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【思考】『翔太と猫のインサイトの夏休み』は、中学生と猫の対話から「自分の頭で考える」を学べる良書

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「哲学する」とはどういうことかを説く、中高生から読める「哲学入門」

本書と同じ永井均の著書に、『<子ども>のための哲学』がある。タイトルから、「子ども向けの哲学入門書」だと感じるかもしれないが、まったくそんなことはない。もの凄く難しく、大人でも簡単には読み進められない作品だ。

一方、『翔太と猫のインサイトの夏休み』は、子どもでも読める作品である。「読んで理解できるか」は読む人次第だが、少なくとも、子どもでも読めるような体裁で書かれている作品であることは間違いない。「中学生の翔太」と「猫のインサイト」が対話する、という形で進んでいくので、非常に読みやすいだろう。内容は決して易しいとは言えないが、、扱われるテーマは「生きている中でふと頭に浮かんでしまうかもしれないもの」であり、とっつきやすさもあると思う。

『<子ども>のための哲学』でも本書でも、著者は一貫して、「本当の哲学は、子どもの頃にしかできない」と書いている。だからこそ、幸運にも子ども時代にこの本に巡り合う機会を持てた人は、是非手にとって読んでみてほしい。

読んですぐ理解できる必要はない。大人になっても理解できないかもしれない。しかし、「理解できるかどうか」が重要なのではない。「スタートラインに立てたことを確かめる」、あるいは「既にスタートを切っていたことを理解する」という点にこそ価値があるのだ。

「哲学」と聞くとカント・ニーチェ・孔子などが頭に浮かぶかもしれない。しかし、そういうものとはまったく異なる「哲学」が本書では展開される。

読み終わった時、中には「自分はごく自然に『哲学』をやっていた」と感じる人も出てくるかもしれない。そういう意味でも興味深い作品だと言える。

「答えのない問いについて考え続けること」こそ「哲学」だ

先ほど書いた通り本書は、翔太とインサイトが対話する形で進んでいく。中学生と猫の会話なので、難しい言葉もさほど出てこない。また彼らは、ある具体的な「問い」を前にして「どのように考えるべきか」を話している。そしてその対話の端々に「哲学とは何か」みたいな話題が組み込まれる構成も分かりやすいと思う。

そしてそのような記述を読み解くことで、「考え続けることが哲学なのだ」という本書の主張を理解できることだろう。

「哲学」というとどうしても、「カントは何を考えたのか?」「ニーチェはなぜこんなことを言ったのか?」など、過去の哲学者・思想家たちの考えについてあーだこーだ思考する、というイメージになってしまう。一般的に「哲学」とはそのような意味で理解されているはずだ。

しかし著者は、本書の中で繰り返し、「哲学とは思想ではない」と書いている。「哲学」というのは「主張の内容」を指すのではなく、「その主張をする際にどうしてもついて回ってしまう枠組みそのもの」のことだと言うのだ。

この説明のために、以前読んだ『こうして世界は誤解する』に書かれていたことを紹介しよう。

『こうして世界は誤解する』の中で著者は、「独裁政権下で起こっている出来事を報道することは難しい。何故なら『独裁政権下である』という事実こそが最も報じられるべきことだからだ」と主張していた。そしてその説明のために、「檻に入れられたホッキョクグマ」を引き合いに出す。

檻の中に閉じ込められたホッキョクグマは、恐らく、野生にいる時とはまったく違う振る舞いを見せるだろう。イライラしているように見えたり、落ち着きなく歩き回ったりするかもしれない。

さてここで、檻を映さずにホッキョクグマだけカメラに収めることを考えよう。その映像を見た人は、「イライラした、落ち着きのないホッキョクグマなんだな」と受け取るに違いない。そういう性質のホッキョクグマなのだろう、と。「檻」が映されないのだから当然だ。しかし実際には、檻の中に閉じ込められているからこそそんな振る舞いをしてしまうのである。

「独裁政権下に生きる人々」を「ホッキョクグマ」、「独裁政権下という状況」を「檻」に置き換えれば、状況は理解しやすくなるだろう。報道では「独裁政権下に生きる人々」を映し出すが、それは「檻を映さずにホッキョクグマを撮影するようなもの」だ。本当に報じなければならないのは「独裁政権下という状況」の方なのだが、それはなかなか難しい、ということが書かれている。

話を戻そう。永井均が言う「その主張をする際にどうしてもついて回ってしまう枠組みそのもの」も同じようなものだと考えればいいだろう。哲学者や思想家の本を読めば、そこには「主張の内容」が書かれている。しかしそれは、「檻に入れられたホッキョクグマ」のようなものだ。実際には、「その『主張の内容』がどんな『檻』の中にあるか」が重要なのであり、それこそが「哲学」だと著者は主張する。

そんなわけで著者は、「哲学するのに本を読んではいけない」と断言するのだ。

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