人生であれを超える現地観戦はきっともうない。 そう言い切れるほどの試合だった。 自国開催のW杯、どこのチームよりも早い6月から代表合宿は始まった。富樫勇樹をはじめ、長年日本代表を引っ張ってきた選手たちからは何か並々ならぬ覚悟を感じた。特に最年長の彼は東京五輪の時に一度引退を考えたとも口にしていた、それでも世界で一勝したいんだ、私はそれを見届けたいと思った。 この夏がJAPANを背負って戦う最後の勇姿かもしれない。これで見納めでも後悔のない夏にしよう。みんなが戦う姿を目に焼
"お待たせしました" 少し俯いて照れながら安堵の表情を浮かべたエースの姿を見た。 残念ながら現地にいることは叶わなかったが、それでも忘れられない試合になった。 2024.10.13 B.LEAGUE第2節滋賀戦 game2 パリオリンピックが終わって、あっという間にシーズンが始まった。集大成を終えたエースは休みもからがらに自分のホームチームに戻ってきた。プレに天皇杯と順調な滑り出しを見せた今年のブレックス。全員が継続し昨シーズン届かなかった優勝しか許されない、それ以外
『本日の試合の結果を受けまして宇都宮ブレックスの東地区優勝が決まりました』 涙でぼやける私の視界には、みんなの笑顔はとても輝いていた。そんな最高の1日の記録。 残り3試合までもつれる大混戦だった。 シーズンのほとんどを2位で過ごし、勝てども勝てども追い越せない、そんなシーズンだった気がする。周りからは強すぎると言われたけれど、そんなことは誰1人として思ってなくて常に反省と前進を繰り返し長いシーズンを戦ってきた。それが結実した気がして本当に嬉しかった。 優勝のかかった前節
きっと忘れられない夏になる、特別な夏。 全力で比江島慎の夏を見届けよう、そんな夏。 去年の夏はW杯に立てないかもしれなかった、最後かもしれなかった。プレータイムがなかったり、メディアに出なかったりした。不安で仕方ない選考期間だった。 でも終わってみたらヒーローになっていた。 そんな人を応援できて誇らしい。世界と戦う楽しさと大変さ辛さを乗り越えて、いつも新しい景色を見せてくれた。 そんなヒーローが集大成の大会だと言う。ヒーローの集大成は納得のいくものじゃないとだめ。 そ
ついに公開になったW杯のドキュメンタリー、以下完全に私情もりもりのネタバレ感想文を綴る。(ネタバレNGの人はここでさいなら) 映画が公開すると聴いたとき、まず私はどれほど泣くだろうと思った。W杯の夏、2023年の夏は代表のこととなると涙腺がぶち壊れていて何事にも泣いていた。特に現地で観たベネズエラ戦はもちろん、フィンランド戦の大逆転も、自力五輪がかかったカーボベルデ戦も、テレビの前で大号泣だった。いまだにベネズエラ戦は見返すと泣いてしまうほど思い入れのある試合だ。そんな私が
W杯アジア1位、48年ぶりのパリ五輪自力出場権獲得 日本中が熱狂したあのW杯まで共に歩んだ記録。 この夏は本当に苦しかった、そしてとっても幸せだった。何を言ってるんだろう、でも本当のことだった。 『このW杯、パリに行けなければ引退する』 チームの要である渡邊雄太は突如宣言した。どこにも逃げられない、もう撤回できないそんな場所で放ったこの一言にファンのざわめきは止まらなかった。とはいえ私をはじめファンは薄々気がついていた、長年日本代表を牽引してきたメンバーが口々に結果が
今シーズンはBリーグと共に歩んだと言っても過言ではない。そんな私が今シーズン思い出に残っている試合をまとめておく。 『忘れられない現地』 12/6 vs 秋田ノーザンハピネッツ ブレックスファンなら誰もが印象に残っている試合だと思う。勝利がこぼれ落ちてくような感覚、コート一周のみんなの顔が忘れられない。エースに託した最終局面、、、悔しいターンオーバーとなってしまった。秋田の畳み掛けてくる勢いは現地で見ていてもすごくて、コート外のわたしでものまれそうだった。この水曜の負け
私がアリーナに通う理由はなんだろうか。 迫力のあるプレイをみたいから、チアをみたいから、非日常空間を味わいたいから、、そのどれもが当てはまる。でも1番大きな理由は一緒に戦いたいからだ。 1.2点を争う場面、ここ一本止めたい、そんな時にディーフェンス!!と大きな声で後押しする。トドメのスリーが決まったら選手たちと一緒に盛り上がる。相手チームの大事なフリースローはブースターディフェンスで対抗する。ピンチの時にはファンが声で背中を押す。全ての感情をそこに込めて。 そうやって1
