リリコマジュ

リリコマジュ

最近の記事

軌道を外れて超加速

「あぁ…この天井 星空になる壁紙でしたね」 イレギュラーな予定が 更にイレギュラーな動きをし そこへまたイレギュラーな出来事が重なり わたし1人、三女の部屋で寝た夜でした(ん?なんでだ 普段は真っ白な天井だから、電気を消したら星空が出てくるなんてことは、すっかり忘れていた。 このお部屋が出来てもうすぐ5年。 三姉妹の部屋はそれぞれの好みに合わせて、てんでバラバラなテイストになっている。 それぞれの部屋の片付けには手出しをしない…からなのか何なのか、こぞって荒れ模様の

    • 思ってたんと違う…けど、「わたし」を好きにさせてあげる、のだ。

      6月の初め。 アートイベント・artwalkホウボウのために作り始め。 搬入まで3週間を切って尚、動き出さない「わたし」をただ眺め、ひたすら待ち、待ち、待ち、とうとう今日、動き出した! …と思ったら、「わたし」は当初の企画とは全く違うものを作り始める。 大丈夫なのか。 間に合うのか。 それ、ホントに作れるの? えー、えー、えー、、、(フェードアウト) ハラハラするのはお母さん役のような私。心配しかない。 一方、作る「わたし」はワクワクしている。 動き始めたらスイス

      • 手の平に小さな山を

        「山は水なんだよ」 コーヒーを飲みながら、山好きな友が言った。 数日の晴れの日を経ても、山からは水が降りてくる道がある、と。 山はたっぷり水を含み、じゅんわりと蓄える。山は水。 翌日。別の場所。別の友が苔玉を持っていた。 「手で持って軽く感じたら、チャポンと水につけて吸わせてね。重い間は水を含んでいるよ。」 我が家に小さな山をお迎えした。

        • 丁寧な暮らしをぼーっとするところから考えてみた話

          ぼーっと過ごしている。1日の大部分を、私はぼーっと過ごしている。何かをしながら、何か別のことを考えていたりする。どっちつかずの状態で、時間がただ流れている。1日はあっという間に過ぎるし、1週間も、1ヶ月もサクッと過ぎていく。光陰矢のごとし。まさしく。誰か知らんけど、上手に言ったね。キミを褒めたい。すごく。 光陰を矢のごとく右から左へ見送りながら、ぼーっとしているのにも意味はある。わたしは心を込めたものを作りたいと思っている。体裁だけ整えたものは空しくなる。掃除機の吸引力のよ

        軌道を外れて超加速

          「そっか。なんでもありか。」そう思ったとき、熱い視線を送っていたもの。

          私はこれを使わない。この子はもうずっと、テレビボードの上にいる。目が合ったのは今日が初めてだ。キミ、こんな顔しとったんやね。 目が合う直前。私が思っていたのは「なんだっていいのか。」ってこと。自分で作った枠はどんどん外す主義なのだが、またもや枠を発見したところだった。決まった形の何かにはまろうとして、もがく。そんなことばかり繰り返している気がするけれど、いくつもの枠を見つけては外しに外しまくって、どんどん楽にはなってきている。周りからみたら、普段から自由すぎだろwwって

          「そっか。なんでもありか。」そう思ったとき、熱い視線を送っていたもの。

          怒っている人は困っている人。

          なんとなくtwitterを眺めていると、怒っている人が多いのが目に付く。周りを見れば、怒っている家族がいたりする。家族に目を向けていると、怒っていることとはちょっと論点のずれたところで不快なことがあったんだなあ・・・と推察できる。 さらによく観察してみると、そこもまた単なる事象に過ぎず、根本は「寒い」とか「お腹が減っている」とか「睡眠不足」とかが原因になっていて、怒っている”なにか”は単なるきっかけに過ぎないようだ。 根底に単純な不快があるときには、怒る対象はなんでもいい

          怒っている人は困っている人。

          どうやら、幸せであるだけで良いらしい

          何かしなければいけないことなどなく。 幸せに生きているだけで喜んでくれる。 そんな人たちに囲まれて、今日も生きている。 ご機嫌でいるだけで、周りを幸せにしていて ご機嫌でいる周りの人たちに、幸せをもらっている。 幸せのバトンが行き交うね。

          どうやら、幸せであるだけで良いらしい

          一旦あきらめると見えてくるものがある

          思っていても出来ないことはある。 思っていることを含めて自分なのか、 思っていることは抜きにしたのが自分なのか。 自分というものの定義。悩ましいところだ。 もっともっとと、どこかしら追い求めるものはいつまでもあって、 いざ「さあ、今のあなたが完成形ですよ」と言われると えぇぇぇ・・・・と困った気分になる。 いつだって、”今”が完成形でしかない。次の”今”にはアップデートしているかもしれないけど、今は今。それ以上でもそれ以下でもない。その事実に困ったり焦ったりする気持ちが芽

          一旦あきらめると見えてくるものがある

          偶然生き延びているわたしたち

          カチャカチャカチャ。今日もnoteを書いてみる。 2020年。全世界的にイレギュラーなことが立て続いた年になった。これまで経験したことのないことがたくさん起こった。ただ流されるしかない我慢の時。その中で、感染症とは関係なく、3度の葬儀に参列した。 高齢だった90代の義祖母。良くしてもらっていたお友達は50代。夫の同級生は40代半ばだった。 90代まで生きたら大往生だと思うけれど、50代も40代も若すぎる。この二人は急だった。40代の彼女に至っては、思い当たる病気もなく、

          偶然生き延びているわたしたち

          カチャカチャしたい欲

          noteを続けてみたい。 キーボードをカチャカチャしたい。 そんな欲から、とりあえず毎日の更新を目標にしてみることにする。 単純にカチャカチャしたいだけだから、何かを残したいなんてこともないし、伝えたいことだってないし、ただただカチャカチャしたいというだけのスペースにしてみようかしら。と思っている。 ただただ毎日カチャカチャするためだけの場所。そんなんも面白そうだ。だって、なんにでも意味があったり、意義があったりするものだ、なんて思うのって、窮屈だと思わない?

          カチャカチャしたい欲

          茹であがらぬタコ生活

          イライラするー!噴火茹でダコな私を フヌケにして過ごしてみた。 イライラしそうになったなら ピキッ!っとスイッチ入る前に 心の中で唱えてみる。 フヌケノタコ…フヌケノタコ… (ほうら、わたしはもうフヌケノタコ…) 素晴らしき自己暗示により フヌケノタコに変身すること日に数回… フヌケノタコでも生活は滞らない 格段に小言は減るし、問題は問題でなくなる。 なんなら腑抜けた方が日々すんなり行くのだ。 あれ?あれれ? 一体何にイライラしていたのか。

          茹であがらぬタコ生活