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【狂気】稀少本を収集・売買する「愛すべき変人コレクター」の世界と、インターネットによる激変:映画『ブックセラーズ』

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「稀少本のコレクター」という特殊な世界を濃密に描き出す映画

映画の構成と「コレクター」について

まずざっくり、映画の内容を紹介しよう。

この映画では、「稀少本コレクター」「稀少本ディーラー」と呼ばれる人たちを取り上げている。世界最大規模として知られるニューヨークブックフェアの映像から始まり、本を売る人、買う人、集める人、紹介する人など、本の世界にどっぷり浸かっている人物たちが描かれていく。

図書館からも絶大な信頼を集めるサンダル履きのブックセラーや、老舗書店を継いだ三姉妹、本の魅力を若い世代にも伝える女性ディーラー、本を偏愛する有名作家など、出てくる人物は多種多様だ。そしてみんな、良い意味で”狂っている”と言える。

ある人物はこんなことを言っていた。

希少本コレクターは、欲しい本を買うために祖母を売るような人物だ

確かに、そう言われて納得してしまいそうになる人物がたくさん登場する。本と関わっていさえすればあとは何でもいい、というような人たちである。

そして、そんな姿を見て、私は羨ましく感じてしまう。私には、そこまで熱狂できるようなものは無いからだ。

「無い」というか、意識としては「作らないようにしている」という方が正しい。というのも、「それ無しでは生きられないもの」を持ってしまえば、それが失われる恐怖と常に隣り合わせだと感じてしまうからだ。

だから意識的に、「ハマるもの」を作らないできた。これは自分の性格ゆえ仕方ないことなのだが、やはりこんな風に何かに偏愛できる人の存在を知ると、羨ましさを感じてしまう。

さてこの記事では主に、「稀少本コレクターが生み出している価値」と「稀少本コレクターが抱いている危惧」について触れていこうと思う。普段、街なかの本屋で本を買うのとはまったく違う「本の世界」に驚かされる映画だ。

「コレクション」としての、「美術品」と「本」の違い

この映画を観て最もなるほどと感じさせられたのは、「美術品」と「本」の違いについてだ。「本」も「美術品」の一部のような扱いだろうと勝手に考えていたが、確かに言われてみればその違いは大きいと感じた。

美術品の場合は、版画などの例外を除けば、そのほとんどは一点物だと言っていい。だから「美術品のコレクター」は、「自分がそれを欲しい」と思うだけではなく、「他の人に所有させたくない」という気持ちを強く持つそうだ。「あいつが持っていないものを自分は持っている」という、ある種の優越感のようなものを得られるのが美術品なのである。

しかし本の場合は違う。装幀が一点物など僅かな例外を除けば、本というのは基本的に複製が存在する。自分が所有するその1冊以外に同じ本は存在しない、という状況は、普通ほとんどない。だから、美術品の場合に生まれるような「他の人に所有させたくない」という感覚は生まれにくいというのだ。

そしてだからこそ、本のコレクターは「自分とその本との関係性」みたいなものをより重視するようになるのだという。砕けた言い方をすれば「思い入れ」ということだろう。もちろん美術品にも「思い入れ」を持つことはできるが、美術品の場合は「思い入れ」を持てなかったとしても一点物という価値がある。しかし本の場合、一点物という価値が薄いゆえに、「思い入れ」の方により力点が置かれるのだ、という指摘は非常に興味深いと感じた。

映画には、本をただ集めているだけではなく、売るために集めている人物も登場する。しかし、「売りたいと思っているのだろうか?」と感じるほど、本に対する思い入れを強く抱いているように思えてしまう。美術品の場合は、勝手なイメージだが、もう少しドライというか、金銭的な価値の方が全面に出る印象が私にはある。

この「複製が存在する」という特徴が、本のコレクターという存在をより特殊なものにしているのかもしれないと思う。

それは、ある人物のこんな発言とも関係してくるかもしれない。

ほとんどの人がこの業界に偶然入ってくる

この映画に登場する、本と関わる様々な職業の人たちは、そのほとんどが「たまたま足を踏み入れてしまった」というような経緯で稀少本の世界にやってきている。これもまた、複製が存在する本という特殊な魅力に絡め取られたのだ、ということかもしれない。

登場人物の中で最も興味深い経緯を語っていたのは、「子どもながらに図書館に稀少本の貸し出しを行った」という人物だ。

両親が骨董好きで、骨董店に入ると「静かにしてね」と言って毎回5セントをくれたのだという。両親があちこちの骨董店を回るので、1日で1冊本が買えるぐらいの金額になる。そうやって貯めたお金で好きな本を買っていたのだが、本人も知らない内に稀少本を手に入れていたようだ(売り主も稀少本だと知らずに売ったのだろう)。

ある時図書館が新聞で本を探しているという広告を載せ、それを見た両親から話を聞いた少年は、自分のコレクションの中にあったその稀少本を図書館に貸し出したのだ。当然、最年少で図書館への貸し出しを行った人物だそうだ。

そんなきっかけがあり、彼は稀少本の世界に入ることになった。人生、どこにきっかけがあるか分からないものである。

「コレクター」による”価値創造”

コレクターというのは、「ただ本を集めるだけの人」ではない。彼らの存在が、本の”新たな価値”に光を当てることも多いのである。

例えば、『若草物語』などで有名なオルコットが、偽名でパルプ小説(低質な紙を使った大衆小説みたいなものだろう)を書いていたこと明らかにした女性コレクターがいる。彼女たちは、今以上に稀少本コレクターが男性偏重だった時代に、独自の目線で新たな価値を見出し、稀少本コレクターの世界に歴史を刻んだ。

また、別の女性コレクターは、男性中心の世界であるが故に「女性が書く女性」を扱った本の収集が乏しいことに気づき収集を始める。そして、世界的にも稀有で有意義なコレクションを作り上げたという。

また、「カバー」の価値を認識させたのもコレクターの影響が大きい。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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