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【発想力】「集中力が続かない」と悩むことはない。「集中しない思考」こそAI時代に必要だ:『集中力はいらない』(森博嗣)

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激変するだろう未来社会に「集中力」は必要?

これから時代は大きく変わっていく

誰もがなんとなくイメージできていることでしょうが、これからAIが社会にどんどん組み込まれていくと思います。そうなれば、それまでの生活とは大きく変わっていくでしょう。

そういう時代において、果たして「集中力」は必要なのか? 本書ではまずこの観点から問いがなされます。

しかし、集中するような作業の多くは、今やコンピュータが担ってくれる。その割合はどんどん増加している。人間の仕事としては、より発散型の思考へとシフトし、ときどき発想し、全然関係ないものに着想し、試したり、やり直してみたりすること、あるいは、より多数の視点からの目配りができることなどの能力が、これからは求められるようになるだろう。
これらのシフトは、仕事以外、つまり個人の生活でも、まったく同じ状況といえる

AIがどんな風に社会を変えていくのかは、誰も想像ができないでしょう。しかし、一つ確かに言えることは、「AIの方が上手くやれ仕事なら、それを人間が行う必要はなくなる」ということです。

だからこそ本書では、「集中するのはコンピュータの方が得意なのだから、人間は逆を行った方がいい」と主張するのです。

「集中力」とはそもそも何か?

本書で著者は、「集中力」を全否定するつもりはないが、みんなが思っているほど素晴らしいものではない、という言い方をしています。そしてその上で本書は、「集中思考」と「分散思考」を対比させながら、「分散思考」の方がより重要ではないか、と主張します。

まず著者が、「集中思考」をどう捉えているか抜き出しましょう。

集中思考をしている人は、自分の好きなものを決めつけ、そればかりを探しているから、どんどん見える範囲が狭くなっていく。

本書では、「集中」をこう捉えています。イメージと少し違う、と感じる方もいるかもしれません。「集中力」というのはもっと、「勉強に集中する」というような、「他の思考に邪魔されずに何かに一身に打ち込む」というような捉え方の人もいるでしょう。

ただどちらにしても、大枠では同じです。それが好きかどうかはともかく、「自分は今これに焦点を当てている」と対象を狭めているという意味では変わりないでしょう。

そして確かに今の時代は、「好きなものを決めつけて、見る範囲が狭くなっている人」が多いと感じます。情報が溢れている時代だから仕方ないとはいえ、自分がほしい情報だけを集めて、それ以外には目を向けない、というスタンスが当たり前になっているのではないでしょうか。

一方、「分散思考」についてはこう書かれています。

分散思考をしている人は、できるだけ対象から離れようとする本能的な方向性を持つようになる。これが発散思考と呼べるだろう。どうしてそうなるかといえば、分散思考をしているうちに発想したものが、まるで違う分野、遠い場所からヒントを見つけた結果であり、思わぬ得をした経験が重なるためである。だから、今まで自分が見ていない領域へ足を踏み入れようとする。まだ新しいものがあるはずだ、と常に探している。自分の好き嫌いに関係はないし、また自分の願望あるいは意見にも関わらない。そうではなく、自分が持っている信念を打ち砕くようなものに出会いたいと思っているからだ。

この、「自分が持っている信念を打ち砕くようなものに出会いたいと思っている」という感覚は、私の中にもずっとあります。だから、本や映画も、先に評価をチェックするようなことはしないし、「明らかに面白い」と分かるものには手を出さないことが多いです。昔からそうだったので、私は「分散思考」に元々向いているということかなと思います。

だから、本書の記述にはもの凄く共感できました。

「分散思考」から「発想」が生まれる

本書では、「分散思考」の重要さが様々に語られますが、その中で私が最も重要だと感じるのが、

一つだけ言えることがあるとしたら、発想は、集中している時間には生まれないということである

という主張です。

これは私も、非常に実感を持って賛同できます。

私は書店員として、ちょっと奇抜なアイデアを様々に実行したことがあり、その内のいくつかは大きく取り上げてもらえました。散々色んなことをやりましたが、どのアイデアも、「それについて考える時間」を特別に設けたことがありません。「よし、今から集中してアイデアを考えるぞ」という時間を確保したことはないのです。

私の場合は、朝雑誌を出している時や風呂に入っている時、自転車に乗っている時など、ちょっとした瞬間に少しずつ思考を巡らせ、ある時一気にひらめいて形になる、ということがほとんどでした。

私の感触としては恐らく、常に頭のどこかではそのアイデアについてなんとなく考えているのだと思います。ただそれは、非常にぼんやりとした思考で、あまり意識には上りません。とはいえ、頭の中で考えてはいるので、見ているもの・聞こえてくること・嗅いでいることなど五感から入った情報が、何かのきっかけでその思考と結びついたりするのだと思います。そしてそういう時に、発想というのは生まれるのでしょう。

私は、自分の実感としてこう感じているので、「分散思考」でしか「アイデア」は生まれない、という著者の主張には非常に納得できます。

「分散思考」だけでは「発想」はできない

そして著者は、「いかに発想するか」という点をさらに掘り下げていきます。なぜなら、まさに「発想」こそ、AIには難しい領域だからです。どれだけAIが社会に実装されるようになっても、「人間の発想」がなければ物事は動いていかないでしょう。「AIが発想する時代」もいつかやってくるのかもしれませんが、私の感触ではまだまだ先のことだと思っています。

著者自身も、小説家であり、またかつては大学の助教授として研究職に就いていました。まさに「発想」が問われる世界にずっと身を置いていた人物であり、だからこそその主張には説得力があります。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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