怒っている人は困っている人。
なんとなくtwitterを眺めていると、怒っている人が多いのが目に付く。周りを見れば、怒っている家族がいたりする。家族に目を向けていると、怒っていることとはちょっと論点のずれたところで不快なことがあったんだなあ・・・と推察できる。
さらによく観察してみると、そこもまた単なる事象に過ぎず、根本は「寒い」とか「お腹が減っている」とか「睡眠不足」とかが原因になっていて、怒っている”なにか”は単なるきっかけに過ぎないようだ。
根底に単純な不快があるときには、怒る対象はなんでもいい。
なんでもいいから、ただ怒りたい。何かを発散して不快だと叫びたい。それは身体の小さなSOSだし、赤ちゃんが泣くのにも似ている。怒っているときはだれかや何かのせいにしたくなる。それもわかるけれど。怒っている人は困っている人なのだと思う。気づかない不快にどうしようもなくて困っている人。怒る他に手段がないのだ。
怒り始めたら気が済むまで怒ればいい。火が消えるのを待ってみた。
怒りをどうにかしようとすると、蓋をするか、余計に燃え上がらせるか、どちらかにしか動かない。出た怒りは思う存分発散するのが健康的だ。
怒っている家族の怒りがドワーッと発散されて落ち着いたてしばらく経ったころ、そっとチョコレートを手渡した。今日は大変な一日だったね。お疲れさま。
「チョコレートをひと箱もらうより、小さなひとつを分けてもらう方がうれしい」と、我が家のJKは教えてくれた。やさしさって、そんな小さなおすそ分けで出来ているんだろうなと思った。
心の中に小さな灯火を、消えないように抱えて過ごそう。困っている誰かに気付けるように。
頑張っている人に気付けるような自分でいたいと思う。そして「ありがとう」や「お疲れ様」の声をかけれたらいいなと思う。自分のことに必死になりすぎないで、周りの人と緩やかな時間を共有できたらいいなと思う。そのために、今日もご飯を食べて、あったかく身を守って、たっぷり睡眠をとる。それが私の心の燃料になる。
今日は晴れ。
そっと差し出せるよう、チョコレートを買いに行こう。
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