九條です。
いまから1280年ほど前の天平15(743)年10月15日のこと。
聖武天皇は、紫香楽宮(現在の滋賀県甲賀市信楽町にあったとされる奈良時代の離宮)にて[01]大仏(盧舎那仏)を造ることを発願し、その思いを「大仏造立の詔」として発布しました[02]。
その聖武天皇の思いを読み解いてみたいと思います。
原文は漢文ですが、読み下してみると非常に美しくてリズミカルで格調高い古代日本(奈良時代)の文章です。ぜひ味わってみてください。
ですから今回の「読み下し」は、いつもよりかなり丁寧に「ふりがな」をつけてみました。^_^
【註】
[01]恭仁宮という説もあり。
[02]律令下においては基本的には天子による臨時の意思表示を「詔」とし、常時ものを「勅」とした(『令義解』による)。
[03]国史大系版『続日本紀』(前編)吉川弘文館 1974年
[04]知識=(仏教では)功徳を積む行為。転じて(おもに古代においては)仏教の信者やその集団。
[05]百姓(ひゃくせい)=国の民。
※1997年に行なった市民講座向けの講義ノートから抜粋しました。
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