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丁寧な暮らしをぼーっとするところから考えてみた話

ぼーっと過ごしている。1日の大部分を、私はぼーっと過ごしている。何かをしながら、何か別のことを考えていたりする。どっちつかずの状態で、時間がただ流れている。1日はあっという間に過ぎるし、1週間も、1ヶ月もサクッと過ぎていく。光陰矢のごとし。まさしく。誰か知らんけど、上手に言ったね。キミを褒めたい。すごく。

光陰を矢のごとく右から左へ見送りながら、ぼーっとしているのにも意味はある。わたしは心を込めたものを作りたいと思っている。体裁だけ整えたものは空しくなる。掃除機の吸引力のように、なにかが吸い込まれていくような無を持っている。心のこもったものは、じんわり満たされる。時間をかけてゆっくりと、何か与えてもらっているような気持ちになる。じんわり、温かくなるものを作る人でありたい。そのために、焦って何かをすることを放棄してみたのだ。結果、ぼーっとなっている。ぼんやり、日々を眺めている。矢もたくさん見送った。

何をどう作ろうかと、しばらく悩んでみたけれど、どうやらそんな風にして生み出すものでもなさそうで。今度はこれからどうしたものかと、またもやぼーっとしていたのだけれど、そうか。と思いついた。

心のこもったものを作りたかったら、心を込めた生活を送るのだ。なんとスッキリ。そっか。ひとつひとつのことに心を込めて過ごせばいいのか。ふと作りたくなった時、そこから生まれるものは自然と心がこもるって寸法だ。だってもう、心を込めた生活がベースなのだからね。ふふふふふ。

心を込めたものを作るため、毎日のひとつひとつの行動や動作に、心を込めていこう。そう決めた。

丁寧に心を込めるけれど、たぶん、ぼんやりは継続する。ぼんやりと、思っているくらいが、ちょうど良さそうだもの。

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