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【変革】「ビジネスより自由のために交渉力を」と語る瀧本哲史の”自己啓発”本に「交渉のコツ」を学ぶ:『武器としての交渉思考』

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アジテーター・瀧本哲史の本領が発揮された、「自由に生きる」ための「交渉力」読本

2019年8月、著者の瀧本哲史は47歳という若さで亡くなってしまいました。「惜しい人を亡くした」という言葉がピッタリな人生です。私はかつて一度だけ、彼の講演に足を運んだことがあるのですが、その圧倒的な早口と熱量で、「若い人たちを奮起させたい」という気持ちを伝えようとする姿に圧倒された記憶があります。肩書としては「エンジェル投資家」であり、京都大学の客員准教授でもありました。自身が有名になることや、金持ちになることなどには恐らくまったく関心がなかったでしょうし、本当に純粋に「自分の考えていることが、若い人にどうにか伝わってほしい」という熱意で講演・講義・出版活動を行っていたという印象を持っています。

本書は、タイトルの通り「交渉思考」について書かれたもので、瀧本哲史が終生その普及に力を入れていた「ディベート」の考え方をベースにしています。基本的には「他者といかに交渉を行うか」について書かれた実践的な本だと思ってもらえればいいのですが、決してそれだけの内容ではありません。

というかむしろ、「交渉力」以外の記述の方がむしろ重要だと言えるでしょう。それらは、「何故『交渉力』が必要なのか」という解として提示されるわけですが、それこそが著者の一番のメッセージだからです。

著者はとにかく本書で、

若者よ、立ち上がれ

と強く主張し続けます。そして、「そのために『交渉力』が欠かせない。だから必要な知識を本書で身につけよう」という構成になっているのです。

「異質な人」と関わるために「交渉力」は欠かせない

著者の主張の核心は「『異質な人』と関わろう」だと私は感じました。そしてそれは、「同質性に群がりすぎている現代社会」への警鐘でもあると言えるでしょう。

この点については私も、昔からずっと同じようなことを感じていました。今の時代は、SNSなど様々な便利なツールによって、「何らかの意味で自分と『同じ』『似ている』人」と関わることがかなり容易になってきたと言えるでしょう。多くの人がそのことを喜ばしいと感じているだろうし、そんな状況に不満を抱いたりもしていないのだろうと思います。

でも私は昔からずっと、その状態を「怖い」と感じていました。自分がどんどんと閉じていくような気がしたからです。「井の中の蛙大海を知らず」のように、「自分が”留まっている”狭い世界のことについては詳しいけれど、その外側についてはほぼ何も知らない」みたいな状況に陥ってしまうことが、私にはずっと恐怖に感じられていました。

瀧本哲史はこのような状況を「タコツボ化」と呼んでいます。狭い関心領域で繋がった関係性の中だけにいることで、自分の世界がタコツボのように窮屈で広がりのないものに留まってしまう、という指摘です。さらに、そういう世界にいると、「大きな成果」を生み出せないことが多いとも指摘します。著者は「非連続的変化」と書いていますが、要するに、「『それまでの常識では考えられないような飛躍的な変化』が、『同質性』から生まれることはない」というわけです。

私もそう感じます。

そしてだからこそ、「異質な人」と関わることが大事なのだと著者は主張するわけです。ここまでの話の流れに沿って言えば、「『同じ』『似ている』では繋がれない人」という感じでしょう。同じ職場、同じ学校、同じ趣味、似たような価値観、そういう「共通項」がまったくない相手と積極的に関わっていくことでしか、「非連続的変化」は生み出せません。そして、「共通項」の無い相手と関係を構築するために必要なのが「交渉力」というわけです。

著者は「交渉力」の重要性を語るために、「自由」についてこんな風に書いています。

社会の中で真に自由であるためには、自分で自分を拘束しなければならない。

この主張について説明していきましょう。

著者は、「辞書的な意味で完全に『自由』になること」は、逆説的に「社会の中で『不自由』になること」を意味すると書いています。これはなんとなくイメージしやすいのではないでしょうか。例えば法律や倫理を一切無視して、TPOを弁えず望んだ通りの言動を行う人物がいるとしましょう。これ人は、辞書的には「自由」と言えるでしょうが、社会から何らかの形で排除されてしまうはずなので、結果的には「不自由」に行き着いてしまうだろうと思います。

だからこそ著者は、「社会の中で真に『自由』である」ために「自分で自分を拘束すること」が必要だと書いているのです。「拘束されないこと」が「自由」なのだとしても、、辞書的な意味での「自由」では上手くいかないのであれば、「社会の中での『自由』」とは、「何かには拘束されている状態」だと言えます。そして著者は、「何に拘束されるかは自分で決めなければならない」と主張するのです。

しかし、決めるだけでは意味がありません。例えばあなたが学生だとして、「プログラマーになるために必要な物事には拘束されるが、それ以外には一切拘束されたくない」と考えたとしましょう。プログラミングに関係ないと判断した勉強はしないし、家の手伝いも一切しないというわけです。しかしこれは、あなたがそう決断しただけで実現できるわけではありません。家族や教師など、「自分の考えを受け入れないかもしれない人(=異質な人)」と合意形成をしなければならないからです。

ここで「交渉力」が必要になってきます。つまり、「社会の中での『自由』」のために「交渉力」を身に着けなければならないというわけです。本書は、そのような目的に最適化されて書かれていると言えるでしょう。

第6章で著者は、読者に「夢を見せる」

第1章から第5章までは「実践的な交渉の話」であり、それらについては後で触れることにします。まずは、第6章で扱われる、「ロマン」について語ることにしましょう。
 
著者は「夢を見せる」のが実に上手いと感じます。第6章で、「交渉力が手に入ったあなたに『実現可能なこと』」を提示してくれるのです。著者はそもそも「ロマンを持つことは大事だ」と主張し、大きな夢を抱くべきだと繰り返します。そして、「どんな場合でも、言葉こそが最大の武器なのだ」と投げかけ、「本書を読んだ君は今すぐにでも行動をしよう」とけしかけるのです。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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