2024.5.13 私のシーズンが終わった。 幕切れはあまりにも突然だった。 最後負けが決まり、時間だけが過ぎる10秒間がどんなに長く苦しいものだっただろう。終わらないで、そう願った。だってこのチームをもう見れないなんて、また一緒に戦えないなんて、受け入れられない現実だった。そのくらい好きだった、シーズン前は赤と黄色やや黄色よりだった私の魂も完全にブレックスイエローに染まっていた。 強いだけじゃない、時に弱さを認め、仲間に寄り添い誰よりも励ます。自分だって苦しいのに仲間に
ここ数試合、何人が彼におちただろう。 元々ファンは多いけど、最近の彼はなんだかすごい。 今シーズンの最多連勝記録を打ち立てリーグトップをひた走る宇都宮ブレックス、好調の裏にはきっとこの男の存在が大きい。 わたしはブレックスを応援してるだけのただのファンなだけだが、彼は人一倍他人の感情に敏感であると感じる。ふざけているように見えて周りをものすごく見て動ける人、そして何より自分のことよりも他人のことに感情を熱くする人間な気がする。ファウルを取られた時も自分のことのように抗議し
2024年4月17日、日環アリーナ栃木対仙台戦。 いつもの如くアップに現れたエースにフロアが沸いた。 それもそのはず、前節の土日北海道、エースはユニフォームを着ていなかった。チームの22連勝がかかった試合、なかなか流れに乗れずに苦しみ敗戦となった。エースがいないから負けた試合ではなかったように思う。それでも世間はエースを欠いたからという。それも悔しい。 なにより最強ブレックスが負けたのも悔しかった。 きっとそれ以上にもどかしいであろうエースの姿がそこにあった。ベンチの1
今シーズン、W杯のあの試合からBリーグの扉が開きました。そんな言葉をよく目にする。みんなそれぞれに素敵なきっかけを持っている。私はどうだっただろうか。 私は小中とバスケをやっていた。チビだったのでポジションはPG。地元のお世辞にも強いとは言えないクラブではあったがキャプテンも務めていた。 私たちの時代はBリーグというものがなかったため、プロの試合を見る機会もほぼないし、周りに見てるチームメイトもいなかった。唯一見たことあるプロの試合はミニバスの招待で行った五十嵐圭選手の試
2024年4月13日、青山学院記念館 心惹かれた瞬間を新鮮なうちにここに残しておく。 この日わたしはBリーグで1番好きなマスコット、サンディーに会いに青学へと向かった。本当にそれだけの動機でバスケを見に行った。 シーズン終盤の地区2位を争う対戦、負けたら順位に影響する当該ファンには重要な試合だったと思う。私は純粋な1人のBリーグファンとして、どちらにも肩入れせずこの試合を見守った。 前半渋谷は三河のディフェンスに苦戦し、点が取れずにいた。逆に三河は打てば入るし、止まらない
私のBリーグ初現地。天皇杯セミファイナル、宇都宮ブレックスvs千葉ジェッツの試合だった。場所はブレアリ。今思えばこのカードが初現地だったのは運命だったのかもしれない。 Bリーグに魅入られて2ヶ月と少し経った頃、ひしひしと現地観戦欲が沸いていた。チケットサイトを眺め、スケジュールと睨めっこしては一歩踏み出せずうじうじしていた。そして前日14日の夜、明日なら行けるかも、突然スケジュールに穴が空いた。その勢いで何もわからずチケットを取った。 (あの頃はまだチケットが取れたんです
絶対忘れることのない試合、笑い話できるのは頂点に立ってからかな (※この日の記憶はほとんどどっかに行ってしまったので多少事実と異なる点があるかもしれませんごめんなさい) 2月14日バレンタイン、船橋アリーナで第99回天皇杯セミファイナルが行われた。 私はブレックスファンで千葉ジェッツブースターである。始まるまで私は、どっちが勝っても嬉しいし、どっちが負けても悔しい、どうしたらいいの!!なんて呑気なことを言っていた。私はどっちにしろファイナルだ!なんて思ったりしていた。