし、勇気を与えてくれるに違いない。

このような影響によって、社会人にも大きなインパクトを与えているだろう。そうして間接的に人々を動かし、社会をも動かしている。

同時に、「電池が切れるまで」の作品を書いたのは皆入院を必要とした病気の子供達だ。

「病弱児」と彼らの置かれた状況をマイナスに捉える考えもあるかもしれない。

しかし、彼らが命と向き合う中での葛藤や周囲から受けた優しさ、周囲との助け合いのおかげで魂に響く数々の作品が生まれた。逆に、その環境がなければ生まれない作品ばかりではないだろうか?

彼らは皆尊い存在だ。

これは本として出版されたから尊いのではなく、彼らが尊い存在で、その彼らの作品が心に響く物だから本になったと考えている。

だから、全ての今小児科に入院中の子供達は尊い存在。

子供に限らない。

皆が尊い。

命は尊い。

安楽死、医療費削減、社会保障制度の減少、中絶、障害児の処置削減。

「これらの社会問題」と呼ばれるテーマの多くには、実はナチスドイツ時代の戦争犯罪と通ずるものが多い。

「ナチスドイツは黒歴史であり、二度と繰り返してはならない。」こんなのは常識だろう。

しかし、実はドイツで命の選別が肯定され、差別や選択的安楽死が肯定されたのは1920年。ナチス政権が生まれる前のことだ。(ナチス政権は1933年から1945年まで)

ナチスはヒットラーの象徴ではない。

ヒットラーの思想を肯定し、後押しし、実際に手を下したのは多くの民間人だ。

虐殺を実行した多くの者達は、ついこの前まで虐殺被害者の近所に住み、同じ学校に通い、一緒に仕事をした仲間だった。友人だった。好意や愛があった。

即ち、私達は人間である以上、皆がナチス予備軍になり得る。

すると、ナチスの過ちを繰り返さないためには、その思想を知り、何が危険かを認識し、それを避ける選択をしなければいけないのではないだろうか?

そう。

「差別の肯定」これは大きなリスクがある危険な思想であり、危険な行動だろう。

〇〇の人は社会にとって△△であるという一般化した意見を持ち、それを述べる前に、今一度人間の命の重みについて考えて欲しい。

命は尊い。

それは、誰の命でも尊いということではないだろうか?

あなたの命も、私の命も。

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