「そっか。なんでもありか。」そう思ったとき、熱い視線を送っていたもの。
私はこれを使わない。この子はもうずっと、テレビボードの上にいる。目が合ったのは今日が初めてだ。キミ、こんな顔しとったんやね。
目が合う直前。私が思っていたのは「なんだっていいのか。」ってこと。自分で作った枠はどんどん外す主義なのだが、またもや枠を発見したところだった。決まった形の何かにはまろうとして、もがく。そんなことばかり繰り返している気がするけれど、いくつもの枠を見つけては外しに外しまくって、どんどん楽にはなってきている。周りからみたら、普段から自由すぎだろwwって言われそうなことばかりだろうけれど、私なりに窮屈さから脱し続けてきた、今がいわば『最新の最終形態』なのだよ。ゆるく見守ってくれてありがとうだよ。
さて。またもや一つの枠を破壊した瞬間に目が合ったこの子はこう言った。
「世の中には おもしろいもの たくさんあるんやで。しっかり見つけてーやー」
なぜか大阪弁になるのはさておき。シュールな顔で世の中の面白さを示す。うん。なんか、君に言われるとたくさんありそうな気がしてくるよ。
今、世の中は不安がいっぱいで、怒ってる人もいっぱいで。私はそのどちらにもなりたくないなと思う。先がさ・・・どんどん狭くなるしかない道に見えるよね。きっといつまでも不安は消えないんだろうけれど、消えない不安の正体をそのままの形で受け取ってみたら、やることは自然と定まってくる。結局のところ自分がどうにかできることだけを淡々とやるしかない。そして時間が経つのを待つしかない。あとは「ちゃんと生活すること」だけが残る。それって刺激的ではないし、なんの面白味もないこと。生活って、暮らしって、ぶっちゃけ平坦で退屈なのだ。
だけどね。その退屈なものは、幸せって呼ぶものだと思うんだ。人生のベースなんだよね。穏やかで大切な退屈時間。これもまた、そんなベースなのだと認めて、ある意味諦めてしまったら、あとは「どう面白く作り上げるか」な視点だけが残ってくる。思う存分、自分が楽しめる暮らしを作り上げていけばいい。
ということで、はじめにもどる。かのコントローラーは、面白い世界は目の前に広がっていて、それを見つけるのは自分の瞳だけだよ、と言っているのであーる。世界は変わらないけれど、視点を変えたら、半径数メートルの世界は一転する。視点を変えるのは自分次第。そしてどの視点を選ぶのかも自分次第。みんなが、自分にとって心地よい世界に暮らしたら、全体の世界はどんな輝きを見せるんだろう・・・そう思うと、私はワクワクする。
それはこっそり心に秘める野望のようでもあって、今日も私は1日を面白おかしく過ごすことに専念しようと思う。のであーる。
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