偶然生き延びているわたしたち
カチャカチャカチャ。今日もnoteを書いてみる。
2020年。全世界的にイレギュラーなことが立て続いた年になった。これまで経験したことのないことがたくさん起こった。ただ流されるしかない我慢の時。その中で、感染症とは関係なく、3度の葬儀に参列した。
高齢だった90代の義祖母。良くしてもらっていたお友達は50代。夫の同級生は40代半ばだった。
90代まで生きたら大往生だと思うけれど、50代も40代も若すぎる。この二人は急だった。40代の彼女に至っては、思い当たる病気もなく、ある日急に家で倒れて亡くなっていた。
月曜日に元気に働いて家事を済ませ「おやすみ」と言葉を交わしたのが、火曜日の朝には廊下で冷たくなっていて、水曜日にはお通夜で、木曜日には骨になった。喪主である旦那さんは「あと50年、連れ添うつもりでいたのに・・・」と声を詰まらせた。50年続くと思っていたことが、数日で、1日で、目の前の世界を変えてしまう。ひとが一人死ぬということは、小さくて大きい。
2020年。死を身近に感じる年の始まりとなったけれど、感染症のみならず、死はだれもが迎える。必ず。それがいつなのかはわからない。50年後かもしれないし、明日かもしれない。そんなことをすぐ隣で感じ続ける、初めての年だった。
私たちは、今、こうして生きている。
それはすでに2020年を生き延びた、ということ。
おめでとう。ありがとう。できるなら、今年も元気に生き抜こう。ちょっぴり不便なことはこれまでよりもたくさんあるかもしれないのだけれど、何とかなる!何とかなったよ、よかったね!って言えるときまで、ひっそりやり過ごしながら生き抜こう。それでもなお、死はそこにあるけれど、なんだか今死ぬのはもったいない気がするのだよ。
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